第15話 鴉皮鞠猫について


 「奏君、貴方……お父さんやお母さんは?」


 テーブルに着くなり鞠猫はそう聞いてきた。俺はすぐに気が付く。玄関での一件で彼女はすっかり警戒心を深めてしまったのだろう。俺と千火さん、それ以外の敵の存在を詮索しているのだ。



 だがお生憎様だ。この家には連日俺と千火さんしか暮らしていない。それこそ年末年始や三ヶ月に一度程度には父親は帰ってくるが────



 「母親は物心つく前に行方知らずだ。父親は……ごく偶にしか帰ってこない」

 「お忙しい方なんですね」

 「そうだな……そうかもな。でも多分俺の事を怖がっているからだと思うけど」

 「どういうことです?」



 父は母が淫魔である事を知らず彼女との間に俺を儲けた。そうして母が失踪したのち、俺が事件に巻き込まれ、自分の嫁が魑魅魍魎の類だったと知った。大切な自分の息子であれ、自分の常識以上の存在の血が流れている者に彼は恐怖しているのだ。



 それは時々帰ってくる彼の仕草や態度からヒシヒシと伝わってきた。俺と云う化け物に恐れをなしているのを俺には隠し通せてはいない。それは父親自身もよく分かっているのだろう。だから仕事を口実になるべく家には帰ってこないようにしているのだ。どうせ恐れ……俺が気を使うならば……互いに距離を取ることこそが良いのだと。



 「どういうことも何も……そのままの意味だよ。半分淫魔の俺に親父はビビってる。だから帰ってこない。それだけだ。 ……ま、金は振り込んでくれるし、千火さんもいるから俺は別に良いけどね」

 「……そうですか」

 「この家には俺と千火さんしかいないから安心しろよ」

 「…………」



 険しい表情を少しも崩さない鞠猫が何を思っているかは分からなかった。でもそれ以上は追求してこなかったのは彼女なりに何か思う所があったのかもしれないと、俺は勝手にそう想像した。

 


 「────では鞠猫様、まずは貴女の事を話して頂きましょうか。 ……安心して下さい超常殺しなどと云う存在はわたくし自身よく知っているつもりですから。奏様には分からない部分を逐一説明致しますね」



 俺と鞠猫の空間に千火さんがトレーに紅茶を載せて持って来た。



 いつもは俺と千火さんがティータイムなどに使う丸いテーブルに今日は鴉皮からすがわ鞠猫まりねがいる。座る俺達の前に千火さんが焼き菓子やら紅茶などを置いた。俺を含めた三者は向かい合うように座った。時たま行うティータイムと同じように千火さんは給仕用のメイド服からエプロンを脱ぎ、黒いワンピースのみの格好となった。格好だけで言えば昨晩見た鞠猫の姿と大差なかった。



 そんなおもてなしのテーブル状況であれ、鞠猫の顔は相変わらず硬い。それも当然か。彼女としては敵地であるわけだし、俺と千火さんしかいないと言っても信用出来る理由はないわけだし、その敵の一人は自分よりも明らかに強者であるのだから硬くなるなと言う方が無理な話だ。



 敵から求められた自分の事を打ち明けろと云う申し出に彼女は口を開いた。語る事が偽りだろうが真実だろうが、沈黙だけは許さないと千火さんが顔でそうプレッシャーをかけている事だけは俺でも分かった。



 「鴉皮鞠猫。17歳、女、超常殺しルナティックハンター、ライセンスランクはブロンズ。この街に来た目的は……カップル失踪事件の犯人を探し出し始末すること」



 大人しくそう語った鞠猫の言葉に俺は早速疑問を示す。そうすると透かさず千火さんが補足してくれた。



 「超常殺しには組合から譲渡されるハンターライセンスなるものが御座います。それには四つのランクがあり、下からブロンズ、シルバー、ゴールド、ダイヤと上に行くほど実力や功績を積んだ者として認められるのです。例外的にブラックがありますが────これは今はいいでしょう」

