第14話 メイドとルナティックハンター

 

 閑静な住宅街に一際大きな家が見えた。周りの家々より三倍程大きなその家が俺の家だった。父が俺が生まれる前まで経営していたソープランドの富で建てた家だ。



 その家の太い左右の柱に備えられた背の高い門扉を開き、庭をズカズカと歩いた。



 「大きな家ですね」



 後ろから鞠猫まりねがそう言った。言われ慣れた台詞だ。誰もがこの家に踏み入れるとそう言ったから。特に反応も示さず俺は鍵を取り出すと玄関の扉を開いた。



 「────お帰りなさいませかなで様」



 チャイムを押したわけではないのに、待ち構えていたかのように千火さんが土間の先で優雅にお辞儀をし、そう言って迎えてくれた。いつもの事だ、さして驚きはしない。



 彼女は俺の後ろから登場した鞠猫を一目見ると、あからさまに優しく微笑んだ。



 「あら、斜め上の成果のようで何よりですね。話し合いには失敗したようですが、まさか当の本人を連れて来てくださるとは……」

 「まあな、でも頑張ったんだぞ? 多分また一回以上は死んだ」

 「ふふ……仕方のない人ですね。ですが連れてこれただけ良しとしましょう」



 俺と千火さんのやりとりを黙って見ている鞠猫に千火さんは向き直った。



 「本日はようこそおいでくださいました。お話は我が主から伺っております。ええと……」



 名前を知りたがっている千火さんに鞠猫は答える。



 「鴉皮からすがわ 鞠猫まりねです。貴方がこの奏君の言っていたメイドさんですか?」

 「どのような話をしたかは不明ですが、私こそ如何にも奏様のたった一人の使用人。此度はあるじに要らぬ嫌疑を掛けられているという事を耳にしましたもので、その誤解などを貴女様に接触し解くようにと申していたのですが……」



 千火さんはチラリと俺を見た。やれやれと感じているのがまじまじと伝わってきた。



 「連れて来てくださいとは言っていませんでした。しかし貴女様のように警戒心を中々解かぬ方々を説得するのも難易度が高いのもまた事実、連れて来れただけでも精励せいれいと評しましょう」



 と俺にしか伝わらない程度にトゲのある言い方で千火さんは答えた。



 その様子を気にもせず鞠猫は俺の前へ出て口を開いた。



 「貴女は私がどういった人間かは知っているんですか?」

 「ええ、確かに私の予想が外れていなければ……超常殺しとお見受けします」

 「そう……こちらの事情は知っているんですか……話が早くて助かります。 ───予め言っておきます。私がここに来たのは貴女のご主人様にある程度力を示されたからです。まだ完全に信用したわけではありません。彼を、当然貴女も」

 「ええ、それは勿論」

 「可笑しな真似をしてみて下さい。即刻切り捨てます。貴方が超常の存在でなくともです」

 「当然」

 「脅しではありません。私にはそれを言えるほどの準備と技量がありますから」



 強気に鞠猫は述べるが次の瞬間にはそれは凍り付いた。



 「────備えは確かに上等ですが、技量はどうでしょうか……」



 恐れる様子も無かった鞠猫。だが彼女の実力を疑う千火さんのそんな言葉が吐かれた途端それは崩れ去る。



 いつの間にか一本の剣が千火さんの右手に握られていた。俺も鞠猫も気が付かなかった程の一瞬。悠々と喋る彼女がいつそんなものを取り出したのか、どこから持ち出したのか、そんな疑問が浮かぶ。



 そしてそれは鞠猫も同じようで、しかも彼女の場合はそれに警戒心が上乗せさせるわけだから、当然敵地に於いて武器が持ち出されたのなら、臨戦態勢に入るのが当たり前だった。



