第1話 邪神官、弟子をとる その5
完全に日は落ち、孤児院は漆黒の夜に包まれている。
星明かりさえない。この廃墟に半端に屋根が残っているせいだった。だからここは外よりも暗い。
ザルクバルクは、黙ってポーチから簡易ランタンを取り出した。夜の中でも作業できるよう、その巨躯には徹底的にランタンの点け方が染み込んでいる。
携帯用の小さな火打石が鳴ると、程なくランタンの中に明かりが生まれ、暗闇を照らす。
横たわる少女は、血に濡れた床の上から運ばれ、今は裏返って倒れた戸棚の残骸の上に寝かせられていた。身体を冷やさないよう粗末な毛布がかけられている。
その顔にも、腕にも、足にも、醜い肉腫の痕跡はない。傷もない。美しい少女の姿があるだけだった。
「ぜー…はー……ぜー…はー……」
汗を滝のように流しながら、少し離れたところで、リピューテリアは荒い息を吐いていた。心做しか、少し顔色も悪い。
「完全なる修復――…最上位魔法というやつか? 肉体より離れた魂をも戻すと言われるが。どうやら、貴様が《司教》だというのは嘘ではなかったらしい」
「ちょ、ちょっとまってなさい、よね…。息を、整えたら…はぁ……はぁ…」
流石に消耗が大きいのか、リピューテリアにザルクバルクの軽口をいなす余裕はないようだった。
「ホントに、治っちまった…」
「何も知らぬ者が見たのなら、間違いなく治療だと言えるだろうな」
「ど、どういうことだよ、騎士のおっさん…!?」
「さっきこの女が説明していただろう。魔物と混ざった少女を一度完全に殺し、”片方だけを生き返らせた”ということだ」
「そ、そんな事、出来るのかよ…」
「竜から奪いし力の秘技、というやつなのだろうな」
ザルクバルクはゆっくりと息を整えてるリピューテリアに近づくと、その腕にブレスレットを嵌めた。
「あーあ、魔力消費が大きくなければ、逃げるチャンスだったのに…」
「そうだな。逃げたとしても、首か体、どちらかはこの場に置き去ってもらうつもりだったが」
「死ぬじゃん、それ…」
「万が一の場合、常にそうするつもりでいる」
「ウッゼェ…」
しかし、やがて呼吸も整い、失った体力も戻ってきたのか、ややふらつく様子を見せるものの、リピューテリアはクインに向き直った。
「で、どう? 信じた?」
「………。ああ」
もはや、信じる他ない。
あれが治療行為でなかったとしても、彼が求めていた”少女を人の姿に戻す”という結果は得られたのだ。
「ま、こんなのウチの仕事じゃないけどねー。魔法はこういう事もできる技ってなわけよ。興味出てきたでしょ?」
「そう、だな…」
「邪神官らしい業といえる。治すつもりだったとはいえ、1度は躊躇なくこの少女を殺したのだからな」
「邪神官…?」
クインは眉をしかめた。
「アンタ、魔術師じゃないのか?」
「ちょ、余計なこと言わないでよ、上手くいきかけてたのに!」
「今話しておかねば、後々面倒事になると思ってな」
「そういうの余計なお世話っていうのよ!」
口を曲げて、リピューテリアはザルクバルクを見る。ザルクバルクは肩を竦め、お前が話さないのなら、と前置きをして、クインに向き直った。
「この女はな、ここ真竜国では邪教とされる信仰を持つのだ」
「えっと……つまり、その、聖職者ってことか?」
「そうだ」
「お、俺、そういうのは…」
「わーかってるわよ! 布教は無し! 魔法だけ教えろってんでしょ! 信仰の押し付けはしないわ!」
「物分りの良い女で助かる。少年、だからこの女の話の半分は信用するな」
「マジで信用されてないわね…。ま、別にいいんだけどさ…」
そう言って、肩をポンポンと叩きながら、リピューテリアは立ち上がった。
「はぁー、肩凝った。もう帰りましょ。約束通り、日も落ちたしね」
「成果はこの少年か。思った以上の結果だな」
「弟子候補を一人確保で思った以上の結果ってことは、アンタは成果0だと思ってたわけ!?」
「フッ…」
「今なんで笑った!?」
