第3話 鴉皮 鞠猫
当たり前のことだけど俺の意思と関係なく転校生は到来した。
「
黒板になんだかとんでもない綴りの名前を書いたその少女はペコリとお辞儀した。
太腿の位置まで伸びた漆黒の髪。大きな黒い目。整った顔立ち。やたらと小さな背丈のその子は『愛らしい』が相応しい、名前の字如く猫の様でありつつ、真っ黒な鴉とも言える女の子であった。
それは男子生徒達よりも早く女子生徒達の庇護欲を一気に駆り立てたらしかった。
「「「可愛いぃぃいい!!」」」
女子の黄色い声が一斉に上がる。可愛い〜じゃなくて、可愛いぃぃぃなのが
その女子達の勢いに男共は俺を含めて圧倒され、何も言葉を発せられない。
この
俺のクラスもその例に漏れず女子達は美人が多かったが、平均値の高いその中でも鴉皮鞠猫は負けていないくらいに愛らしくも、美しかった。
狂喜乱舞する女子生徒に定年間近の温厚なおじいちゃん先生、佐野先生もどうしていいか分からんとあたふたしている。
「み、皆さん落ち着いて……」
そんな制止の言葉は聞き入れられることはなく……
「可愛いぃぃんっ!! お人形さんみたいぃ!」
「ハァハァヤバイ!ヤバイ!」
「はぁぁん〜なにこれ尊み〜尊みレボリューションなんですけど〜〜」
「ラブ!鞠猫ちゃんラブ!推し確!推し推し推し推し推し推し推し推しぃ!!」
誰も彼も精神病なんじゃないかと思うほどに発狂する様相に恐ろしさを覚える。でも確かに愛らしい子だ。これで人気が出ないなら最早世界の方が可笑しいだろうと言っても過言ではないぐらいには。ならばこの反応も当然なのかもしれない……いやそれは絶対可笑しい。
その後なんやかんやで、鎖を解かれた狂犬の如く女性陣をなんとか宥めた先生は鞠猫の席を指定した。
「では窓側一番後ろの席を鴉皮さんは使って下さい」
「はい」
猫の首輪の鈴がなるように、通る声で鞠猫は答え、席に向かって歩く。道中の男子の熱い視線と、女子達の獲物を狙う獣の鋭いソレと母親の寵愛のソレが混じり合った混沌の視線を受けながら。
彼女の席は
「よろしくね」
そんな挨拶を親友である初芽が鞠猫にする。なんと幸運な事か。我らが親友は人気の転校生の隣の席であるのだ。
そして不運なことに俺の二つ隣がその転校生である。つまりは窓側から横に鞠猫、初芽、俺の順になるわけで……
「よろしくお願いします!」
快活な挨拶をする鞠猫にヘラヘラと初芽が会話しているのが分かる。
「鞠猫ちゃんどこから来たの?」
「え……ほ、北海道の方からです!」
「あ、そう、いいね北海道。飯が美味いでしょ〜いいね北海道。いや、俺は行ったことないけどさ」
「いいところですよ。一度は行ってみてください」
「あ、そう? じゃあ鞠猫ちゃんに観光案内してもらおうかな〜……なんつってね!」
「は、はぁ」
お前はキャバクラのジジイか。そんな感想を抱く俺だが、先程から俺は机に伏せている為、これらは全て耳から聞いた会話からのものだ。
何故俺が机に突っ伏しているかって? ……これにはしっかりとした理由があってですね、実は俺の『
「俺の名前は森桃初芽。気軽にモモちゃんって呼んでね」
「よろしくお願いします森桃さん!」
やーい、スルーされてんの。親友の醜態に俺は意地悪く心の中で笑ってやった。しかしどうしたことか、それがバレたのか、初芽が突然信じられない事を言ってきやがった。
「で……こいつは
こいつは俺の『
俺は頑なに寝たフリを続けた。そうすると初芽が近寄ってきた気配がした。そして耳打ちする。
「お前が嫌なのは分かるが、どうせ遅かれ早かれ関わり合う事になるんだから今のうちに挨拶ぐらいは交わしておけよ」
それが嫌だってのに、こいつはとことん意地悪だな。俺は少しでもその関わり合いの期間を短縮したいのだ。だから寝たフリを続行することにする!
そう頑として決め込み机にへばりつく様にする俺だが、次の瞬間両脇の下に何者かの腕が差し込まれる感覚が生まれる。
ま、まさか……
「ほうれ〜〜奏ぇ! 寝たふりすんな〜!」
「う、うわぁぁ!」
とんでもないことに初芽は俺を強制的に起き上がらさせたのだ。しかも入念なことにそのまま軽く捻り上げ、無理矢理鞠猫の方を向く様にだ。俺はここで二つミスをする。一つは咄嗟に顔を手で隠そうとしたが脇の下に腕を入れられてしまったことで顔を手で隠すことが出来なかったこと。二つ目は手で隠す事に頼らず最初から目蓋を閉じて視線が交わるのを防げばよかったのに、それをするのが遅れたことだ。
結果俺が咄嗟に目蓋を閉じた時には時すでに遅し、それはしっかりと鞠猫と視線を交わした後のアクションになってしまった。
目蓋を強く閉じる前に見た彼女の大きな黒い目が、次目蓋を開けた時には異性に対する興奮によって潤んでいるなどという光景を見たくなくて、俺は目を開けられなかった。
「
そう名前を呼ばれて、心臓がキリキリと痛んだ。
ああ……また俺に偽りの……
……
畜生……確かに同じ学校生活を送る上で遅かれ早かれ、こんなことになるのは分かっていた。クラスメイトと一度も視線を交わさないで卒業するなど不可能に近いのだから。
あとで必ず初芽はボコると決め、俺は瞳を開放した。
「よろしくお願いしますね。奏君」
そこには笑む鞠猫がいた。
意表を突かれた。
呼吸が止まった。
比喩ではなく本当に。
目の前の彼女の頬は桃色に染まっていなかった。
瞳は潤んでいなかった。
よそよそしさはあれど、女の子が好意を抱く相手に向けるドギマギ感がなかった。
俺は固まった。世界が固まった。俺の周りがシンと静まり返った。そんな気がした。
ギャアギャア言う初芽の声も、それを窘める佐野先生の声も、開けた窓から入る風がカーテンを靡かせる音も、何も聞こえなくなった。
この目の前、3メートル程先にいる一人の女子に俺は目を奪われた。
今まで出会ったことがない女性との出会いだった。今までに関わった人間……それら全てとは異なる特別な存在。
もしかしたらこの子が感情を隠すのが上手な人間なだけでは? そんな勘繰りをする。いや、それは現実逃避だ。
俺は淫魔の血のせいか、相手が俺に対して術にかかっているかどうかは本能的に分かる体質なのだ。
────コイツは……この子は……俺の『
その確信にブルリと震えた。
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