第1話 邪神官、弟子をとる その4

 そうして、日が暮れた。

 赤い光の筋が、穴だらけの屋根から零れ落ちてくる。

 座した男は身じろぎせず、ただじっと、目を閉じていた。

 女の方は、廃墟の床の上に仰向けになり、恥ずかしげもなく足を広げ、いびきをかきながら居眠りしていた…。


「ぐごぉー…」

「………」


 そんな二人を、見つめる影が一つ。


「いや、寝てんのかよ…!?」


 はしたない姿で寝ている女と、どう見ても寝てるように見える男、その双方に鋭い指摘が入る。

 待ってる、というから覚悟を決めてやってきたのに何なんだこの連中はと、彼は憤りを顕わにした。


「おい! こら! 起きろ! おーきーろー!」

「ふにゃ…? あぁ? 何? アンタ誰?」

「金貨100枚の話を聞きに来たモンだよ!」

「あぁ…? あ、あー…!」

「忘れてんのか!?」

「ごめんごめん。それで、えーと、君、ウチの弟子希望者ってことでいい?」

「……。正直、まだ決めかねてる…けどよ、ここにいても、俺たちの暮らしが良くなるわけじゃねぇし……」

「ふうん。君、名前は? あ、ウチはリピューテリアってんの」

「クインだ」

「おっけー、クイン君。君が弟子1号ね!」

「ま、まだ決めたわけじゃないっての! 話を聞きに来たって言ってんだろ! 待遇とか、方針とか、そういうの!」

「えー?」


 不服そうな声をあげるリピューテリアに対する少年は、まだ13、14歳になった頃であろうか。少々痩せているものの、活発な少年という像そのものであるクインは、心底呆れた顔をしていた。


「そもそもアンタ、本当に魔法使いなのかよ…? どこからどう見ても奴隷だぞ…」


 粗末なワンピースを着た上に首には鎖のついた首輪をしていれば、奴隷に見えるのも致し方ない。


「このクソチンパン騎士のせいでこんな姿なのよ。おい、おら! クソ騎士、起きろ! 弟子候補が来たわよ」

「………寝てなどいない」

「うわ!?」


 目を閉じ、成り行きを見守っていたザルクバルクは、リピューテリアに鎖を引かれ、じぶじぶと言った様子で目を開いた。


「このガキが待遇について質問だってさ。日当とか出るの?」

「働きもせずに賃金を得られるわけないだろう」

「食わせて貰えねぇんなら話になんねぇ、じゃあな」

「うぉー!? おい! この馬鹿騎士! 逃げられちゃったわよ!」


 ブンブンと鎖を振るリピューテリアに、鬱陶しいという感情を包み隠さないザルクバルクは、ため息一つの間に逡巡し、


「ならば、1日2食、食糧の提供をしよう。あとは、そうだな…。騎士見習いがやらなかった雑用を手伝えば賃金を出す」

「……。それ、本当か?」

「ああ。これは騎士見習いと同じ待遇だ。問題はない」


 この場に騎士見習いが居ない為に誰も指摘しないが、魔法の修行が条件といえ本来孤児である者達と、貴族出身の腕自慢がなることができる騎士見習いが同じ待遇であるのは、明らかに破格の条件と言えた。


「修行の方針は? 俺は魔法なんて使ったこともないが、それでも大丈夫なのか…?」

「マジ? ちょっとは自信あるから応募してきたのかと思った」

「やっぱそういうのあるのかよ!? 事前に言えよ!」

「ま、未経験でも大丈夫。誰しも言葉すら使えぬまま生まれてくるんだし、魔法なんて後からでも覚えられるって」

「軽いな、おい…ってか、お前、本当に本当に、魔法使いなのかよ…?」

「疑うじゃん」

「そりゃな…」


 どこからどう見ても奴隷という姿の彼女が何を言っても、説得力など皆無なのだった。

 とはいえ、奴隷が魔法を使えぬ道理もない。


「ふーん、じゃあ、クイン。君、病気の妹とかいない?」

「…んな都合よく妹はいねぇよ!」

「ならお友達でもいいよ。ウチが特別に無料で治してあげる」

「………。それ、本当か?」

「マジマジ。ウチの治療魔法がどんなものか、それを見て判断しなよ」

「…わかった」


 神妙な顔で頷くと、クインは一度孤児院の奥へと戻っていった。


「まさか、本当に来るとはな」

「なにそれ」

「邪神官と言えど女だ。男心を掴む術は心得てるということか?」

「あのね、ウチ、あんなひょろいガキに興味ないから」

「私も貴様の性的嗜好に興味はない」

「あぁ、はいはい、そうですか…」


 などと、二人が喧嘩していると、クインが戻ってきた。

 まだ10歳に満たないほどであろう少女を連れている。随分と痩せていた。


「こいつ、治せるか?」


 連れてこられた少女は、不安そうにクインの服の袖を掴んでいた。

 少女の右目はない。いや、傷などで右目を失ったのならばまだいい。

 彼女の顔の半分は、紫色の異形の肉腫で覆われ、腕にも、足にも、それは伝播していた。


「うぇ、何これ…やば…」

「奇病…って、いうんだろうな。こいつ、生まれつきこうだから、それで、捨てられたんだ…」

 

