第8話 メイド

 

 体感30分程だろうか。何者も来なかった駐車場に一筋の光が差し込んだ。



 一台の黒いスポーツカーがスピードを緩め、電話ボックスの側で座り込む俺の側で停車した。



 そして運転席側から一人の女性が降りてくる。



 黒いワンピースを纏った妙齢の女性。一般的に猫目などと称される瞳が特徴的な顔に、黒い長い髪を三つ編みにして、頭の後ろで一纏めにしたシニヨンヘアーがよく似合っている。細身でロングのスカートを靡かせるスタイルの良いその女性の名を、『宝仙ほうせん 千火ちか』といった。



 「奏様かなでさま



 聞き慣れたハスキーボイスが俺の耳をくすぐった。



 俺の裸を見ても少しも動じない彼女の手の上にはバスタオルがあった。俺は電話でバスタオルは持ってきてくれと伝え忘れていたと思っていたのだが、まるで分かりきっていたかのような準備の良さに驚いた。



 俺はそれを受け取る。少しだけ体についていた海水は乾き始めていたが、髪の方はまだ濡れていたので正直とても助かった。



 彼女はいつもそうだった。まるで俺の事を見透かした様な行動、言動をよくするのだ。



 ────彼女は俺のメイドである。



 昔、今の俺を決定付けた『その事件』のせいで心を閉ざした俺の元に父親が連れてきたのが彼女だった。



 俺の父はソープを10店舗も経営する凄腕の人間だった。そこで俺の母親と出会い俺が生まれたのだが、俺が9歳になる頃にその事件が起き、父は風俗経営から足を洗い、今の仕事に就いた。



 片親でしかも息子は心に傷を負っているときたら、一人きりするわけにもいかないと父は考えたらしく、そうして俺と千火さんは出会いを果たしたのだ。



 当初俺は猛反対した。一年掛けて父が俺の心の傷に寄り添える者を募り探していたのは知っていた。でも俺自身を傷付けた事件の発端こそ、俺の目を引き金にする魅力みりょうの力であると理解していたから、その対象になる、女性をまさか使用人として迎えるとは思わなかったのだ。



 だが彼女は言った。



 「────私は仙人です」



 と、そんな呆気に取られることを。



 「────貴方の淫猥いんわいなる瞳術どうじゅつなど児戯に等しいことを知っておいて下さい。そしてこれから私は貴方に凡ゆる困難に立ち向かうすべを教える……つまりは師としても貴方にお仕えする者であることもお忘れなく」



 師だと言うのに、仕える者……? 彼女の言葉にそんな矛盾を抱くが……



 「よろしいですね? ……坊ちゃん」



 そう言って俺を見下げ果てた表情で見つめる彼女の瞳が、言っていることは嘘ではないと、そして問答は許さないと訴えてきたのは今でも忘れられない。



 ガヴァネス気取りのこの女に恐れ逃げ出したくなるのが普通の反応だったんだろう。けれど俺は違った。今まで出会った女性の誰とも違う反応を示し、『常時魅了オートチャーム』も効かぬその仙人を自称する女にすぐさま信頼を抱いたのだ。



 媚びるわけでも甘言を漏らすわけでもないその人に、俺は今までの女に感じた事のないモノを感じ、受け入れた。



 そうして10歳の出会いから7年の歳月は俺達の距離を縮め……



 「一体こんな時間までどんな戯れを?」



 今ではそんな見下げた様な言動も日常的になっていた。



 声の調子で分かったがその声は少しだけ怒っていた。トーンなどはいつもの彼女の物とは変わらないが、長年の付き合いというものか、理由は明確に言えないが、すぐにそうと分かった。



 「えー……っと…… 端的に言うと、殺されました」

 「は?」



 ちゃんと説明しろと言外に言われているのはすぐに分かった。



 「とりあえず車の中で話すよ」



 俺としてもこんな場所でいつまでも全裸でいたくはなかったので、千火さんの持ってきてくれた服一式を急いで着て、車に乗り込んだ。



 車に備えられたデジタル時計は12:03と表示されていた。俺が最後に時間を確認した時から5時間近く経っているではないか。千火さんが怒っている理由が何となしに分かった。