クインは、眠ったままのシャイアの手を握りながら、口喧嘩を繰り広げるリピューテリアとザルクバルクのやり取りを見つめた。
弟子となると決めたものの、この後どうすればいいのか、その不安が顔に出ている。リピューテリアはクインの顔を見るや、小さく息を吐いて、言葉なき不安に応えた。
「アンタ、明日までにホントどうするか考えときなさい。また明日、この子の様子見に来るから」
リピューテリアは、クインを指差し、続いて静かに眠る少女を示す。
本当に、先程まで正体不明の肉腫に覆われていたとは思えない。元々このような姿だったとしか考えられない。
この奇蹟が魔法の力。それを手にするチャンスを、クインは目の前に示した。
「ただ、やるも地獄、やらないのも地獄よ。チャンスかもしれないし、ただ地獄の底へ落ちるだけかもしれない。そこまでウチは責任持たないわ」
「…ああ」
クインは重々しく頷いた。
その様子を見てリピューテリアは満足したのか、微笑みを浮かべ、踵を返す。歩き出そうとして、ザルクバルクの握っている鎖に引っ張られた。
「ぐぇ!?」
「どこへ行く?」
「どこって、アンタの屋敷よ! 帰るのよ! あとお腹空いた! 帰りがけにどこかの屋台にでも寄りましょうよ」
「何を言っている。貴様の寝床はここだ」
「……はぁ!?」
「私は最初に説明したはずだぞ。ここが貴様の拠点になると」
「拠点ってそういう意味!?」
それはここに居着く、という意味であったか…。
「貴様の監視もあるため、しばらくは私も行動を共にする。そのための旅装束だ」
「ウチ、寝間着姿でここへ連れてこられてんだけど!?」
「それは貴様が寝坊したからだ。自業自得だな」
「ざけんなァーッ!」
頭を掻きむしり、リピューテリアは吠える。だが、それを聞き流し、ザルクバルクはクインに向き直った。
「そういうことだ。しばしこの軒先を借りるぞ、少年。宿代として、お前達の分の物資も運ばせよう。食事に加え、衣類や寝具も必要だろう。この女の分を運ぶついでだ」
「え、あ、そ、そりゃ助かるけど…」
クインは展開を飲み込めない様子でいたが、この場で最も空腹な者たちは、ザルクバルクの提案に食いついた。
「ごはん…?」
「ごはんもらえるの…!?」
「ほんと? ほんと!?」
「お、おい! お前ら!」
孤児院の奥から、更に3人の子供が姿を表す。
どの子も痩せ、粗末な格好をしていた。
「これで全員か?」
「……あ、ああ」
クインは頷きつつ、子どもたちをかばうように立った。
クインとシャイア、そして3人の子供達、彼らがこの地に残った孤児達なのだろう。
ザルクバルクに感慨はなかった。
街を離れた異教徒について行かなかったということは、ここにいる者たちは信仰に染まっていないということだ。それは、これから竜殺騎士の支援のために鍛えようとしている”粗製治療術士”になる上で都合がよかった。
信仰を持つものは、その信義や教義に背くことはない。逆に言えば、どんな過酷な場所であろうと、どんな理不尽な命令であろうと、それが己の信仰に背くことであれば、意を反するということなのだから。
そんな危険な連中を、竜殺騎士の隣に置いておくことなどできない。
「ってかさ、食い物で釣れるなら最初からそうすりゃよかったんじゃないのこれ!」
「貴様の教育方針には従う、そう約束したはずだが?」
「てめぇ…。マジ、覚えとけよ…」
「貴様の私物も運ばせる。それでいいだろう?」
「くそー…。アンタの屋敷、自由はないけどベッドもお風呂もある生活だったのに…!」
これじゃ今までより悪いわよ! と、リピューテリアが虚空に叫ぶ。
そんな様子を見たザルクバルクは「さて、どうなることか」と独りごちた。
この余興は果たして、上手くいくだろうか?
信仰を持たぬ治療術士が、この真竜国の易となるかどうか――…
終わらぬ戦いに身を委ねるこの国の、光となるかどうか――…
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