 そうして、この孤児院に流れ着いたのだという。

 この異形の姿のために、彼女はこの廃孤児院に残されたのだとも。


「酷い話ね」

「仕方ないだろう。これほどの奇病を患っていては、旅などできまい」


 ザルクバルクは、少女の痩せ細った痛々しい姿から冷静に言った。

 クインは唇を噛む。


「そしてお前は、こいつを見捨てきれずに共に残ったといったところか」

「………」


 クインの沈黙は、肯定を示していた。


「君、名前は? ウチはリピューテリアってんだけど」

「…ぁ……ぇぁ………」

「………え、何この子、喋れないの?」

「このブヨブヨが、口とか、喉とかにもあって、それで喋れない…んだと思う。飯もあまり食えないんだ」

「…なるほどね」


 リピューテリアはクインからの言葉を聞き、立ち上がった。そして、ザルクバルクに腕を差し出す。ブレスレットついた右腕だ。

 ザルクバルクは黙ってそれを外した。


「んじゃ、ちょっと診てみますか」


 リピューテリアは、戸惑う様子の少女に微笑みかけ、なるべく怖がらせないように、静かに、ゆっくりと、優しく、肉腫に触れた。当初、気色悪そうにしていたリピューテリアだったが、今はそんな様子を見せない。

 肉腫は、まるでカエルの卵のようにぶよぶよしていた。そして、ドクドクと不規則に脈打っていることがよく分かった。

 リピューテリアは少女の肉腫に手で触れたまま、己の魔力を彼女に流す。

 淡い青紫の光が、少女の身体を包むように迸り、少女の症状を解析する。


「ふうん。これは治せないわね」

「おい! 話が違うぞ!」

「これは怪我でも病気でもないもん」

「じゃあ何だよ!?」

「生まれつき」

「はぁ!?」

「生まれつき、別の生き物と混じって生まれてきてんのよ、この子」

「べ、別の生き物って……ま、魔物ってことか?」


 彼女が魔物と混じって生まれてきているのならば、言葉を話せないことにも合点がいく。異形の姿であることも、納得がつく。


「他に怪我とか病気してるやつはいないの?」

「他にって…こいつをなんとかしてやってくれよ!」

「だから、生まれつきこうなんだから治すも何もないわよ。これがこの子にとって正常な状態なわけ」

「ふざけんな! 何が魔法だよ! こいつを治せないんなら、そんな力いるかよ!  俺達の人生がかかってるんだぞ!」


 人生がかかっている――…と、いうのは、たしかにその通りだった。

 仮に治療魔法を習得したとしても、狂える竜との戦場に連れ出され、そこで命を落とす可能性は高い。

 命も、身体も、全てを賭けろ、これはそういう誘いなのだった。


「コイツを治せないなら、俺は弟子になんてならねぇ!」

「えぇっ?」

「どうする気だ、リピューテリア」 

 

 追い打ちをかけるように、ザルクバルクは言った。


「どうするって…えぇ…? 生まれつきなんだからなぁ…。うーん…あー…ひょっとして、この子が人の姿になればそれでいい?」

「魔法でごまかすってことか?」

「んー、わかりやすく言えば、この子の”別の生き物の部分”だけを殺す、かな」

「…そ、そんなことできるのか…?」

「でもめちゃくちゃ痛いよ? この子がそれでもいいってんなら、やってあげるけど?」


 リピューテリアは少女を見た。

 少女はうわ言のように声にならない声を出すだけだった。

 この少女自身に意思を示す事はできそうになかった。

 だから、クインが代わりに頷いた。


「やってくれ。このままじゃ、どの道、コイツはここで生きられない…」

「ふうん、それじゃアンタが責任を負うってことね。この子が激痛で苦しんだとしても、それでどれだけ恨らまれたとしても」

「………。……ああ、俺が責任をとる」

「へぇ、イイじゃん。嫌いじゃないわよ」


 真っ直ぐに見つめるクインの瞳に覚悟の光が灯っていることを見たリピューテリアは、再び少女の肉腫に触れる。

 再び、邪神官の手から、魔力が奔る。

 次の瞬間、少女の肉腫部分が全て弾け飛んだ。具体的には、顔の半分、そして、喉の半分。身体のほぼ半分が破裂して消失する。

 鮮血が飛び散り、飛び散る赤い暴風は、クインとリピューテリア、そしてザルクバルクも巻き込んだ。


「う、うわぁっ!? お前…! お前…何してんだよ!?」


 クインは少女の返り血を浴び、叫んだ。弾け飛んだ少女を抱きとめる。


「シャレア!」


 肉腫の少女、シャレアは血まみれになり、息をしていない。

 いきなり身体の半分が吹き飛んだのだ。

 確実に死んでいる。いや、仮に死んでいなかったとしても、間もなく死ぬ。

 しかし不意に、シャレアの全身が、暖かい光に包まれた。


「〈道半ばにて倒れ、膝を折るこの者に、今一度寵愛を授け給え。混じりて生まれし小さき命に慈悲を。そして願わくば、その覚悟を召し上げ給え〉」

 

 指を組み、祈りの所作を見せるリピューテリア。その全身に、誰もが目視できる形で、強い、強い魔力が集まっていた。まるで、夜の海を照らす灯火のように、光が、闇迫る孤児院の中を眩く照らす。


「〈我が神、我が神、敬愛する神よ、どうか、どうか、この少女を救い給え〉」


 光が、強い光が、収束していく。

 シャレアの欠損した肉体に、光が集っていく。

 失われた形が、本来あるべきであった形が、再構成されていく。


「〈此れなる奇跡は――――【完全なる修復】〉」


 詠唱が成り、魔法が成立する。

 魔力を対価に、この世界に摂理なき現象を引き起こす―――それが魔法。

 風のない場所に風を起こし、火のない場所に熱を産み、水のない場所を濡らす。

 痩せた大地を癒やし、彼方より雷鳴を招き、虚空より氷華を作る。

 人が持つべきでない力。

 この真竜国では、堕魔の神が降り立った日に、竜から人が奪ったと語られる忌むべき力だった

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る