第16話 策
ひいひいと千火さんは呼吸を整えていた。
俺でもこれだけ笑った千火さんは久しぶりに見た。普段真面目にしている分、面白いことが起こると彼女は人一倍良く笑う事を俺は知っていたが……
今回もそれだけ面白かったのか呼吸を整える最中も、鞠猫を見ては思い出し笑いをしそうになり、その都度何とか耐えていた。
「ち、千火さん! 貴女失礼ではないですか!? 私の事を馬鹿にしたように笑って!」
「申し訳ありません。愚直すぎたもので」
「ぐ、愚直……」
スンと真面目な調子を取り戻した千火さんがそう言う。悪びれも無く言う彼女に鞠猫も消沈した様子だった。無理もないだろう、壮大に笑われれば自分に恥ずかしく思うのも人として当たり前だから。
「しかしまあ────奏様、今回ばかりは運がよろしかったですね」
「うん?」
気落ちした鞠猫は一先ず放っておくと、千火さんが俺にそんな事を言ってきた。俺にはわけが分からなかった。
「鞠猫様を連れてきた事ですよ。 ……そろそろ時間ですね」
そう言って千火さん席から立ち上がると、俺達の座るテーブルから観やすい位置に置かれているリビングのテレビの電源を付けた。
一体何が始まるのだろうと俺はそれに注目する。笑われた事に軽く落ち込んだ鞠猫と共に。
チャンネルを変える千火さんの手が止まったのは夕方のニュース番組だった。俺はこれがなんだよと千火さんを見るが、彼女は寡黙に画面を観続けていた。何も言わない彼女に倣って俺も黙ってそれを観た。
そうした時だった。いくつかのニュースが流れた後、キャスターがこんな事を言い出した。
「────都内で起きているカップルを狙った暴行事件が昨日またも発生しました」
サイドテロップと共に流れる映像は鞠猫の言っていたカップル失踪事件の続報だった。俺も鞠猫もそれに釘付けになった。俺としてはこれが彼女達の言っていた時間のことかと見入っていたのだけれど、鞠猫が明らかに動揺を漏らしたのはある瞬間だった。
「────現場に残された男性の遺体から事件発生時刻は午後7時から9時の間とされ」
キャスターの言葉と共に時刻がテロップとして示されたのだ。俺は気が付いた。
「昨日の……俺が鞠猫に殺された時間とほぼ同じだ!」
そう、昨日のその時間といえば俺が彼女に闇討ちされた時刻とほぼ被るではないか。俺はその事実に興奮気味に千火さんを見た。
「ええ
確信付いた物言いを千火さんはする。先程あれだけ笑っていた理由がようやく分かった。この事を千火さんは知っていたからこそ鞠猫の理由付けに可笑しさを感じ、笑わずにはいられなかったのだ。
俺は鞠猫を見た。驚いた表情で画面を観る彼女は明らかに動揺していた。端正な顔立ちも今は情けなかった。
「……こ、これ…どういうこと?」
認められないと思っている声で彼女がそう問う。千火さんが口を開き答えた。
「見た通りでございます。奏様にはアリバイがありますから犯行は不可能ということになりますね。一応言っておきますが、録画した番組でも、多額のお金を積んで自主制作した番組でもございませんので」
「そ、そんなこと分かりますよ! ……だ、だって……そんな……絶対……」
瞳が揺らぎ動揺する鞠猫。しかし何かに気が付いたか口を開いた。
「そ、そうだ! 時間! 事件発生は7時からとなっているけど本当はそれ以前に起こっていたとしたら!? 犯行は十分可能なはず! 私は奏君、君が降りた最寄り駅でようやく追い付いて跡をつけていました。それ以前の行動は私は知らない! 何をしていたの?」
たしかにそれはそうだが、俺は自信を持って答えた。それ以前のアリバイならしっかりある。
「初芽と一緒にいた」
「初芽…君?」
「ああ、お前とはぐれた後、あいつと一緒に遊び呆けてたよ。俺の言葉は信用出来ないだろうから、あいつ自身に聞いてもいい。それにあいつとは駅で別れて、その後すぐに電車に乗って直帰している。それは俺の電車に使ったICカードなりを調べれば分かるはずだぜ?」
「…………」
確かにそうだと鞠猫の顔は語っていた。しかし認めたくないという往生際の悪さも同居している。
「い、いや……そ、そうだ!! だったら貴方が初芽君を魅了したのでは!? 魅了して洗脳すれば私が事情聴取しようともそちらの都合の良い事しか言いません」
「あのな……俺が魅了出来るのは女の子だけだ。それはありえないよ」
「そんなこと信用出来ません! 第一貴方がサキュバスとしての能力をどこまで備えているか完全に告白している証拠はない! 貴方には優れた再生能力があるくらいには例外的な存在であるようですし!」
「信用してないのかよ!?」
「何事にも例外はあります! さあこれでまた貴方の容疑は戻りました! それに……貴方が直接手を下したわけではない可能性だってありますよ!」
「……どういうこと?」
「千火さんです。奏君、貴方にアリバイがあっても彼女にはないのでは? カップルを直接襲うのは千火さんだったとしてその女の人達を奏君に献上していたとしたら? 私から剣を奪ったあの実力……一般人を襲う事に関しては申し分ない力がありそうですしね」
いやはや呆れるのみだった。この子の中では俺達はすっかり容疑者扱いなのだ。何か反論しようにもまた新たなこじつけやらほんの少しの可能性などで犯人としてくる。大体現実世界ではドラマのように犯人ではない人が誰も彼もアリバイを証明できるわけもないのに。
そろそろ本気で怒りたい気持ちを抑えて何か言い返さなくちゃと考える俺だが、予想外の声が千火さんからあがった。
「────確かにそれならばありえない事ではないですね」
「千火さん!?」
「や、やっぱり!」
まさかの肯定するような答えに俺も、疑いを掛けた鞠猫も動揺の様子になってしまう。
「確かに
「じゃあ新たな容疑者としての可能性はグンと高まりますね!」
「ええ、そうですね」
おいおい……嘘だろう!?
