第10話 奏と鞠猫
翌日の学校は敢えていつもより遅れて登校した。絶対に鴉皮 鞠猫が登校しているであろう状況で教室の扉を開けてやりたかったからだ。
出て行くのが不自然な状況下で席について俺は生きているぞと鞠猫に示しつけてやろうと思ったからだ。
そしてその企みは無事に果たされる。
教室に入るとすぐに気が付いた。人気者の彼女の席には男女問わずの囲いが出来ていた。彼女に対して質問を投げる数多の人間の囲いが。
彼女の事はその人の壁によって見えなかった。それはきっと向こうも同じ状況だっただろう。けれどその壁を構成する女子生徒の一人が俺に挨拶をしてきたのだ。
「おはよう奏君」
「ああ、おはよ」
俺は軽く返す。きっと壁の向こう側にいる鞠猫はとんでもない表情をしていることだろう。殺した筈の人間が学校に登校し、揚々と挨拶を交わしている状況など受け入れ難いものであろうから。
「よぉ〜、おはようさん奏」
隣の席の既に来ていた初芽が登校した俺にそう言って
「あれ、お前ブレザー着てないの?」
とすぐさま続けた。
昨日の出来事で着ていたブレザーやネクタイは死んだのだ。新しい物を頼み届くまでは必然的に上はワイシャツのみでの登校だ。どこかの誰かさんのせいでな。
「ああ、無くした。ネクタイも。ついでに財布やらスマホも。なんなら学校の鞄もな」
「なにやってんだお前」
死ぬ前までは持ってたんだとそう心の中で反論する。殺された時に奪われたか、はたまた海の中に俺の知らない間に落ちていったか。どちらにしてももう諦めていた。
「あ〜あ〜……しかしスマホも落としたのは痛かったな。俺なんてさっき鞠猫ちゃんのREIN教えてもらっちゃったもんね」
したり顔で初芽は言う。REINと云うのはメッセージを送りあったり無料電話が出来るSNSでスマホを持ってる人間が99%インストールしているであろうアプリである。
鞠猫を取り囲む生徒達が皆んなスマホを片手に持っている理由が分かった。
しかし鞠猫の連絡先か……それは早速利用しがいのある情報ではないか。
「へー……いいじゃん初芽。それ俺にも教えてくれよ」
「え? お前スマホないんだろ?」
「二台持ちの千火さんに借りた。とりあえずはこの代替機でなんとかする」
「あー……あの美人のメイドさんか。へぇ〜羨ましいかぎりですな」
「茶化すなよ。で、教えてくれんの?」
「俺は別にいいけど鞠猫ちゃん本人に確認も取らずに他人に教えんのは気が引けるわ。良いかどうか聞くから、後でいい?」
「勿論」
「てか、気になるならお前から聞けばいいのに」
「……その人の輪を掻き分けていきたくない」
「……それはそうだな」
納得した様子の初芽。彼には言わなかったが俺が一人の女子に堂々と接触すると周りが面倒な事を起こすのは分かりきっているので、なるべくはそういうのは避けたかった。
授業が始まるチャイムが鳴った。
必然的に鞠猫を取り囲んでいた群衆が席に戻る為散り
俺を見た彼女の目が大きく見開かれた。口を固く閉ざし、顔はまるで冷静を装っているが、俺には分かっていた。彼女が膨大な緊張と甚大なる混乱に支配されているのを。彼女の瞳が微震するのが初芽を間に挟んだ距離だというのに見て取れた。冷静を保つので精一杯って感じだった。
鞠猫からすれば幽霊との邂逅にも近いだろう。夢の出来事にも感じるだろう。だが残念、これは現実だ。交わされる視線は小さな嘲笑を見せつけて俺から外してやった。
そして授業が始まり半分も時間が過ぎた頃、初芽から鞠猫のREINアカウントが送られてきた。どうやら向こうも俺からの接触を拒む理由はないようだ。
俺は
「放課後にプール用の更衣室に来て」
とだけメッセージで送った。それは当たり前のように既読無視で返された。
