第13話 奏家に向かう
夕焼けの空の下コントラバスケースを背負った女の子、鴉皮鞠猫がついてくる。そして俺はその先を学校のジャージを着て先導していた。
彼女との戦いの後、鞠猫にたまたま教室のロッカーにしまっていた学校ジャージを取ってきてもらい、なんとか生きていた血塗れのパンツと革靴と共に身にまとうと、二人で更衣室を掃除して、彼女の魔法だか、魔術だか、なんとも不思議な力で壁に刻まれた弾痕などを補修し、その後お互いの事を知り合おうと云うことになったのだが……
俺が落ち着いて話を出来る環境の提供として、俺の家に来る事を勧めた為、この様な状況となっていた。
当然提案を当初拒否した鞠猫だが、俺が彼女を殺すならば首を絞めた時点でそうしていると話すと、渋々ながら納得し同意したのだった。
俺が背後を振り返ると、3メートル程間を取って、とぼとぼチマチマと彼女は歩を進めていた。
俺達の間に会話はなかった。彼女は黙ってついてくるだけ。その空気では流石に家まで俺の精神が保たないと苦手意識を持ち、口を開いた。
「そう言えば鞠猫さんさ……」
「鞠猫でいいです」
「え」
「殺し合っておいて『さん』付けされるのもモヤモヤするんで」
よく分からない理由をピシャリと言われる。しかしまあ、その方が良いというならそうするか。
「分かった。 ……鞠猫さ、確認するけど女だよな?」
俺の問いに彼女はあからさまに不機嫌そうに顔を歪める。
「だったら何か?」
「俺はお前が言うように淫魔だ。半分だけだけどな。俺には困った力があってな、それは女性であれば常時、無差別的に魅了の魔法をかけてしまうってもんなんだが……お前はかかってないよな? ……なんで?」
俺は昨日からの疑問を口にした。今まで千火さんを除いてこんな女性はいなかった。千火さんは長年の過酷な訓練を経て、魅了や他の精神催眠への耐性を身につけたと話してくれた事があった。鞠猫もそうなのか当然気になった。
「それは答えなくてはいけないことですか?」
でも鞠猫はそう言って質問を突き返す。
「答えて欲しいから聞いてんだろ?」
「個人の情報ですから、本来敵対する者などに答えたくはないですね」
「えー……」
それは辛い。切実にそう思った。俺としてもこの忌々しい瞳術は、どうにかなるならどうにかしたい代物だ。なんとしても聞き出してやると、頭の中で躍起になる自分がいた。
「頼むよ〜……俺だってこの魅了の力はなんとかしたいんだって」
「なんとかしたい? ふんっ……白々しいですね、貴方こそその力を利用してこの街の人々を襲っているくせに」
またそれか……
何かの事件だったか? 先程言っていた事を思い出す。
「なあ鞠猫、その事件ってのはなんなんだ? 俺基本的にニュースやら新聞やら観ないからよく知らないんだわ、教えてくれ」
「はぁ……呆れますね」
鞠猫はそう言ったが続けて話してくれた。
「──昨今起きている『カップル失踪事件』の事ですよ」
「カップル失踪事件?」
「不特定多数のカップルがある日突然襲われる事件が相次いでます。両者が二人でいる時を敢えて狙った事件であり、彼氏は現場で遺体で発見、彼女は行方不明となっている怪事件です」
「物騒だな」
「犯人の正体は分かっていませんが、恐らく犯人と思わしき者は
「なるほどね」
「……貴方のことを言っているんですよ?」
呆れた様な声を向けるが、俺は絶対に犯人ではないので敢えて反応はしなかった。
それにしても
自分以外の個体に出会った事がない俺は興味が湧いた。
「なあ、サキュバスってのは何なんだ?」
「はい?」
鞠猫は怪訝な顔をした。当然だろう、そりゃお前自身のことだろうと思われるのも当たり前だった。
「俺は自分以外の
俺の要求に彼女は少しだけ間を置いた。しかしさして反対する様子も見せず、あっさりとその口から淫魔については語られた。
「────人間の生命力を糧にする魔族、それが
淡々と語られる俺の血に半分流れているであろう者達の事。気になったのは雄の場合再生能力が備わっていない等の事だった。
「だとすれば……じゃあ俺は違うんじゃ?」
俺には再生能力がある。それに力も。虚弱体質とは程遠い気がした。
