第1話 邪神官、弟子をとる その3

 孤児院に騎士が踏み込む。

 それだけで尋常ならざる事態であった。

 当然、相手からすればそれは戦争の始まりを告げる蹄音にもとれるし、あるいは虐殺の始まりを示す戦鼓の響きにも感じられたのかもしれない。

 戦いが、争いが、血風が、死臭が、それらが微かに香れば、弱き者達はどうするか?

 そんな事はわかりきっていた。皆、息を潜め、この災厄が過ぎ去るのを待つのである。

 故に、踏み込んだ孤児院の廃墟には誰もいなかった。少なくとも、誰もいないように見えた。


「………ふむ。隠れたか。ここに並んでいてくれたのなら話が早かったのだが」

「そりゃ隠れるでしょ…。アンタみたいなのが帯剣した上で、事前通告もなく踏み込んできたらさ…」

「子供とは、広い場所で無邪気に遊んでいるものではないのか?」

「アンタが未婚な理由、今はっきりと理解したわ」


 この古騎士には、人の心が何一つ理解できやしないのだと、邪神官リピューテリアは確信した。まるで思考能力を搭載したゴーレムだと彼女は判じた。


「で、どうする? 力づくで集めてもいいが」

「ねぇ、それなんでウチに訊くわけ?」

「貴様の弟子になる連中のことだからな。挨拶する前から怪我をしていたら困ると思っただけだ。なに、私なりの気遣いだ」

「そりゃどうも…」


 怒りを通り越した彼女は、もはや逆に呆れ返っていた。

 そして、どうするべきか、周囲を観察しながら逡巡する。

 そもそも冷静に考えれば、ここにいるという孤児達が、彼女の言葉を聞き、古騎士の計画を理解し、それに賛同するかどうかなどわからないのだ。

 次の冬を越えられるかどうかわからない路地裏の子どもたちが、魔法の力と引き換えに戦地へ行くことを望むだろうか?


「………ねぇ、ちょっと訊きたいんだけど」

「なんだ?」

「私が治療魔法を授けた弟子が、竜殺騎士と一緒に戦地へ行き、無事狂竜を討伐して戻れたとするわ。そうしたら、その報奨はどうなるの?」


竜狩りは一大事業だ。本来、人が相対できる相手などではないのだから。

故に、その身から得られる素材には途方もない価値がつく。鱗一枚で半年暮らせるし、角ならば家が建つ。

竜一匹ならば、都市国家の一年の予算にも匹敵しよう。

 この国は竜を狩り、そこで得た素材の売買、その加工を生業としているのである。

 狂竜の討伐は国家事業、功労者には――いや、命を天秤に賭ける壮絶な竜との戦場に立つだけで、相応の報奨が発生するはずだ。


「無論、支払う」


 ザルクバルクが即答する。

 リピューテリアは眉を潜めた。驚いたのだ。


「幾らぐらい?」

「金貨にして100。一人頭だ」


 それが事実ならば、10回も戦場へ通えば、屋敷が建つだろう。

 道理でこの古騎士が屋敷に住めるわけだと、リピューテリアは思った。


「確認するわね。私の弟子になって! 魔法を使えるようになって! 竜殺騎士の援護のために従軍し! 見事竜を討伐できたのなら! 1度の遠征で、一人につき金貨100枚ッ!」


 やけに仰々しく、大きな声で、リピューテリアは言った。

 まるで、この孤児院の隅々にまで声を届かせようとするように。


「ああ、約束しよう」

「これを反故したら、アンタ、マジで私がぶっ殺すから」

「…覚えておこう」


 リピューテリアの言葉に、古騎士ザルクバルクは頷いてみせた。

 これで、言質はとれた。


「もう一度言うわね! 私の弟子になって! 魔法を使えるようになって! 竜殺騎士の援護のために従軍し! 見事竜を討伐できたのなら! 1度の遠征で、一人につき金貨100枚ッ! このクソ騎士も認めたわ!」


 リピューテリアは両手を広げる。そして、凛と響く声音で告げた。


「ウチとこいつは、日が落ちるまでここで待つッ! 少しでも興味がある者は、姿を見せなさい!」


 リピューテリアの透き通る声が過ぎ去っても、反応はない。

 しかし、そんな事はわかっていた。

 日が暮れるまでに自分の運命を決めろといったが、そんなに簡単に覚悟の決まる者など多くない。

 だから彼女は待つことにした。

 あ~…けほけほ、と、突然声を張り上げたせいで痛めた喉を気遣いながら、彼女は近くの床に腰を下ろす。今度は逆に、古騎士の腕が鎖に引かれた。


「これだけか? 探し出して捕まえたほうが早いと思うが?」

「ここに来るのはウチの弟子よ。教育方針には口出ししないでもらえる?」

「なるほど。差し出がましいことをした。ならば私も待つことにしよう」


 そして、騎士もその場に座した。巨体が沈み、床がギシリと嫌な音をたてる。


「…待ってる間に、床抜けないわよね?」

「さぁな。だが、落ちる時は貴様も一緒だ」


 彼は手に持った鎖をジャラリと鳴らす。


「最悪な気分だわ…」

「気が合うな。私もだ」


 真竜は、自らに従わぬ竜を狂竜と呼び、その悉くを討ち滅ぼすと宣言した。

 真竜国の民はその言葉に従い、狂竜を狩り続ける。

 そうして狩り得た竜の遺骸が、民達を生かすのだ。

 竜を狩るこの国に於いて、竜に相対できるだけの力を持つ騎士を竜殺騎士と呼び、さらにその竜殺騎士の中で、五指に入る強さをもつと言われる英雄。

 それが彼だった。巌の古騎士、ザルクバルク。


 彼は何が面白いのか、うっすらと不敵な笑みを浮かべ、座して待つという邪神官の女に付き合うことにした。

 

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