第7話 納体袋のバラバラ奏

 

 時刻20時22分────



 住宅街に肉を断つ音が響いた。骨を砕く音が響いた。何度も幾度も響いた。響いていたが、何者もそれに惹き寄せられることはない。



 それはきっと『はた かなで』が生きていたとして、首を切り落とされていたとして、まだ叫ぶ事が可能だったとしても、この道に人間が通ることはなかっただろう。



 彼女───鴉皮からすがわ 鞠猫まりねが事前に人払いの呪術を辺り一面にかけておいたからだ。



 彼女がこの街に来た理由こそ、秦奏……淫魔を殺すこと。事前に人目を避ける準備はしておくのが当然だろう。



 「よいしょ────」



 冷めたアスファルトに大きな血溜まりが広がっていた。道脇の乾いた排水路に血が流れ込む。異様な光景だ。



 その中で際立つ可憐なる存在の少女は、その手に持つ両手剣で何かを切る事に没頭していた。そうして一息つく。



 「─────これくらいバラバラにすればいいかな」



 足元に散らばる肉片。それは元クラスメイト、秦奏だったものだ。今ではその人間だった構造は原型を留めてはおらず、鞠猫の手で大小様々な20〜30個程度の肉片に変貌を遂げていた。



 鞠猫は徐に背負っていたコントラバスケースを血溜まりから避けたアスファルト上に置くと、その中から折り畳まれている布状の何かを取り出すと広げる。



 それは死体などを入れる所謂『納体袋』と呼ばれる物であった。チャックを下げると慣れた手つきで彼女は肉片をその中に投入していく。そうして全てを入れ終わるとコントラバスケース内に入れ、ケース内から再び何かを取り出す。それは人差し指程度の大きさの小瓶であった。



 彼女はそれの蓋を開けると、血溜まり上にポタリと垂らした。



 するとどうだろうか。月明かりに照らされていた鮮血がまるで沸騰するようにブスブスとあぶく立ち、瞬く間に消え失せのだ。まるで蒸発する様だったが、その場に血の痕跡さえ残さないのは、奇怪と言えた。



 だが、少女はこれをどうにも思わず、その手に持つ剣と納体袋をコントラバスケースに収納するとケースを背負いその場を後にするのだった。











 ────俺を覚醒に最初に導いたのは痛みではなかった。



 頭を覆う冷たい水の感触、それが俺の意識を現実へと一瞬で引き戻した。辺りは闇に包まれていた。そして一切の呼吸を許さない息苦しさも。



 痛みが追随する。それどころではないのはすぐに分かった。俺が今どんな状況に陥っているかは知らないが、どうやら水の中へと落とされたようで、呼吸がままならなかった。



 すぐに真っ暗闇の中、どちらが上か下かも分からない状況で、必死にもがこうとするが、俺の体の感覚が無かった。



 ────ああ、そうだった。



 俺は自分の記憶をフラッシュバックのように思い返す。



 俺はクラスメイトの鴉皮からすがわ 鞠猫まりねに首を落とされて殺されたのだ。もしかしたら俺の体は既にどこかに行ってしまったのかもしれない。それが想像出来た俺は神経を研ぎ澄ませる。失せたであろう体のイメージを膨らませた。



 幼少の頃から俺は傷の治りが早かった。いや、早いなんて話ではない。ブランコから落ちた際に負った深い裂傷でも一時間もしない内に傷跡も残らないほど綺麗に治癒したし、上り棒から落ちた時に右手首を折った時も、泣き喚いている内に治ってしまっていた。幼いながらに不思議だなと思っていたが、それが淫魔サキュバスの血の為せる技なのだと知るのはそう遠くない未来のことだ。



 そして今現在……俺は再生力によって次々と俺の首から下が作られていくのを感じていた。胸……腹部……太腿……足先。痛みが皆無になったことで、全部分の再生が終わったことを理解。水の中では難しいことだが、必死に瞳を開き、上か下かを確かめようとする。しかし頭を上下させようと、辺り一帯は闇に包まれていた。



 俺は深海にでも落ちてしまったのかと不安になるが、そんな馬鹿なと手を伸ばす。するとどうだろうか指先が何かに触れたのだ。すぐにそれを握ってみると、それが腕であることが分かった。嫌な予感がして周りを再度探る。触れた物を握ると今度は靴の形が分かる。



 なるほど、首だけじゃ飽き足らず鞠猫は全身をバラバラにしてくれたようだ。残酷なもんだなと思いながらそれらを離し、再び手を伸ばした。



 指先に布のような感触が生まれる。素早くそれを探ってみるとそれが辺りを包んでいることが分かった。



 この布が俺を覆っている所為で辺りが闇のように感じていたのか。そう察して破ろうとするが、それは強固であり俺の意に反し微塵も破けようとはしない。



 自慢じゃないが俺は腕っ節には自信があったが、布はそれを嘲笑うかのようだった。そんな苦戦している内に俺の我慢は限界まで登り詰めていく。



 ─────くそ、くそっ!!