千火さんもどうして鞠猫をつけ上がらせるような事ばっかり言ってしまうんだ。このままじゃ要らぬ冤罪を掛けられてしまうっていうのに。
俺は気が気じゃなかった。大切な家族の一員が猟奇的事件の犯人として見られるってことに腹立たしく思うし、なによりこの強引な探りに対して協力的な事にも理解が出来なかった。
千火さんが犯人でないことは絶対だ。彼女がそんな事をするわけがない。長年暮らしてきた仲の俺にはそれが分かっていた。
「─────しかしそれならば」
だから新たな容疑者を確立したと喜んでいる鞠猫に、切り捨てるように言う千火さんを見た時なんとも言えない爽快感に俺は包まれた。
「とっとと貴女を殺してますよ?」
ピタリと鞠猫が固まったのを俺はしっかり目撃した。怪しく笑み、薄く閉じた目蓋の隙間から鋭い眼光を飛ばす千火さんに見つめられ、蛇に睨まれたカエルのようになる鞠猫にざまあみろと思った。
「鞠猫様も知らないわけじゃないでしょう? この事件の犯人が攫っていった女性達は一人たりとも見つかっておりません。中々に隠蔽するのが上手な人間が犯行を行っているのは
「……それは……その」
なにも反論出来ない鞠猫に千火さんは続けた。
「私は貴女達超常殺しについても少しばかりの知識はあります。────貴女達は特殊な例を除いてチームを組まない。それは超常の存在に仲間が人質に取られる場合があったり、超常的現象の依頼は個人個人に依頼が来るわけですからライセンスクラスが昇格すると、依頼内容にばらつきが生まれ、ゴールド以上のライセンスクラスに当てられた依頼にはシルバー以下は参加出来なかったり、ゴールドのクラスのハンターが何の旨味のないシルバークラス相当の仕事を手伝わされたりするからです。本当に仲の良いチームでなければ次第に不平不満が生まれ、消滅することがほとんど……」
「…………」
「今回貴女も単身で二度も奏様に接触していますから仲間がいる可能性は低い。それならば鞠猫様、貴女を殺したところで私達には何のデメリットもありません。もし私達に相当な隠蔽能力があったとして、それが破られ白昼に晒される時には……既に容疑者として捕らえられていることでしょう」
何も間違っていないと鞠猫は黙っていた。千火さんは喋り過ぎて喉が渇いたと紅茶を口にする。
「お客様にこんな事を申すのは失礼ですが───」
そうして千火さんは鞠猫を挑発するように小首を傾げ、
「駆け出しの浅知恵で私達を疑うのは不愉快です」
と切り捨てたのだった。
何も鞠猫はそれ以上語らなかった。自分の妄想とも言える疑いが否定されたからなのかそれとも駆け出しやら浅知恵やら、ぺーぺーやらと此処に来て必要以上にコケにされたからなのだろうか。多分後者の方が大きい気がした。
まだたった二日だが、彼女のプライドが高いのはなんとなくもう分かっていたから、きっとそういった言葉はかなり心にきているような気がした。
現に今も俯いて自分の太腿に視線を落としている。その長い髪や俯いた角度で隠れて表情は窺えないけれど、消沈しているように見えた。
もう俺達に探りを入れる話も終わりかなと、俺は自分が聞きたい事を思い浮かべた。
何故彼女に俺の魅了が通用しないのか……このことだ。
何か理由があるはず。そしてそれが簡単に出来ることなら俺に教えて欲しいのだ。俺の能力の被害に遭う女性を減らせるのなら是非とも知りたい。俺は鞠猫に会った時からそれをずっと密かに考えていたからだ。
鞠猫と千火さんの様子を窺いながら俺は口を開こうとした。しかしその時だった。
「しかしまあ、私達を疑いたい気持ちは分かります」
と千火さんがまだ続けたのだ。俺はまだ続けるのかと内心思いながらもそれを聞いた。
「折角見つけた犯人と思わしき人間ですものね、そりゃあ疑いを持つのは当たり前です。しかし私達とて、その疑いの目を事件が終息するまで向けられるのも気分が悪いというもの」
たしかにそれは同意だった。
「なのでここで一つご提案がございます」
「……提案?」
聞き返した鞠猫に俺も同じ気持ちだった。
「────調査に奏様も協力させて下さい」
「え?」
「な!?」
驚いた声を発する鞠猫に俺も続いた。
まさかの予想だにしない千火さんの発言に俺も動揺を隠せなかった。
「な、何言ってんだよ千火さん! 本気か?」
「冗談に聞こえましたか? ええ、本気です。鞠猫様は奏様を疑っている。しかし犯人は他の人間だと私達は知っています。それならば奏様を監視した状態で捜査を続行してもらえば良いだけの事では?」
「そ、それは……」
「どうせ私達は犯人ではありませんから、奏様は鞠猫様に危害を加えることはありません。どうです鞠猫様? 昔から貴女達の様に
鞠猫は俺と千火さんを交互に見ながら思案している様子だった。まさか同意するのか? 先程までの小さな疑いでギャアギャア言っていたやつが俺と手を組むのか?
