風と愛嬌
境内は、子供たちの遊び場にもなっていました。楽しそうに遊ぶ姿を、きつねはいつも寝転がって、見守っていました。
その中に爽香はいました。天真爛漫な笑顔、長い漆黒で艶のある髪、溌溂な声。きつねは「愛嬌の塊みたいな子だな」と思いました。
きつねの姿は、人間たちには見えません。境内にはいろんな人が集まるようになっていました。1年に1回はお祭りも開かれます。
「まだこの新しい文具たちが精霊になるには、時間がかかるな」
新しい遊び相手ができることは嬉しく、待ち遠しい。早く遊べるようにならないかな、ときつねは思いました。楽しそうに遊ぶ子どもたちを見ていたからです。
村の子どもたちは、境内を遊び場にし、学業の成就を願い、そして大人になると感謝の気持ちや、豊穣と村の発展を願って、足しげく神社に通うようになっていました。
ところで、この神社に植えられた一本の
筆や紙などの文具が収められ、長い歳月を経ていまでは学業成就や豊穣を祈願される神社。そこに「すべる」というのは、あまり縁起がよくないとも言われます。
事実、
その様子が大変おかしく、きつねはその様子をみて笑い転げていました。登った九十九たちもまた、落ちた後には面白くって笑ってしまうのです。実は、九十九たちが思いと業を背負って、ここで滑るからこそ。祈願した人たちは、滑らずに済むことができていたのでした。
きつねもまた、九十九の様子をみて木に登ろうとします。勢いよく飛び乗ったものの、つるつるの幹と枝であっという間にひっくり返ってしまい、それから笑い転げました。
神社には、きつねや九十九、子供、村人たち。いろんな人の笑顔で満ち足りた空間だったのです。
その顔ぶれは、時代とともに移ろいゆきます。
きつねはその子供たちを九十九と見守りながらも、「あの愛嬌で輝いた笑顔はもう見れないのかな…」と心の隅で思っていました。
久しぶりに爽香の姿をきつねがみたのは、爽香が歳のころ16になった初夏のことでした。大人の洗練された女性の一端を彷彿とさせる姿になった爽香。きつねは驚きました。あの長くて、艶がのった黒髪は、いまはばっさり短く切られていたのです。それでも、品に満ちたような黒々とした髪が、夏の風に乗って優しく揺られます。
爽香は一人でした。遊びに来たわけでもないようで、お社の賽銭箱の横に座り、ぼーっと朱に染まる夕空を見上げていました。そして間もなく、お社を後にして帰っていきました。
それから、爽香はほとんど毎日、お社を一人で訪れるようになりました。空を眺め、何かの思いにふけり、帰っていく。爽香が来てくれたことをきつねは嬉しく思いましたが、悲しくもなりました。ただただ、そっと見守っていたのです。
やがて、爽香はスケッチブックとボールペンを持ってくるようになり、せっせと神社の中を描き始めました。それは、お社であったり、狐の像であったり、そこから見渡せる村の風景であったり。一枚、またい一枚とボールペンで描かれた風景画は増えていきました。
きつねは何も言えず、ただただ百日紅の木の上から、爽香の様子を見守っていました。
「きつね・・・さん?」
あどけない顔の爽香が、百日紅の上で眠っていたきつねを見上げていました。
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