第135話 紫の月

 オド外部へと繋がる大きな昇降機にソヨとリンドウ、あとは護衛の浄化型ホロウ2体が乗り込み、やがて廃れの森へと辿り着いた。


 白濁した木々の隙間を縫うように歩みを進める。雑草が揺れる音と、時折に混じる朽ちた枝きれを踏み折る音以外には何も聞こえない。その静寂と肌寒い気温が、独特の不気味さをもたらせていた。


 ソヨは軽く溜息をつく。


「まさかオドの外にまで出るとは思ってもいませんでしたよ。お話ってそんなに内密な内容ですか?」

「半分は正解ね。もう半分は……。 ……最近調子はどう?」

「と、突然何ですか?」

「少し気になっただけよ」

「最近、ですか」


 抽象的な問いかけだとソヨは思った。ついつい言葉の裏を考えてしまう。一昔前なら特に意識することなくサラッと答えてしまっていただろうに。


 ………………。


 ソヨは数十秒ほど考えた後、結局のところ無難に答えたのだった。


「平和なものですよ。魔人の出現数は減少傾向にありますし、帰還率も高水準を保っています。少し前までは“例のモノ”の出現に騒ついていましたが、調査が滞っている現状、今は穏やかなものです」


 そのように言い切った後、ソヨはわざとらしく伸びをした。何となくの気恥ずかしさを覚えたものだから。とは言うものの、模範的な回答は出来たのじゃないかと満足する。


 だからソヨは、つまらなさそうに唇を尖らせたリンドウの様子をうかがおうと、目線を寄越したのだった。


「うふふ」


 もっとも、彼女は含みをもたせた笑みを浮かべた訳なのだが。その笑みのままに彼女はこう言った。

 

「おかしな話ね。ホロウたるもの魔人の出現が少なくなったことは嘆くべきじゃないかしら? 魔素の抽出量が減るのだからねぇ。 ……一体、誰の影響かしらね」

「なっ!?」

「いいのいいの。ちゃんと分かっているから」


 カッと身体が熱くなる感覚に襲われる。「やられた」と。それこそ先ほどまでの肌寒さが嘘のようだった。


 ソヨは意味もなく自身の髪を数度撫でたあと、恨めしげにリンドウのことを見た。


「まさかもう半分って、わたしをからかう為ですか……?」

「今のはただの興味本位よ。 でも……ソヨちゃんも言ったじゃない、“例のモノ”なんて遠回しな言い方で」


 少し前を歩くリンドウが白衣の袖を揺らし、その長い指を差し向ける。その所作だけで何を言いたいのか察しは付いたが、ソヨは深い瞬きの後、空を見上げたのだった。



 間もなくして、彼女らは“薄明の丘”へと辿り着いた。


  


 ※※※※※




 “例のモノ”とは今から半年ほど前に突如観測された、巨大な輪のことだ。

 

 黒を黒で塗りつぶした闇の空に、その輪はあたかも「自分はずっと此処に居た」と言わんばかりに現れ、あろうことか闇空に初めて光をもたらせた。


 当然、前代未聞の事態だった。巨大な組織であるアークと言えどこの事実を隠せる筈がなく、やがて、一般のホロウを中心に大混乱が起きた。呪い、救い、希望、絶望……正体不明の輪には大層な言葉が付き纏い、無根拠のデマが蔓延。挙句の果てには乱闘騒ぎに発展した。普段は閑散としたオドにもホロウが殺到し、まともに眠れない日々が続いたことをソヨはよく覚えている。


 

 ………………。



 乾き冷えた空気を吸い込み、吐き出す。空を見上げた。やはり木々の間より、拓けた土地から眺める方がより大きく鮮明に見えならなかった。

 

 薄明の丘、その穏やかな起伏の頂点には一本の木が生えている。その傍に立ち尽くすソヨは、目線を寄越すこともなく、リンドウへと問うた。


「まさかリンドウさん、知っていらしたのですか? わたしが此処へ足を運んでいることを」

「護衛のホロウも付けることなくたった一体で、ね」

「……ごめんなさい」

「もう少しだけ、自分を大切にして欲しかったわね」


 溜息混じりでリンドウはそのように言った。「大切にして欲しかった」と。 ……その言葉が向けられた相手は、本当に自分なのだろうかと疑問に思う。


 もしかしたらリンドウも同じ気持ちなのかもしれないとソヨは思った。だからこそ、“あの時の記録きおく”を共有するソヨとこの地を訪れたのだろうか? ……もっとも、そんなことを尋ねたとしてもはぐらかされてしまうだろうが。


 

 そう考えたからこそソヨは、粗末な空想を語ることにしたのだ。

 

 

「あの輪って、“月”だと思うんです。わたし」

「月? 生命世界に観測されていた天体?」

「根拠なんてありませんよ。公で主張しようものなら妄言だと一蹴されるでしょう。 ……でも、あの届かない光をシヅキと重ねてしまいまして」

「月とシヅキくん……語感の問題?」

「あいつはバカだからそういうことはサラッと言いますよ」

「ふふ、なにそれ」


 ソヨの言葉にリンドウはひとしきり笑ってくれた。ソヨだって笑った。薄明の丘を訪れる度にその眼を涙で濡らしていたものだから、こんな楽しい気持ちは新鮮でならなかった。しかしそれと同時に……いつもよりひどい懐古感情に襲われる。



 ………………


 ………………


 ………………。

 


「ねぇソヨちゃん」


 気がついた時にはリンドウが目の前にいた。突然黙ってしまったことを不思議に思われたのかもしれない。そう考えたソヨは自身を取り繕おうとしたのだが、それ以前にリンドウが言葉を重ねた。


 曰く。


「あの輪が本当に月なら、光がないとね」

「光……ですか?」

「月は自ら輝けないのよ。照らす光が存在して、初めて月は“月”たらしめられるもの。だから……ね?」

 

 リンドウは柔らかな笑みを浮かべる。それだけで彼女が何を言わんとしているのかはすぐに理解できた。ゆえにソヨは改めてあの輪を見上げたのだ。闇空を照らす、大きな、紫の光の……“月”のことを。



 ………………。



 大きなあくびをこぼしたソヨの目元が霞む。ぐっと背伸びをして、懸命に手を伸ばした。そのような無意味な一連の行動の後、ソヨは最後にこう呟いた。



「綺麗……だったわね」

 


 ――そんな彼女らの様子を見守るように、琥珀色の一輪の花が薄明の丘を灯していた。 










 


 

 『灰色世界と空っぽの僕ら』


 〜Fin〜


 

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灰色世界と空っぽの僕ら しんば りょう @redo

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