 途端に背中に手を回し、背負ったコントラバスケースから剣を取り出そうとする鞠猫だが、ここで気が付く。



 ────ケースの口が開いていた。



 ほんの一瞬の間を置いて鞠猫は何かを察した様に千火さんの握る剣を見つめ直す。



 俺もそれに釣られて彼女の握る剣をよく見た。それはどこか見覚えのある形状をしていた。 ……いや確実に見たことのある剣であった。



 なんせ昨日……俺の首を刎ね、バラバラにした鞠猫の使っていた剣だったのだから。



 「良い剣ですね。恐らく名のある代物なのでしょう」



 鑑定するかの様にまじまじと鞠猫の剣を見る千火さんに、俺も鞠猫も動くことが出来なかった。きっと思っている事は同じだったろう。千火さんは一体いつ剣を奪い去ったのだろう……と。



 鞠猫と話す千火さんから視線を逸らす事はなかった、一瞬たりともだ。でも気が付けば千火さんは鞠猫の背負うコントラバスケースの中に入っていたであろう剣をその手に持っていたのだ。



 恐ろしくないわけがなかった。そしてそれは俺以上に鞠猫はそうだったはずだ。



 千火さんの人外なる技量に驚愕する俺だが、彼女の次にとった行動には更に驚いた。



 「な────ッ!!」



 柄を握っていた右手とは別に、空いていた左の手で刀身を強く握るとゆっくりをそれを引いたのだ。途端に剣が鮮血に濡れ、彼女の指の間から血が滲み出した。



 「なにやってんだアンタ!?」



 慌てた俺を千火さんは平然な顔で見返してきた。明らかに怪我をしている人間の表情とは異なっていて、俺は動揺した。



 「当然試し斬りです。なるほど……本物の剣に違いはないようです」



 彼女をよく知らない人からすれば異常者にしか見えなかっただろう。それは勿論鞠猫にとっても。



 奪われた剣。それで自傷行為を行う女。



 何が起こっているかは分かりかねるが、異様なのは確かだ。きっとそう鞠猫は思った筈だ。だからこそ彼女は手を制服のスカートに隠れているレッグホルスターへと伸ばした。そこには俺の体を吹き飛ばした一丁の拳銃が仕舞われているのを俺は知っていた。



 剣を奪われた今、危険を察知した彼女が残る武器を取り出すのは当然だった。



 しかし─────



 「いけません」



 鞠猫が銃のグリップを握ったところで、血に濡れた刀身が彼女の首元へと置かれたのだ。



 ────はやい



 目にも止まらぬ速さで行われたその行動に、俺は息を呑んだ。まったく攻撃などする素振りはなかったのに、鞠猫が銃を取り出そうとした瞬間に刃は当てられた。これが実戦なら既に鞠猫の頭と体は離れていただろう。



 千火さんが強い事は普段の生活から知ってはいたが、俺以外の人間にそれを振るったところは見たことがなかったから、改めて彼女の実力に驚嘆した。



 しかし俺はここでようやく事態の可笑しさに気が付いた。



 「ちょ、ちょっと千火さん! なにやってんだよ、折角話を聞いたり誤解を解く為にこうやって家に連れてきたのに、これじゃ意味がないだろが!」



 そうなのだ。鞠猫を招いたのは他でもなく俺の無害さや彼女の言っていた事件とは無関係の事を証明する為だ。俺だけでは無理だから第三者の千火さんを交えてそれを話そうとしていたのに、その千火さんがこんな行動をしてしまったら逆効果……いやそれどころか破綻する!



