第134話 葬いと大鎌


 心の塔の最上階には、人間の記憶を基に生命世界を『際限なく再現する装置』がある。巨大な天体望遠鏡を模したソレを起動することで、一時的とはいえ、生命に直接触れることが出来るのだ。


 しかしこの装置には……正確に言えば、『この装置が映し出した事実』には致命的な問題があった。それは、人間が灰色世界で原形を保てないことと同様、ホロウはまともに生命世界に存在出来ないという問題だ。“虚命障害”とシーカーが呼称したソレの空虚的な痛みと苦しみをシヅキはよく知っていた。


 さて。バケモノじみた力を持つシヅキでさえも無数の茨により串刺しとした“世界”とは、この虚命障害を引き起こし、やはり原形を保てなくなったのだ。燦然さんぜんと輝く陽光を体験し、やがて跡形無く消え失せたのだという。


 では、どのようにして装置は起動したのだろうか? シヅキは花畑の中心で塔を見上げる。


「なんだよ……アレは」


 塔は酷くいびつな形状をしていた。至る外壁が崩れ、或いは曲がり、融け、塔内部が剥き出しとなっている。その高さも随分と縮んでしまっていた。それでも完全に崩壊しきっていないのが不思議だ。


 そんな塔のちょうど中心付近に構えられたテラス。そこに……闇空を見上げたあの装置を発見した。

 


「人の心を内面に持つ僕達は、心の塔を操ることが出来る。僕はトウカの身体を上書きし、彼女の意思を総動員して塔を大きく変形させた。それこそ階層ごと呼び寄せてしまう程の」


 

「……シーカー」

「約束のものを持ってきた」

「あァ。ありがとう」


 塔内部から戻ってきたシーカー。シヅキはその姿を出来るだけ見ないよう顔を逸らしつつ、頼んでいたモノを受け取った。


 シャラン、と僅かに音が聴こえる。


「トウカの錫杖、随分と久しぶりに見たな」


 シヅキが浄化型として魔人の首を刈り取ったように、トウカは魔人を構成する魔素の抽出を行なっていた。その時に用いられた装いこそが錫杖……要は、これはトウカの形見なのだ。


 そんな錫杖を携え、花畑を歩く。そして塔の傍にある広場へと足を踏み入れた。そこはいくつもの墓碑が規則正しく並んだ小さな墓地だ。


 そんな墓碑の一つの前に屈み、錫杖をそっと置く。緑の匂いが香る風が吹き、シヅキの髪を揺らした。



 ………………

 ………………

 ………………。


 

「アサギ、サユキ、リーフ、エイガ、ヒソラ、コクヨさん、ソウマ。 …………トウカ」


 爪を食い込ませるほどに左手をギュッと握り込んだ。小刻みに震える手から感覚が引いていき、力を緩めるとじんわりと熱が広がった。


「………………あァ」


 

 全てを失った。比喩的な表現では無く、本当にその全てを。


 

 無い筈の右腕に感じる痛みを押さえつけながら、シヅキは闇空を仰いだ。黒を黒で塗りつぶしたその空の果てに……彼らが眠っているとは到底思えない。あんな陰鬱の空の果てに閉じ込められるなんてのは、こくにも程があるだろう。


「だからって……どこに行っちまったって話なんだけどさ」


 身体中に魔素を回す。くらくらするシヅキの身体を構成する魔素濃度は薄い。きっと今ならエイガにすら負けてしまうだろう。それほどの衰えを感じている。



 ――でも、それでも。あと一体くらいならころせる筈だ。



「……っ!」


 僅かな痛みを代償に身体を切り売りする。すると、左手の中にズシンとした重みを感じた。手触りも温度も……全てが懐かしいソレを掲げるように持ち上げる。


 ………………。


「シヅキ、何をするつもり」


 間も無くして背中から声をかけられた。首だけで振り返る。そこには強張った表情を浮かべたシーカーがいた。 ……アレはシーカーだ。


 淡々としたトーンでシヅキは答える。


「何って、何だっていいだろう」

「その大鎌は今必要ないと思う」

「必要だから取り出したんだ、シーカー」


 シヅキが腕全体で大鎌を振るうと、シンと鋭い金切音が耳をついた。疲弊した身体でもそこそこの質のモノを造り出せたことに安心をする。


「こいつなら一閃だな」


 呟いた直後、シヅキはその大鎌を構えた。


 しかし。


「やめて今すぐに」


 ソレが振るわれる直前、シーカーが邪魔をした。シヅキの左腕にしがみつきその行動を阻止しようとする。そしてあろうことか、トウカの琥珀色の瞳にて訴えかけてきたのだ。


「君のその行動を、僕は許容できない。君はまだ。そしてこれからも」

「あ? なぜお前が止めるんだ。俺なんてもう用済みだろう?」

「目的じゃない。感情の話」

「相変わらず、解せねェ言い方だ」

「君を助けたのは僕とトウカの意思。トウカは君を助けたがっていた。彼女が最期に見たのは花ではなく君だった」

「……そんなこと、信じられる訳ねェだろう」

「これは紛れもない事実で――」

「なぁシーカーよ」


 苛立った口調にてシヅキはシーカーの言葉を遮る。深く眉間に刻まれた皺と左腕に浮き出た血管が彼の怒りを物語っていた。


「その面とその声をよ、俺に向けないでくれ。そいつァ、そいつはよ。トウカのものだ」

「……ごめん」

「謝って済む問題じゃァねえだろ。お前がやった行為ってのは、トウカの尊厳を踏みにじったことで……なんでお前泣いてるんだ」


 無表情のシーカーの、その琥珀色の瞳とは透き通っていた。そして、大粒の涙が頬を伝い重力に従い落ちていく。


 シーカーはそれでも抑揚少なく、このように言った。


「お願いシヅキ。自らのを絶つなんてことを……どうかやめてほしい。君が居なくなれば僕はまた孤独になる。もう嫌だ。耐えられない。耐えたくない」

「……言ってたなお前。もう一度会いたい人間が居るってよ」

「カエデさんは、周囲に馴染めなかった僕と唯一話してくれた。ガラス越しでも嬉しかった。 ……君は触れられる」

「……すまんな。そいつァもう、叶わねェ」


 バッサリと切り捨てたシヅキが腕を軽く押し返すと、いとも簡単にシーカーは解けた。そして、シヅキはソレに背を向ける。くらくらとする視界にて、トウカの墓碑を見下ろした。


 スッと息を呑む。


「俺はよ、幸せなんだ。きっと今が最高に幸せで、もうこれ以上に幸せになることは無ェ。トウカが居たから……トウカが俺の存在理由だった。だからトウカが居なきゃさァ、俺は昔のシヅキなんだよ。灰色世界に唾かけているだけのクソッたれだ。 ……光があったからこそ、俺は輝いていられた」

「シヅキ」

「じゃあなシーカー」

「シヅキ!!!」


 張り裂けんばかりのシーカーの声も虚しく、シヅキはその大鎌を闇空へと向けた。


 歪な笑みを浮かべる。


「じゃあな灰色世界。 ……………………ざまあみろよ」

 

 くるりと手首を返す。




 グシュ




 ――肉と骨を断ち、自身の首を掻っ切った。





 


 シヅキは死んだ。

 

 


 


 

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