第5話 一緒に帰る
魔の放課後がやってきた。俺と一緒に帰る初芽からすれば月曜から金曜の五日間の中で一番気が引き締まる時間がこの放課後である。
俺も初芽も所謂帰宅部であり、学校から直帰するなり寄り道するなり自由な人種なのだが、その『帰る』と云う行為にも俺達の場合、緊張感が生まれるのだ。
「おーおー今日も沢山待ち構えておりますな」
そんなウキウキしたような声色で初芽が言う。三階の廊下の窓から望める校門の光景を観ての言葉だった。
俺もチラリと視線を向ける。
横幅5メートル程の校門。それを塞ぐように、そしてその周辺を囲むようにして、まるでバリケードのような女子生徒の群れがそこにはあった。
「んー……密集している部分だけでも直径15メートルはあるかもな」
初芽のその言葉は特に群れた所を指しての言葉だが、俺はゾッとした。下校する生徒達がその女子生徒の群れを掻き分け、必死こいて校門を過ぎる姿に恐れを抱く。
所謂出待ちというやつである。俺の魅了の餌食になった者が、この放課後という時間が始まるこの時に、彼女達は俺と一緒になる機会を逃すまいと、校門の前で出待ちするのだ。そんな光景は月曜から金曜までずーっと続けられる。緊張しないわけがなかった。
ただでさえ大勢の女がいるって云う状況がトラウマだってのに、ぱっと見100人くらいはいそうな光景に吐き気を催すなと言うのが無理な話だった。
「あ、奏見ろ!」
初芽が窓から指をさした位置に目を向けてみると、校門の外に見慣れない制服姿の女子がチラホラいるのが見えた。
「他校だ! 他校からの勢力が今日はやってきているぞ!」
面白そうに言う初芽と頭を抱えたくなる俺。両極端な二人がそこにはいた。
憂鬱だが、その校門から出なくては帰路には着けない為、どう足掻こうとも挑まなくてはならない。裏門も一応あるが、横へスライドする門の故障とかで今は閉じているのだ。放課後は生徒がその門をよじ登って利用しないように監視役の教師が一人立つことになっている為、あてには出来そうにない。
渋々下駄箱場へと向かう俺達。そこでふと、不思議な感覚に囚われる。
あまりに静か過ぎるのだ。放課後だというのに廊下には俺達しか歩いていない事に俺は気が付いた。
俺達二年生の教室は三階にあるのだが、廊下には人っ子一人いやしない。たまたまかと思ったが、二階に降りてみても人影は無く、異様さは一層深まった。
そして当然のように一階に降りてみても廊下には誰もいなかった。
「なあ初芽、なんで今日は人がこんなにいねーんだ?」
「あん?」
俺の問いに初芽もキョロキョロと辺りを見渡すが、彼の視界にも誰も映りはしなかったようだ。
「本当だ〜……ま、そういうこともあるだろ」
楽観的というか危機感がないというか、彼のそんな答えに肩の力が抜けそうになる。
────そういうこともある……たしかにそんな事を言われてしまえば、そうなんだけど……
俺にはなんだか不思議な感覚に感じられて仕方がなかった。
「───あの〜……」
そんな時だった。俺達の背後から声をかけられた。
こんなに
そこには真っ黒な髪の女の子、
「おー、鞠猫ちゃんじゃん。どーしたの?」
鞠猫の登場に歓迎するかの如く
「あ、あの……」
「うんうん」
「よ、よかったら一緒に帰りたいな〜……とか思っていまして……」
顔を赤くして鞠猫はそんな申し出を口にした。俺と初芽は顔を見合わせる。
正直そういう類の話は珍しくなかった。というか毎日起こる。大勢の女子生徒達から下校を共にしたいと言われるのは慣れたイベントだった。だからこそあの様な校門前で待ち構えるなどという行動に彼女達がでているのだ。なので俺達にとってはそれは普遍的な申し出に過ぎないのだが……
