追憶、そして
きつねの頭は、膝の上にあった。もちろん、膝は爽香のものだった。
頭を預け、時折撫でられながらスケッチブックに描き出される様子をみていると、不思議な感覚になった。
今日くらいは思いっきり甘えていいだろう。
爽香といる暖かな陽の中は、時間がゆっくり流れている気すらする。この時間がずっと続けばいいのにな。そう思わずにはいられなかった。
いつの間にかきつねはうたたねをしていた。目が覚めたのは、寝顔を見つめる爽香の視線があったからだった。
「きょうは出来上がったから帰るね。またね、きつねさん」
「行くな!!」
思わず叫んでしまった。止めてはならない、変えてはならない。それでもきつねは叫ばずにはいられませんでした。
「また、あした大好物の油揚げ持ってくるから待っててね!」
爽香は、そういって笑顔で手を振ると帰っていきました。きつねは、スケッチブックとペンを見つめていました。
数日後、きつねは境内から、天つ彼方にのぼる一筋の煙を見つめていました。
なんで最後まで爽香は強く生きれたんだろうか。
初めてあった日から、きつねは爽香の命が、残り数年であることをにおいでかぎ取っていました。そしておそらく、爽香自身もそれを知っていたのです。
決して変えられない運命、逃れられない結末から目を反らすことなく。ひたすら自分が生きた証を残そうとした少女に、いつしかきつねは恋をしていました。
けれど、それを教えること、人の運命を変えてしまうことは許されません。あの日、自分がずっとそばにいてやることができれば。神なるものの眷属として、迎えに来たものを追い払えて、少しでも一緒にいる時間を延ばすことができたかもしれません。それを思うときつねは悲しくなりました。
たおやかにくゆる煙を見て、きつねの目からは涙がこぼれました。
「爽香。また会いたい」
そんな願いが叶うことがないことは、きつね自身がよく分かっていました。長年生きて、とうに麻痺したかと思った心情が揺さぶられます。それに呼応するかのように、青い鬼火も揺らめきました。
九十九たちは心配そうにきつねを囲んで見守っていましたが、慰めるだけで精一杯でした。
きつねの爽香に会いたいという願いは天まで届きましたが、誰もが口をつぐみ、何もしてあげられませんでした。
それからというもの。境内では、ときおりきつねは顔を上げて、くんくんと周りを嗅ぐことがありました。
「爽香が来てくれた」
それがわかり、嬉しくなったのです。それからというもの、懐かしい匂いが境内に漂うようになりました。
百日紅でうたたねをしていると、その匂いがふわっと立ち込め、頭が撫でられた感触が残りました。きつねはとても嬉しくなりましたが、四十九日を過ぎたころ。その匂いが漂うことはなくなってしまいました。
きつねはするすると百日紅を降り、供物殿の奥にしまった、爽香のスケッチブックとペンを取り出しました。いままでは、つらい思いから逃げるために、帰ってきた爽香の雰囲気に舞い上がり、みたことがなかったのです。
そっと鼻先でページを開くと、ボールペンで描かれたお社が描かれていました。
「爽香が見ていた風景なんだな」
お社だけでなく、百日紅の木や、奉納された文房具たち、落ちていた栗の実などいろんなものがスケッチブックには描かれていました。めくるうちに、スケッチの裏に何か書いてあることに気付きました。
それは爽香の日記でした。
『境内にきつねさんがいた。毛は真っ白いし、尾は3本もあるし、かっこいい』
『きつねさんが人の言葉を喋った。しかも日本語。自分の頭がおかしくなったかと思った』
『喋ってみると意外と怖くない』
…
『きょうは神社のお祭り。きつねさんがさみしそうだったからりんご飴あげた。きつねなのに喜んで加えていった』
…
『お社で、私の姿で待ち受けるのは本当にやめてほしい。いくら自分でも自分がまってたらびっくりする』
…
『はじめて頭を撫でてみた。噛みついたりしなかったし、なんならきつねというよりネコかと思うくらい気持ちよさそうに寝ていた』
…
『できれば、ずっとここにいたい。もう少し頑張れ、私の体』
描いてある最後のスケッチブックのページを、きつねは鼻でめくりました。
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