いい想像ができなかった。何かにつけて殺される想像。使えない奴だと見下される想像。何か俺から意見をしてもプライド故に間違っていると言われる想像。
ストレスが溜まりそうな日々でしかなさそうな気がした。
「もう一度言います。 鞠猫様を殺すならばとっくにやっております。何の利用価値も無い貴女を生かしておく理由などないでしょう?」
おい、何だその喧嘩を売っている様にしか聞こえないは……と突っ込みたくなる追い討ちを千火さんはかける。でもこうして相手を敢えて無下にすることでこちらが鞠猫に何の固執がないことを千火さんはアピールしているのだろう。
こちらとしても早く疑いを払拭したいだけだと。
「いかがです?」
その言葉の後、暫くの逡巡の間を置いて鞠猫は答えた。
「………か……た」
「え?」
「……分かった…それでいいです」
力ない言葉に俺は聞き返す。その返答は俺が項垂れるものだった。
「ま、まじかよ……」
「奏君の動向を監視しながら……犯人も探せる……た、たしかに一石二鳥……です」
「鞠猫、お前それでいいのかよ? 俺は犯人かもしれないんだぞ?」
「殺すなら既に殺しているでしょ。もう分かったから……」
あら〜〜……すっかり千火さんに牙を抜かれた様になっちゃって……もう反論する余地もないと大人しくなった彼女では俺の仲間入りを拒否出来ないだろう。
もうこうなったら自分から拒否してやるさと俺は千火さんを見た。
「ち、千火さんでも俺は女の子とずっと一緒にいるのはちょっと……」
「安心して下さい、彼女は超常殺しです。昨日も言いましたが貴方の魅了への対策は万全です。貴方を狩りに来たのですから。そうですよね、鞠猫様?」
千火さんの問いに鞠猫はピクリと反応し、コクリと頷いた。
「恐らく対精神汚染の魔術の仕込まれた装備品のひとつでしょう。魔術をそのまま体にかけたなら何かの拍子に解ける可能性が大いにあります。しかし装備品であれば術をかける対象が生物でない分、複雑強固に多重に術を重ねられますから」
「そういうカラクリかよ……」
この際魔術などという単語に一々突っ込むことは止める。なにか俺の知識では計り知れない凄いことをしているって事実だけで十分だから。
「しかし装備品とはね……ゲームみたいにネックレスとかなのかな」
「そういう形もありますが大半は下着ですね」
「え」
「下着にそういう守りを付与して、その上から服を着ることで戦いに支障をきたす精神汚染から絶対に逃れる為です。勿論彼女達の着る下着以外の衣服にも斬撃、衝撃、貫通などに対する守りが掛かっています」
「……な、なるほどー」
俺は感心しながら鞠猫を見る。そうすると少しだけ
頬を赤らめている彼女に千火さんの言う通りなのだと理解した。
「ということで奏様、明日から鞠猫様と共に街で犯人探しをしてきて下さい。大丈夫、何かあれば私にご連絡を」
魅了を決して受けない理由はハッキリしたがそれでもそんなものは受け入れられるわけがない。受け入れたくないと俺は口を開いて否定してやろうとした。こんな人をすぐ殺すような人間とは一緒に行動などしたくないのだ。だが────
「────因みに、これは『師』である私からの命令としますから」
「…………」
「分かりましたね、坊っちゃん?」
「……はい」
ズルいと思った。
俺は口をパクパクさせたあと、静かにそう返答するしかなかった。師匠モードである千火さんからの命あるならば仕方がない。拒否すればどんな目に合うか分かったものではないのだ。
その後、手を組むことの小さなお祝いとして千火さんがケーキやら秘蔵の茶葉の紅茶やらを出してくれたが、俺と鞠猫は終始テンションの上がりきらぬ心持ちでそれを受けた。
ケーキがどこか甘さが足らなく感じたのは、きっとストレスのせいだと思う。
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