「今日関わった方の中で御二人が一番深く関われた気がしまして……も、もしよろしければ一緒に下校する事でもっと仲良くなれたらな……と…」
なるほど。彼女の言うことは分かった。俺達と単純に仲を深めたいということなのだ。
今日関わった中で一番か……確かに今日は彼女とよく話したかもしれない。主に初芽が。
好きな食べ物は?だの、嫌いな芸能人は?だの、授業中にも拘らず、質問攻めにして彼女を困らせていたぐらいだ。そのせいで教師に叱られたのも二度三度ではなかった。
一方の俺としても、俺の術にハマっていないであろう彼女とは遅かれ早かれ仲良くなりたいとは思っていて……初芽ほどではないにしても彼女と話したいと考えていたが、どうにも自分から女子への関わり方っていうもんを知らない俺は行動にさえ出てはいなかった。
だから俺自身が彼女と友達としての関係を築けるのはまだまだ先のことだと思っていたが……まさか向こうから来てくれるとは……嬉しかった。
「どーする?」
隣の初芽がそう聞いてくる。俺は咄嗟に勿論良いさと答えそうになるが、
───待て……術にかかってもいないやつが登校初日から初めて出会ったクラスメイトに自分の方から一緒に帰ろうなどと持ちかけてくるか?
そんな推察が浮かんだのだ。
登校初日の緊張する状態で自分から元々出来上がっているコミュニティに入っていくのは中々に至難の技だ。勿論むかい入れる側の俺達から誘えばそれも入りやすいと言うもんだが、彼女は今自分から入ってこようとした。パッと見、緊張は解けていないと見て取れる様子なのにも拘らずだ。
────もしや本当は俺の『魅了』にかかっているのでは?
そんな疑いが生まれてしまう。
魅了にも多少なり効果に個人差はある。
彼女の場合、それが軽度のモノであるとするならば、俺のセンサーにも引っ掛かり難くくなっている理由としては納得がいく。
彼女が何故『魅了』されないのか疑問に思っていたが、まるでパズルがピタリとハマるように納得が生まれた。
ならばこの子も他の子達と同じだ。所詮は俺の術によって感情を操作された子なのだ。
そう分かってしまうと途端に俺の熱くなっていたモノは電源を抜いたように冷め始めた。
「ま、いいんじゃね」
「あ、ありがとうございます」
だが、ここで軽く蔑ろにしてしまうと学校内の俺の評判が悪くなる。ここは人が良いように受け入れる事にする。
歩き出すと鞠猫は俺達の後ろをチョコチョコとついて歩き始めた。まるで本当に猫みたいだった。
「珍しいじゃん」
意外だと言うように隣の初芽が俺に耳打ちしてきた。
「お前が女の子と一緒に帰っても良いなんて言うなんて」
「そんな事ない。要望されたら俺はいつでも良いよって言ってたろ」
「あん? そうだったか? まあいいや、どうよ鞠猫ちゃん、気に入ったか?」
「別に」
「あらそう? じゃあいつものアレやります?」
「当然。ついて来れないならそれでいいし」
意味深に聞いてくる初芽に俺は漫然と答えた。彼が聞いてきたのは、俺達の中では最早放課後の恒例となっていた『行動』の事だった。……詳しいことは後々分かる。
「それにしても……鞠猫ちゃん、その背負ってるの楽器のケースでしょ?」
「は、はい! コントラバスです」
「すげーね、弾けるんだ」
「そこまで上手くないですけどね」
「いやいや、それでも音楽センスあるっていうのは羨ましいこのうえない! それに学校にまで持ってくるとは……相当だね」
「まあそうですね。これは私の魂と言っても過言ではないですから、いつでも一緒です」
