第2話 邪神官、弟子を鍛える その1

「んじゃ、授業を始めまーす」

「うぃーす」


 緩い掛け声に対し、これまた緩い返事が、朽ち果てた教会の廃墟に響く。

 太陽が既に天高く登った頃合いに、麻の寝間着ではなく聖職者らしい白い衣装に着替えた小柄な女と、痩せた少年が向かい合っていた。

 だが、その場にいるのは二人だけではない。

 少し離れた位置に、3人の子供達。そして、ぼーっと虚空を見つめながら、壁を背に座っている少女がおり、その少女の傍らには巨躯の古騎士が邪教を信仰する女の監視をしていた。

 いよいよ、孤児院の子どもたちに治療魔法を習得させ、治療術士として戦場へ駆り出すという計画が、

始まろうとしているのだ。

 とはいえ、授業を始めるとリピューテリアは言ったものの、ここには教科書も、机も椅子もない。

 邪神官リピューテリアと、その弟子候補クインは、廃墟に向かい合って立ってるだけだ。


「最初に言っとくけど、ウチ、結構厳しいから」

「う、うっす…」

「やるって決めたからには、マジでやんなさいよ。じゃなきゃ死ぬわよ、クイン」

「………おう」

「ってなわけで、今日からアンタがやることを説明するわ」


 邪神官リピューテリアは、びしっとクインに向けて人差し指を向け、告げる。


「まずはこの建物をぐるぐる100周! 走るわよ!」

「なんでだよッ!?」


 すかさずクインが突っ込みを入れる。


「はぁ~? 速攻で先生ェに歯向かうわけぇ!?」

「魔法と全然関係ねーじゃねーか! なんで100周も走んなきゃなんねぇんだよ!?」

「体力を鍛える為に決まってるでしょ!」

「どうして魔法使うのに体力が必要なのかちゃんと説明しろ! 魔法ってあれだろ、魔力とかいうのを身体の中から引き出したり、詠唱を覚えて魔法を編めるように修行したりとかじゃねーのかよ!?」

「そういう修行をする以前の問題なのよ、アンタは!」

「全然答えになってねーよ!?」


 クインはワキワキと両手を握ったり開いたりしながら、壁際の古騎士の方を見た。古騎士は両者のやり取りを静かに見ていたが、クインに助けを求められ、いよいよ口を開く。


「それは理に適っているのか?」

「ぜんっぜん魔力を扱えない奴に魔力を認識させるのにも、それを扱わせるのにも、恐ろしいほどのタフネスが必要になるわ。それこそ、何時間も飲まず食わずでやるのよ? この痩せっぽちの体力でそれが出来ると思う?」

「そうだな、無理だな」

「おい!?」

「クイン、私もお前と同じ疑問を感じたが、この女の説明で納得した。確かにお前には基礎体力がない。皆無ではなかろうが、圧倒的に足りていない。仮に騎士見習いであっても、最初にやることは走り込みだ。騎士に付き従い、その武具を担ぎ、騎士の支援に徹する騎士見習いが、戦場で息切れし膝をついていては話にならんからな」

「俺は騎士見習いじゃねぇって!」

「その騎士見習いの修行より大変だから言ってんのよ! おら! つべこべ言わず走れ! 最初は私も一緒に走ってあげるから!」

「アンタも!? てかアンタ、そんな細身で走れんのかよ!?」

「………じゅ…いや、ご、五周くらいなら…」

「走れねーじゃねーか! 自分にできないことを人にやらせんなよ!?」

「昔はできたのよ! 昔は!」


 リピューテリアに背中を押され、クインは半ば無理矢理に孤児院の外へと駆り出される。そしてそのまま、孤児院の外周を巡る走り込みが始まった。


「くそー! なんでだ!? なんでこうなった!?」

「喋ってると無駄に体力食うわよ!」


 バタバタと、草の生え茂る孤児院の庭を走る。

 かつてはそこには道があったのだろうが、今やそこは草むらだ。草木に埋もれた井戸や、木造作りの小屋の成れの果てが、久方ぶりの客人を出迎える。


「がっ!? うお!? くそ…根っこが…」


 木の根に足を取られ、頭から草むらに突っ込むクイン。


「あっはっは! 鈍臭いわね! クイン!」

「くっそ!」

「ほら、まだ一周もしてないわよ!」

「わーってるよ! うっせぇなぁ!」


 立ち上がり、再び走り出すクイン。

 目の前には、後ろ向きのまま走るリピューテリアがクインをおちょくっている。


「ほらほらどうしたの? この調子じゃ日が暮れるわよ!」

「うるせぇ! てめぇはどうせ5周しかしないんだから黙ってろ!」

「いや、こんなペースだったらもうちょっと行けるかも? 疲れるまで付き合ってあげるわ。思ったより、アンタ遅いから」

「ふざけんな!」


 こう見えても、クインは孤児達の中では一番駆け足が早い。

 だというのに前を見ずに走ることもしない怪しげな女に追いつけないでいた。

 自分よりずっと小さい女にだ。


「待ておら!」

「あははは!」


 まるで鬼ごっこで遊んでいるようにも見えたのだろう。そのうち、他の孤児3人も「ボクもやるー!」などと言いながら、かけっこに加わり始めた。

 リピューテリアは新たに加わったチャレンジャーも歓迎し、クインと同様におちょくり始める。

 第三者から見れば、それは草むらで子どもたちと遊ぶ、極普通の聖職者のようにも見えなくもなかった。

 あるいは、あの女もまるで子供のようだと、ザルクバルクは駆け回る者たちを眺めながら思った。


「ぁ……ぅ……」


 その時、傍らの少女、シャレアが呻く。


「どうした?」

「……ぁ……あ……」

「お前も駆け回りたいか。だが今はやめておけ。お前は身体を取り戻したばかりだ。走るよりもまず、その新しい身体に慣れろ」

「………」


 虚ろを見つめるシャレアは、ゆっくりとゆっくりと、顔をザルクバルクへと向ける。

 相変わらず、その瞳に宿る光は薄い。


「しかし、奴らが走り回っているのなら、私も手持ち無沙汰だ。少し、お前に付き合うか」


 そういうと、ザルクバルクは少女の手を取り、ゆっくりと立ち上がらせた。


「まずは歩き方からだ」





「ぜー…はー…ぜー…はー………うぇ…げぇッ」

「うわ、吐いた…汚な…!」

「うっせぇ…クソ…クソが……」

「まだ48周しか走ってないわよ。それなのにほら、日が傾いちゃったわ」


 空に広がる光は、赤みを帯び始めている。

 冷たい夜の風が、少しずつ、昼の陽気に混じり始めた。


「予想以上に早く動けなくなったわね。やっぱりアンタ、ぜーんぜん体力無いわ。こんなんじゃ魔法の魔の字も教えられないわね」

「100周も走るなんて無理だっつってんだよ…」

「100周も走れないんなら、走れるようになったら魔法の勉強よ」

「……っくそ」

「でもま、今日はこのくらいにしておいてあげる。お腹減ったわね。戻りましょ」

「俺、動けねぇよ…」

「んなら、動けるようになったら戻ってきなさい。んじゃーねぇ~」


 ひらひらと手を振りながら、涼しい顔でリピューテリアは立ち去る。

 5周まで付き合う、と言っていたが、結局彼女はクインが音を上げるまでの48周の全てに付き合っていた。

 華奢な外見からはまったく想像できない体力だった。


「はぁ……はぁ……」


 滝のように汗をかき、地面の上に大の字に転がって、クインは空を見上げた。

 今日の空は、やけに遠い気がした。

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