それに対しては鞠猫も思うところがあるのか、振り返って見てみると彼女も難しい顔をしていた。
「貴方の両親はどちらが淫魔ですか?」
「母親だな」
「では雌の血ですね。……それであれば本来サキュバスの子供は99%の確率で女の子なのですが……どうにも貴方の様な例外もあります。残り1%の確率ですがね。そしてその1%の確率の中でも更に稀な存在として生まれたのが貴方だって事なのでしょう。私も研究者ではないので断定は出来ませんが、生き物である以上不思議な個体が生まれても可笑しくはないでしょう」
「じゃあ俺はその極稀な存在だってわけか。……どうもありがとう。なんとなくスッキリした」
今までここまで自分の事について詮索出来る存在はいなかった。千火さんは色々と知っているようだったけれど、頑なにまだ知る時ではないとか言ってはぐらかされてばかりだったから、知ることが出来なかったのだ。まさかこの俺を殺した相手からここまで聞けるとは、皮肉なものだなと心の中でほくそ笑んだ。
そして俺は自分にやはりろくでもない存在の血が流れているのだと落胆した。まさかそのせいで二度も三度も殺されるとは……
辟易とした。
「それにしても証拠もないのに偶々淫魔用の探知器に反応しただけの俺を犯人として断定したってか……」
「一ヶ月間……一ヶ月間調べ回りました。その中で見つけられたのは貴方一人。疑わないわけがないじゃないですか」
「でも俺は何も知らない」
「でも貴方は淫魔──「だからなんだよ、俺が悪いってか? 俺だって好きでこんな体に生まれてきたわけじゃない。疑うのは勝手だけどな、俺はお前の中の淫魔がどういう認識なのか知ったこっちゃねーんだ。俺は自分以外の淫魔に出会ったことも見たこともないからな。でも俺はそんな人を襲うような事はしたこともない! 人を襲うなんてそんな恐ろしいこと……」
「…………」
俺の少し感情が露呈した声が人気の無い道に響いた。他の人が聞いたらヘンテコな会話だと思われた内容だろう。でも俺は言わずにはいられなかった。今まで自分の体に嫌悪した事は幾度もあった。そして自分に課せられたような運命を憎んだことも。でも、それでも、出来る限り胸を張って生きれるように行動してきた。それは嘘じゃない。やましい事も、後ろ指を刺されるような生き方もしてこなかったはずだった。
なのに嫌疑一つで明確な証拠も無いのに、疑われていることに声が自然と荒くなった。
なんとも馬鹿馬鹿しい女に狙われたもんだと奥歯を強く噛んだ。先ほどの更衣室での一件で傷付けたくはないと思ったことを少し悔やんだ。
「────鞠猫、お前ルナティックハンターとかいう輩なんだろ?」
「……知っているんですか。 ────だったらなんです?」
「今までこうやって俺みたいな境遇の奴に出会ったことは?」
「……さぁ、考えた事も問いを投げた事もなかったですね。倒す相手にこれだけ時間がかかっているのも初めてなもので」
「そうか。だったらこれからは聞いてから殺せ。俺みたいに自分の境遇に苦悩している奴もいるんだ。理不尽に殺されて気持ちのいい奴なんていない、お前だって犯人を倒して事件が終わったと思ったら真犯人がいて、善良な市民がまだ襲われている……なんて状況になったら嫌だろ?」
「……それは…まあ」
「だったら聞け。俺みたいな奴には話をしてやれ。俺は何も知らなかった。お前みたいな奴らがいることも、この町で起きていることもだ。俺からすればお前の方がよっぽど脅威だ」
「…………」
鞠猫の表情は崩れない。俺の事を全く信用していない見下しているような、射抜くような瞳の力強さが印象的だった。
元々彼女は俺を怪しんでいる。容疑者から向けられる説教のような主張を受け入れまいとしているのは何となく察しがついた。
表情を変えない彼女に分かっているのか、分かっていないのかは不明だった。
俺には相手を話し合いだけで納得させられるだけのスキルは無い。これ以上俺から何を言っても受け入れてくれる可能性は低いと思い、何も発さない彼女を諦め、俺は再び自宅へ向かって歩き出した。
俺は無意識に頭を横に振っていた。
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