第7話 クリスマスイヴに誓ったこと

「もう放っておいてくれ、お前!」


と貴方は妻を怒鳴りつけた。妻は貴方を理解しようと努力の限りを尽くして来たのだが……。妻や子どもたちへの愛に満ちた心を持っていたこの父親はどうしてあんな風になってしまったのだろうか……。



「お前のこまごました小言はもううんざりだ!」


貴方は更に妻を詰り倒そうとしたが、その前に妻の平手が貴方の頬を強く打った。



 貴方は驚きのせいか怒りのせいか、殴ろうとするかのように手を振り上げた。それでもまだ心の中に自制心が残っていた貴方は、この脅すような振りをするだけに自分を留めた。恐怖を露わにする妻の目を見た貴方は、胸が激しく痛んだ。どんなにうんざりしていても、妻のレーナは貴方にとって大切な人なのだ。私は近くにいなくても、胸の中の葛藤が貴方の表情に映し出されているのがよく分かった。



 この事件の後、妻の心は遠く離れてしまったように感じた。悩んでいるのか考え抜いているのか分からなかったが、妻は静かになった。貴方は妻を可哀想に思ったが、どうしたらよいのか分からない。ましてや自分の悪い習慣をやめ、自分を変えるだけの力などなかった。



 ———私達の家族の過ちを貴方は繰り返すことしかできない。貴方は逃げることしかできない……。



 それは貴方は悪いわけではない。それにも関わらず、貴方の心は悔いに満ちていた。貴方の心は孤独を引き寄せることしかできなかったのだ。私はずっと貴方の傍にいるのに、それを分かっては貰えなかった。



 ———私だってこの家族の過ちと戦おうとした。でも、私が貴方のために何もできないというこの切ない気持ちは、全て私のせいなのだ……。



 貴方の胸は、私が感じるような無力感でいっぱいだった。逃げ道はアルコールと煙草しか残っていないと貴方は思った。貴方は何もかもを忘れてしまいたかったのだ。しかし、アルコールに溺れる貴方を見るのは、何よりも胸が痛かった。それは、この失った命に体験した苦しみさえ超え、まるで二度死ぬほど胸が張り裂けそうな気持ちだった……。



 クリスマスの輝きは完全に暗闇に呑まれていくようだった。



 赤ワインと孤独を分かち合った貴方は、クリスマスイヴを独りでテレビの前に過ごした。煙草の煙に霞んだ部屋ははっきり見えなくなった。見えたのは、自分の心の傷を無視して、みすぼらしくソファにぼんやり座っている自分だけだった。



 ———この状態が続くと、貴方の人生はおしまいだ。


 これを思うと私の胸を毒のトゲが貫くように感じられた。貴方が亡くなれば、私は死者の世界に入らず、永遠にこの世、この姿で留め置かれることになるだろう……。



 ———それは駄目だ!


 私は自分の人生を捨てたことを後悔しているのか否か正直答えられない。でも貴方が私のように結末を迎えるのは許せない!この世とあの世の透き間に勝手に逃れるのは許せない!


 貴方には愛惜しい子ども二人がいる。この二人を勝手に見捨てるなんて、決して許せない!貴方は私の間違いを繰り返して逃げるのを食い止めてみせるよ!


 貴方に、子ども二人を自分の心底から生み出した演奏を聞かせて、二人の頬を喜びで赤く染めて欲しい!二人に幸せいっぱいな人生を送らせて欲しい!


 そのために、私は残っている力を貴方に授ける。母の最期にもらったこの力の全てを。これはこの駄目な娘の最後の義務なんだ。これは妹の義務なんだ。見せてあげるよ、お兄ちゃん!この命は決して無駄じゃなかった!


 ———私はお兄ちゃんのために今此処にいる。私はお兄ちゃんの心の中で演奏するわ。私と共に、お兄ちゃんはこの「アレグロ・マエストーソ」を克服できるよ。

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