初芽には先に帰ってもらい、俺は学校の野外プールに向かう。うちの学校には水泳部はないから完全に夏場のプール授業用の代物だった。
俺は枯れたプールを横目に更衣室に繋がる扉を握った。ここの扉の鍵はイカれている。何度もノブを回せば鍵は開く事を俺は知っていた。
中に入ってロッカーの並ぶ部屋の中央に一本線を描くように並んだ長椅子に座り、俺は鞠猫を待った。
代替機の写真フォルダを眺めて待つ事にして、フォルダの中が花の写真と俺の写真ばかりで埋め尽くされている事に気が付いてから10分程経った頃、漸く更衣室のノブが回される音を聞いた。
ドアがキィと音を鳴らし、開いた本人を迎き入れる。
鴉皮 鞠猫……間違えようもない本人であった。
その顔は険しく、言うならば仇を見つけというような様だった。
「よう、来てもらって悪いね」
「……何故生きているの」
「ま、そう凄むなよ。とりあえず座りな」
俺は自身の座る隣をポンポンと叩く。しかし彼女は意に反して俺と距離をとり、その腰を下ろした。俺は椅子の端に座っていたのだけれど、彼女も反対の端に座るもんだからお互いに両端に座る構図になる。距離はあるけれどこの部屋には二人しかいないのだから言葉が聞き取りにくいこともないだろうし、このままでいいか……
「聞きたい事は俺も沢山あるんだよね。でも今の質問にとりあえず答えるとしたら……再生してあんな冷たい海の中から脱出したから。それだけ」
「嘘!
声を軽く荒げて俺に強く言う鞠猫。クラスにいる時よりも若干気が強いような気がした。
「んー……なんかよく分かんない単語出してきたな。なに耐魔袋って?」
「…………」
フンスフンスと鼻息を荒くしながら彼女は黙る。恐らく情報を提供したくないと警戒しているのだろう。しかしそれでは俺も困る。
「答えろよ、話が先に進まないだろが」
「……貴方達の様な存在の力を押し留め、内部に封印する封印具」
封印って……またそんなフィクションみたいな単語を……。 千火さんを始め、鞠猫も臆面もなくそんなオカルトみたいな単語をよく口に出せるなと、非現実的な物を信用しろと強要されている気がして少しだけ億劫になった。
しかしあの布の頑丈さを思うにそれも嘘ではないようだ。俺も力には自信があるが、それでもあれは頑丈だった。頑丈過ぎた。それが封印具などという代物なら納得もできた。
「でも俺は生きてるぞ?」
「そう……だから可笑しいの。あれを破壊出来るなんて相当な上級の
え、あれって外側からチャックで開閉すんの? そんなのが封印って……
「貴方、仲間がいるんですね? その人に開けてもらったのでしょ」
「ちげーっての、あれは俺が自力で脱出した」
「絶対嘘! 貴方みたいな下級魔族がそんな力持っているわけないですもん!」
「そんなこと言われてもな……」
「証拠を見せましょう」
鞠猫はそう言って鞄から何か小さな水晶玉の様な物を取り出す。彼女が右の掌に置くと、それが白濁色に染まった。
「ほら、これが下級の魔族である証拠です!」
「あの〜……それは?」
「淫魔専用探知器です。近くにいる淫魔に反応しそれによって色が変化します」
「なーんだ、オカルトグッズか」
「オ、オカルト!?」
「その玉も、あの袋も壊れてんじゃないの? 俺が下級か上級かなんかどうでもいいけれど、俺には殺された意味が分からない。あんな闇討ちみたいな真似しやがって……お前絶対良い死に方しねーぞ」
俺が鞠猫というオカルト少女にそう言うと彼女の色白の顔が徐々に紅く染まりだした。
「よ、よくもそんな事をぬけぬけと……街の人を襲っている悪魔のくせに!!」
そうして叫ばれた言葉に俺は咄嗟に耳を塞ぐ。しかし身に覚えのない事をぶつけられた事にすぐに気が付いた。
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