 「今すぐその剣を下げてくれ!」



 俺の言葉が玄関内に響く。沈黙する両者に俺の言葉が届いていないのかと不安になるが、鞠猫の首元からようやく刃が降ろされた。



 「分かっておりませんね……『坊っちゃん』」



 千火さんがそう言った。



 ────坊っちゃん。千火さんは何かを教える時、決まって俺のことをそう呼んだ。俺はそういう時決まって息が詰まる様な気がした。自分を容易く凌駕する存在に詰められている……そんな言葉にも表現し難いプレッシャーが生まれるからだった。



 そして今回、唐突に千火さんからそう呼ばれ、しかも客人の前でそんな呼ばれ方をされたものだから、恥ずかしさと緊張で俺はいつも以上に萎縮した。



 「元から私達はこの少女から信用などされてはおりません。我が家について来てくれたからといって私達が殺されないなどという過信はするべきではありません」

 「…………」

 「現に坊っちゃんは昨晩申し開きをする暇も与えられず殺されたのでしょう? ……そんな無礼千万なる者に信頼をおくものではありませんよ」



 千火さんは自身のエプロンで血に濡れた刀身を拭い出した。



 「坊っちゃんはどのようにこの鞠猫様を招待いたしましたか?」

 「く、詳しいことは省くけど……荒事で何とか説得した。俺がこいつの命を奪える状況に持ち込んで……」

 「────命を奪う存在ならば既に奪っていると無理矢理納得させたのですね?」

 「そう……」

 「確かにそれは良い方法です。現にこうして来てくださっていますから。 ……しかしそれは信用してくれたわけではありません」



 千火さんの視線が鞠猫を貫いた。



 「ただ相手の思う壺にはまっただけです」

 「……え?」

 「超常殺しは大半の者が過信家、慢心家……少しばかり常人より優れた力を手に入れたからと言って天狗になる者が多いです。恐らく鞠猫様も例外ではありません。力に舞い上がった者は相手の根城に足を踏み入れるという愚行の恐ろしさを知りませんから。 ……おおよそこの家に案内させ、私と貴方のどちらも消す魂胆だったのでしょう」



 俺は千火さんの言葉に驚きつつも鞠猫を見る。大きな瞳が力強く千火さんを睨んでいた。言っていることが図星のようだった。



 俺はショックだった。



 「鞠猫……まじか?」



 学校の更衣室での一件の時、彼女は俺の言葉に少しは心を許し、その拳銃での攻撃を止めたと……そして自分の負けだと認めたからこそ、この家まで来てくれたと思っていた。俺は……それで少しは心が通じたものだと思っていた。少しは信用を置いてくれたのだと……そう思っていた。しかし……俺の問いに答えない彼女に、それが甘えだったと嫌でも察してしまった。



 「坊っちゃん……貴方は少し純朴過ぎます。悪く言えば間抜けです。しかし今回は、その演技では到底実現出来ぬ間抜けさがこの超常殺しをここまで連れてくることを可能にしたのです。見事な手法です」



 そんな風に千火さんは言っているが、言外に彼女が俺を叱っているのが分かった。もう少し警戒しろと注意しているのだ。



 ……確かにそうだった。彼女の目的はあくまで事件の犯人を殺すこと。今の彼女の中でその犯人は俺なのだ。そして俺は千火さんなどという仲間がいることを会話の中で示唆してしまった。鞠猫は千火さんを第三者としてではなく、俺の協力者として考えたのだろう。



 犯人は単独犯とは限らない。複数犯ならばまとめてやっつけた方が効率が良い。 ……きっと彼女はそう考えたんだ。



 「さて────私達の思惑通り、鞠猫様……貴女にはきっちり話をして頂きましょう。逃げようなどとは思わないで下さいね? わたくし、手が滑って足を切り落としてしまうかもしれませんので」



 刃を拭き終えた剣を鞠猫に返す千火さん。白いエプロンは鮮血で生々しく濡れていた。



 顔色の悪く、固い表情でそれを受け取りケースへと鞠猫は仕舞う。家の奥へと千火さんが入っていくと靴を脱ぎ、従うように玄関マットに足を落とした。



 「────騙して申し訳なかったです」



 俺に背中を向けて語る鞠猫。家の中にゆっくり歩いて入っていく彼女の姿を見ながら、俺も一瞬間を置きそれに続いた。



 心の中は荒んだわけではなかったが、やはり悲しさはあった。

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