 「その話からするとじゃあブロンズはペーペーってことか」

 「フフ……仰る通りですね」



 意地悪く笑う千火さんに俺はしまったと思い、鞠猫を見る。彼女は目を薄めて俺を軽く此方を睨んでいた。当然だった。俺からすれば思った事を言っただけでも、彼女からすれば貶されたも同然なんだから。



 「す、すみません……」

 「いいです別に、事実なので」



 咄嗟に謝るが彼女は少し不機嫌そうだった。



 「私も聞かせて頂きたいです。 ……貴方達は何者ですか? この際事件の犯人だの違うだの置いておいて、半淫魔でありながら普通に人間社会に溶け込む奏君。私よりも強っ……わ、私の剣を容易く奪い去ったメイドの貴女。明らかに普通じゃないですよ」



 自分よりも強いと言葉にして認めたくはなかったのか、言い直した鞠猫。俺達の事を聞いているのは誰にでも分かることだが、俺は千火さんを見た。語っても良いものかと迷った故の行動だった。それを彼女はすぐに察してくれた。



 「私達は特段可笑しな者ではありません。あるじであるはたかなで様、それに仕えるわたくし宝仙ほうせん千火ちか、その目的も未来も決まっているわけでは無く、ただ日常を過ごし日々を生きる一般人」



 それは確かに偽りのない答えだった。俺達は普通に生きているだけだ。時々千火さんに訓練をつけてもらったりしているが、それを誰かに向けた事は無かったし、未来永劫振るう予定も無かった。先程の鞠猫を押さえつけたのが初めての暴力だったぐらいだ。



 「ただ────奏様に至っては不遇なる運命にあらせられますが」

 「半分淫魔であることですか」

 「如何にも。その生まれついての体質のせいで多くの不幸にも見舞われてきました。己の意思とは関係無しに異性と視線を交わすだけで『魅了』状態にしてしまう体質。数多の荒事に巻き込まれ、今ではその所為で女性に苦手意識を持つほどです」



 17年間───俺の人生はこの魅了の所為で散々な事ばかり、俺の今の人間としての基盤を作ってしまったのも過去に起こった思い出したくもない不幸な出来事のせいだ。



 だからといって俺はそれを誰かに分かってもらおうなどと思わないし、どうでもいいと吹っ切れて誰かにこの力を使って悪用するなど考えた事はなかった。それこそ鞠猫の話す事件になど全く関与していない。



 「なるほど……力に振り回される主ですか。しかしそれを言ってしまうと、千火さん────貴女の存在がよく分かりません。私も淫魔に魅了された人間がどのようになるかは見たことがあるので知っていますが、でも貴女は……そういう風には見えません。普通にしてらっしゃる。 ……一体何者ですか? 私とも渡り合えることから普通の人間とは思えない」



 俺は千火さんを見た。彼女は仙人である。



 俺自身仙人と云う者の定義は知らないし、知ろうともしてこなかったが、千火さんは自らをそう語った。そして調べなくても仙人とはどんな者なのか一緒に生活してきて分かった事は多い。



 逞しく、掴みどころがない。秋風の様に涼しげな雰囲気を常に纏い、時として飄々とし、余裕があり、一つの生物として可憐であり、浮世絵じみた空気が漂う。それはきっと人の姿でありながら、人とは違う領域に立つ事が出来た者だけが、放てる『凄み』なのだろう。



 上手くは言えないけど千火さんはそんな人だった。



 俺は千火さんが自分の事を打ち明けるのか気になって返答を鞠猫と共に待った。



 「いえ、わたくしは仙人です」



 千火さんは意外にもあっさりと答えた。臆する事も隠す事もなく。



 それを聞いた鞠猫は鳩が豆鉄砲を食らったような表情を晒すが、次の瞬間には少し怒りを含んだように笑った。



 「フ、フフ……せ、仙人ときましたか……なるほど」



 なにがそんなに彼女をイライラさせたのだろう。



 「……貴女が自分の素性を明かしたくないと言っていることはよく分かりました。貴女は私達の界隈の事にも詳しい様子ですから、まさか……とうの昔に絶滅したと言われる仙人を自称するとは……分かりやすい嘘はいいですよ。もう素性は聞きませんから」