 深夜まで連絡をよこさなかった事で彼女に心配をかけてしまったのだろう。当然か、高校生がこんな時間まで連絡一本もよこさなければ何かあったのかもしれないと思うのが普通だろう。



 運転席に千火さんが乗り、車を発車させると俺はすぐに謝罪の言葉を口にした。



 「こんな時間まで連絡しなくてごめんなさい」

 「……まったくです。あと30分遅ければ警察沙汰でした」



 開口一番に謝ったのが良かったのか、その言葉は少し柔らかだった。



 「まあしかし……そのご様子と先ほどの言葉で何かあったのだろうとは思いますが。話して下さいますか?」

 「……中々にひでぇ話だよ」



 俺の頭に黒い少女の姿が思い返される。



 「俺の事を淫魔と知っている人間から殺された」

 「……ほう」

 「首を撥ねるだけじゃ飽き足らず、バラバラにして袋に詰めて海に捨てやがった。……殺すつもりで事前に準備してきた可能性が高い」

 「それはそれは」



 千火さんの声は興味あり気だ。当然彼女は俺が人間と淫魔とのハーフであると知っている。父親を含めればその事を知っているのは世界中で二人だけの筈だが……



 鴉皮からすがわ 鞠猫まりねはそれを知っていた。



 殺された理由は知らないが、その情報が漏れたのは確かだろうと俺は思った。だとすればこの世で唯一俺の事を知っている二人に絞られる……



 父親は……ありえない。俺の唯一の肉親がそんな事をするとは思えない。俺を襲った事件を誰よりも悲しみ、医療ではどうにもならないこの体を恨み、憎み、謝ったあの人がそんな事をするわけがない。



 ならば千火さんが……? そんな事は思いたくはなかった。けれどそうと思ってしまう弱い自分がいた。



 「フフ……奏様、わたくしを疑っておりますね?」



 突如怪しく笑いそう言う彼女に、喉の奥がキュッと締まった。



 見透かされている────



 つくづく思った。



 「……ありえませんね」

 「……え?」

 「私が貴方の情報を漏洩させることです」

 「な、何故そう言い切れるんだよ……」

 「貴方は私の可愛い教え子ですから。他者に半淫魔ハーフサキュバスであることを言う利点がありません」



 り、理由にならねぇ〜〜



 そんなツッコミを心の中でする。流石にそれを口にするのは勇気が出なかった。また不機嫌になられても困るし。



 「でも金を積まれたとか……」

 「ほぅ、奏様は私が金を積まれれば主人を売る女に見えると?」



 あ、失言した。ジロリと後部座席に座る俺を睨む運転席の千火さんに俺の体は強張った。折角余計な事は言わないようにと気を付けていたのに、これでは意味がないと思った。



 すぐに千火さんは前を向き直り言葉を続けた。



 「ありえませんね。金銭に興味はありません」



 そっけなく言う彼女にその言葉は嘘じゃないのだろうと分かった。



 「奏様……そんな不毛な問いをする貴方様に聞きたいのですが────」

 「うん?」

 「貴方、殺されたと言いましたが、一体どのように?」



 まさかの質問だった。まさか被害に遭った人間にどんな殺され方をしたと問う人間がいるとは。それがまさかの自分のメイドからだとは悲しいもんだなと思いながらも俺は言う。忘れもしない、銀色に光る剣を。



 「剣だよ」

 「剣……ですか?」

 「そう。なんかね……結構でかいヤツ。映画とかゲームでしか見たことがないような立派なヤツで首を刎ねられた」

 「この銃社会の世の中でですか?」

 「……え?」



 そう言う千火さんの言葉に俺は言葉を詰まらせた。確かに言われてみれば可笑しな話だった。なんでこんな現代社会で人を殺すのに鞠猫は剣なんか使っていたんだ?



 音の心配をしているのなら静かに弾を撃つ物があるのは俺でも知っているのに。それにあんな立派な剣をわざわざ用意するのも大変だろうに。



 「予め奏様の素性を知っていた……立派な剣……」



 千火さんが黙る。思案を巡らせているのが分かった。



 「奏様、恐らく相手のことが分かりました」



 そうして確信めいた様に口を開く。



 「相手は『超常殺し』……ルナティックハンターの者でしょう」



 そんな聞き慣れない名称に俺は黙った。

 

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