 焦る気持ちを嘲笑うかのように布は裂けようとはしなかった。そして俺は遂に限界を迎える。喉の奥が詰まるような感覚。頭が上手く働かなくなった。



 俺は溺死した。








 そしてその何秒か後……




 俺は目を開け、起きる。まるで自分がどんな状況下に置かれ、どんな事をしなくてはならないのかを分かっているかのように。いや、まあ分かっているんだけど。



 俺の体は再生力によって死の淵から再びこの命を繋いだのだ。



 俺の体は再生力は我ながら驚嘆する。たとえ怪我をしていなくても死んだ状態であれば再び『命』を再生するのだから。



 いや……今はそんな事を再確認している場合ではない。とりあえずこの状況を打破することを優先しなければ。



 俺は布を引っ張り破く事を諦め、ただ静かに構える。右腕を引き、まるで水の中で正拳突きをするような構えになる。



 この身に流れる忌むべき淫魔の血。その血がもたらした超再生力。そして怪力。 ……今だけはそれをフルに活用してやる!!



 そう覚悟を決め、俺は右手の突きを繰り出した。



 右手の先の布がたわみを張らせる感触。そしてその張った瞬間にそれが裂けたのを感じた。



 ────よっしゃ!



 穴が空いた事を感じた俺はその裂け目を両手で掴み、一気に布を開き裂いた。



 その瞬間であった。真っ暗闇の中、一つの光芒を見つける。たった一つ暗黒の水の中でもゆらりと揺れる一筋の光。目指すならそれだと思い、俺は一気にそれを目指して泳いだ。必死に。



 そして水を掻く幾度目かに、水とは違う空虚な物を掻く感覚が指先に生まれる。確信と共に俺は最後の一掻きに力を込めた。



 「………ッッブァ!!」



 水から飛び出した感覚と共に、俺は助かったのを感じた。自ずと俺の体の中から水が吐き出される。



 咳き込みながら少しずつ肺が酸素に満ちるのを感じた。助かった……助かったんだ。



 息荒く辺りを見渡してみると自分が今どんな所にいたのか、ようやく分かった。



 辺りは波立つ海に包まれていて、少し離れた所に防波堤があるのが見えた。そして灯台が光を放っているのも。



 「……しょっぺぇ」



 先程まで焦りで感じなかった塩辛さにそんな感想を吐き出した。余裕が生まれた証拠だった。俺は暗い夜空を見上げた。ポッカリと浮かぶ満月が俺を見下ろしていた。どうやら俺はその月が助かる道標になってくれたようだ。そう理解すると心底愛おしくなった。



 いやいや、ロマンチストな心境になっている場合ではない。まさかまさかの俺は殺された後にこんな海に放り投げられたようだ。なんとも悲しい話だが、悲観もしていられない。



 防波堤を目指しながら泳ぎ出し、俺は思い出す。俺を殺したのは確実にあの鴉皮 鞠猫である。



 「淫魔サキュバスを切りに来ただけ───」



 その言葉を思い出す。



 その言葉から分かるように、彼女は淫魔サキュバスの事を知っていて、その血が流れる俺を狙って殺したのだ。彼女が通り魔で、相手は誰でも良かったわけでは決してないだろう。



 俺が半淫魔であることを知っている人間は限られてくる。父親ともう一人しかいないはずだが────



 俺はなんとか海を泳ぎ切り、消波ブロックを登り、防波堤に移る。辺りを再び見渡してみる。そこは夏場には海水浴場として人で賑わう『古町岬ふるまちみさき』と呼ばれる海岸であった。自分も何度か来たことがあった為すぐに分かった。



 よりによってこんな馴染みの深い場所に捨てられるとは……悲しいものだ。



 俺は岬の利用者用に作られた駐車場に下りる。人気の無いのは寧ろありがたかった。今の俺の『全裸』の格好を誰かに見られたら海がすぐそばと言えど通報されかねないからだ。



 兎に角助けを求めるのが先決だが、出来れば身内に助けに来て欲しい。警察はややこしい話になるからダメとして……



 俺はその駐車場に、今は少ない公衆電話ボックスがあるのを知っていた為、それを目指す。俺が見つけると以前と変わらずそのボックスは夜の中で静かに光り、自分はここにいると存在をアピールしていた。



 と、ここで気がつく。俺は今何も身につけていない状態だ。服を始めとして、当然持っていた財布も何も無い。どうやって電話をかけるというのか。



 非常用のボタンを押せば警察や消防署には繋がるだろうが、それでは意味がない。俺は必死に金が落ちてないか辺りを見渡す。



 そしてふと目が移る自動販売機。



 「……まさかね」



 馬鹿馬鹿しさを抱きながらも一応釣り銭の落ちるポケットを漁ってみる。しかし信じられないことにそこには十円玉が一枚だけ入っていた。殺されたり十円儲けたり、ついているのかついていないのかよく分からない日だなとしみじみ思った。



 とりあえず電話をかけることは出来る。すぐさま電話ボックスに入り俺は『自宅』へと電話をかけた。



 「はい、はたです」



 聞き慣れた声が聞こえてきた。



 俺は十円を使って電話しているということもあり、素早く要件だけ伝えることにした。



 「千火ちかさん、俺だ、かなでだ。何も言わないで服一式を持って車で古町岬ふるまちみさきまで迎えに来てくれ。頼んだ」



 ズルズル詮索されるのは分かっていたから俺は一方的に電話を切る。とりあえずこれで助けは来る。千火さんは俺の家でとある事情から使用人メイドをしている女性だ。信頼は出来る。



 ボックスから出ると、電話ボックスに背を預け、俺は座り込んだ。ようやくとんでもない1日が終わるのを実感した。



 それにしても鴉皮 鞠猫か……



 「過激派ヤンデレ少女くらいキャラが強い子だといいな───」



 そんな初芽の昨日の発言を思い出す。



 ヤンデレかどうかは知らないけど、過激派なのは確かだぞ……



 そんな事を苦笑しながら思った。

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