そんな初芽と鞠猫の会話を聞きながら下駄箱場で靴を履き替え、俺達は玄関を出る。鞠猫が背負っていたやたらとデカいポリエステル素材のケースはコントラバスのモノだった。音楽にそこまで知識が深くない俺はギターかと思っていたが、どうやら違うようで少しだけ一人恥じた。
玄関を出た俺達の存在に気が付いた女子の群勢が一斉に視線を向けてきた。俺の背筋がブルリとする。
未だにあの獲物を狙う様な、この視線には寒気を覚えるのだ。
「────くるぞ」
「え?」
俺がそう鞠猫に言った途端だった。
女子の群勢が一斉に動き出したのだ。黄色い声援をあげながら、まるでタイムセールに群がる主婦の如く、素早い動きで一斉に俺達に向かってきた。
「な、なんですかアレ!?」
畏怖した様子で言う鞠猫。そりゃ誰でもそうなるだろうさ。……俺と同じ時間を共にしたい……誰にも渡さないと、それだけを考えて向かってくる様は狂気以外の何モノでもなかった。
「奏の出待ちだよ」
「ええ!?」
初芽の言葉に驚く鞠猫。俺もここで鞠猫に大切な事を伝える。
「鞠猫さん……予め謝っておくわ」
「え?」
「一緒に帰ると言ったけど……あれは少しだけ嘘だ」
「え、えぇ、え!?」
「厳密に言えば────この群勢を潜り抜けられたら一緒に帰る……ってのが正しいな」
「はい!?」
「俺と初芽は毎日の事で慣れているから無事に潜り抜けられるだろう。けど、君は中々に厳しいと思うよ。彼女達の壁は中々に厚く、無理矢理突っ込んだなら揉みくちゃにされ大怪我を負いかねない」
「…………」
「そして駆け抜けたとしても彼女達は追いかけてくるから、暫くは走り続けなくてはならない。だから俺も初芽も手助けは出来ない。自分の事で精一杯だからね」
「ちょ、ちょっと待ってください!
「そんなもん隣にいる奴への嫉妬だよ」
「…………」
あっけらかんと初芽が答えた。それにドン引きしたように鞠猫は顔を引きつらせる。
「もう、彼女達が迫っているから、つまりは言いたい事を言ってしまうけど……」
「…………」
「────ついてこれなければ置いていく。以上」
俺がそう言うと鞠猫の愛らしい顔がクシャリと歪み悲壮に満ちた。
そして俺と初芽は走り出し恐怖の大群勢に挑んだ。
駆け出し、突っ込む。高まる歓声と押し寄せる人の手や圧力。むせ返る程の女の匂い。服に着いた洗剤や制汗剤の香りもこれほど集まれば悪臭だった。
人と人の隙間を縫い走る。スライディングで滑り込み股抜き。捕まえようとする腕を避け、別の人間を掴ませる。俺と初芽はあらゆる技術を用いてどんどん女子の群れを駆け抜けていった。いつもやっていることだ、容易い。
「キャァァア!! イヤァァ!!」
そんな声が後方から聞こえてきた。十中八九鞠猫の声だ。どうやら女子の波に呑まれたらしい。
哀れだが、俺達にはどうしようもない。すまない鞠猫さん。
なんとか波を潜り抜け、追っかけてくる女子達も振り切り俺と初芽はようやく道の端で一息をついていた。
暫く待ってみたが鞠猫の姿は一向に見えなかった。
当然だ。行き先もどの道を通るなども伝えてないのに追ってこられるわけもないのだから。
「連絡先聞いときゃ良かったな」
アスファルトの上にへたり込んだ初芽が空を仰ぎ見て呟いた。
「別にかまいやしないだろ。ついて来れなきゃ置いていくって言ってあるんだから」
「冷たいね〜……折角友達になりたいって言ってくれたのに。ま、あんな持ちかけしてくる女子は奏にとっちゃ有象無象か」
別に特別扱いする必要もないだろう。所詮は『
「
「お、いいね〜」
少しでも期待した馬鹿な自分を早く忘れたい。俺はそんな愚かしい自分を食欲で押し潰してしまおうと考え、その歩でバーガーショップに向かうのだった。
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