 キッと睨む鞠猫に俺は少し困惑した。千火さんが言っている事は嘘ではない、少なくとも俺に打ち明けている素性と全く同じものだ。けれど彼女は勝手に嘘と認定して機嫌を損ねている。



 俺は鞠猫にその事を否定してやろうかと思った。けれど千火さんからの視線を感じてそれを止めた。



 千火さんの目は強く言及しなくて良いと訴えていたからだ。長年の付き合いで俺にも千火さんの人間性というものを少しは理解しているつもりだった。だから彼女にも考えがあるのだろうと口は閉ざした。ここは彼女に従うことにした。



 「────ええ鞠猫様、そうしていただけるならとても助かります。私の出生など少しも面白くはないですから。それに私は仙人であろうとなかろうと、それはここでの話の核心には関係の無い事柄ですから」

 「たしかにそうですね。私が求める物は一つです。巷で起きているカップル失踪事件に貴方達が関係しているかどうかです」



 またそれかと俺はため息をついた。チラリと鞠猫は俺を見るがすぐに千火さんに視線を戻した。



 「街で起きている怪事件。千火さん、貴女のご主人様は知らなかったそうですが貴女はどうです?」

 「勿論存じております」



 意外な答えだった。一緒に暮らしていてその事件を話題に出した事は無かったはずだったからだ。俺は咄嗟に千火さんに言った。



 「え、そうなの?」

 「はい」

 「でもそんな話題出したことなかったじゃん」

 「数回出しましたが、朝は寝ぼけ気味、夜は自分の好きなバラエティー番組やらスマホに夢中。 ……どうせ私の話など受け流し気味だったのでしょう」



 俺は何も言えなかった。確かに朝は弱くて朝飯を食いながら眠気と戦っているし、学校から帰ってきてからは宿題やら『色々』な用事のからの開放感で好きな事に夢中になってしまうのだ。千火さんの言っていることは何も間違えてなかった。



 千火さんは鞠猫に続けた。



 「────たしかに未曾有の怪事件でありますが……それが奏様に関係が?」

 「超常殺しを知っている貴女なら『組合』も知っているでしょう? ……組合はこの事件を淫魔による仕業だとしていて、その調査と原因の解明、場合によれば終息させることを依頼として出しています」

 「それを受けた鞠猫様が調べた結果、奏様がそうであると?」

 「ええそうです。私が街に張り込み昼夜調査した結果、この街にいる淫魔は────秦奏一人のみです。であれば必然的に犯人になるのでは?」



 その言葉と共に鞠猫は俺を睨んだ。まるで逃げられないぞと云う脅しを含んでいるものだった。



 そんな彼女に俺は少し居心地が悪くなる。交差する視線を俺から逸らすが鞠猫は一向に俺から視線を逸らす気がないのを感じていた。



 だが険悪な俺達の空気を切り裂いたモノがあった。それは小さな笑い声だった。溢れそうな笑い声を抑えようとする無理矢理に小さくしたソレは、限界なのか次第に大きくなり、遂には普通に笑っていた。それでもそれが上品なモノだったのは、笑い声の元が千火さんだったからだろう。



 なんとも楽しげに彼女は笑っていた。そうしてひとしきり笑うと千火さんはゆっくりと口を開いた。



 「……ま、まさか…鞠猫様の言う調査とは……まさかの虱潰しですか?」



 目の端に小さな涙を溜めて千火さんはそう言った。どれだけ面白かったのかその様子でこちらには伝わってくる程。そして鞠猫は自分のした事をこけにされていると理解し赤面した。



 「そ、それが何か悪いって言うんですか!?」



 そう強く言う鞠猫に千火さんは再び笑い出すのだった。

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