暁の龍 外伝

さらねずみ

ジュード・スミスの幻聴

 騎士団の屯所には、どんな小さな場所であろうと団長、副団長の席がある。それが首都ともなれば、小綺麗な広めの書斎が役付きの騎士の居場所となる。そんな場所は、自分には縁がないと思っていたのに。


「うーん…ここの編成がこうで……あと日誌も確認しなきゃ…。」

「スミスさん、お疲れさまです!お先に失礼します!」

「はい、お疲れさまです、気をつけて。」


 首都シュトルーフェの騎士団テールの屯所には、今日も傾く陽と戦いながら事務仕事をしている青年が一人いる。彼の名はジュード。つい数ヶ月前まで、彼は平凡な団員の一人だった。適度に体育会系な隊長、熱血な副隊長にいい具合に振り回されながらも、それなりに充実した日常を送り、忠実に仕事をしていただけのただの臣民だったはずだ。それが何をどうしたのか、彼は今、『副隊長代理』の肩書を拝命した団員として、日夜中間管理職の作業に追われているのだ。

 隊長や副隊長の仕事は多岐にわたる。警備や巡回の隊編成を始め、下から上がって来た経費の承認、報告書や勤務日誌の確認、指示書の作成など、枚挙に暇がない。いきなりどっと肩にのしかかってきたそれらを、マニュアル本片手にジュードはなんとかこなしていた。


 どうしてこんなことになってしまったのか。それは自分の上司であった副隊長、アラン・クラウフォードが突如遠方へ出張することになったからである。騎士団への籍は置いたままで出張することになった、という話をジュードが聞いたのはちょうど一ヶ月ほど前の夜だった。日勤の勤務時間もとっくに過ぎ、風呂から上がって寝ようと思っていた矢先に、自分の部屋のドアが叩かれたのだ。ちなみにジュードは騎士団の寮暮らしである。


「はい、スミスです。どちら様ですか?」

「夜遅くにごめんね、クラウフォードです。」


 長い長い髪を拭くのもそこそこに慌ててドアを開けると、そこには副隊長が立っていた。部屋着のジュードに対し、アランは勤務着のままだった。こんな夜にどうしたというのだろう。今日の副隊長は夜勤でもないし、急な欠員が出たという連絡もなかった。それにしては、副隊長の顔は少し疲れているように見えた。


「急にごめんね。俺、上からの命令で、しばらく首都を離れることになったんだ。」

「えぇ!?い、いつそんな話になったんですか!?」

「ほんとについさっきだよ。今団長に話通してきたところ。」

「そ、そうですか……。お戻りはいつですか?」

「それもまだなんとも。落ち着いたら連絡はしようと思ってるよ。」


 副隊長は少々、いやかなり熱血だが、どっしり構えた隊長とは良い感じのコンビである。どの隊にも言えることだが、役付きの隊員は隊の支柱になっていることがほとんどだ。その役付きが突然一人抜けるとなれば、隊員の混乱は必至だろう。

 言葉を切ったアランは、少々躊躇うように口ごもっていたが、意を決して次の言葉を発した。


「…それでね。ジュードにお願いがあって来たんだけど、一回聞いてくれる?」

「……私、このあとの展開が予想できました。」

「あはは、ごめん。でもこれは俺から言わせてね。」


 副隊長の言い方はずるい。そう言われてしまえば断れないじゃないかと、言えるだけの陽気さをジュードは持ち合わせていなかった。

 副隊長は鞄の中から一枚の紙を取り出す。少し分厚くて手触りの良さそうなそれは、騎士であれば誰もが必ず一度はもらうものだ。


「騎士団テール第一部隊、首都第一分隊所属、ジュード・スミスに、。首都第一分隊副隊長、アラン・クラウフォード。……お願いしてもいいかな?」


 私には無理ですと、言おうと思っていたことは否めない。だが、どうにも切羽詰まったような副隊長を見てしまったが最後、その選択肢は取れなくなってしまった。この人は、特別目立つ人という訳ではない。目を見張るような才能があるわけでもない。それなのに、この人には、協力したい、と思わせる何かがあるのだ。

 厳めしい声を作って辞令を読み上げたかと思えば、紙の向こうから、眉を下げた申し訳なさそうな笑顔でこちらに問うてくるアラン。有無を言わせず命令として下してしまえばいいのに、どうしてもそれは出来ない人。ジュードは、この人柄に心底弱かった。


「……拝命致します。」

「…ありがとう。ごめん、急に迷惑かけるね。」

「お気になさらず。副隊長代理は、副隊長の補佐のためにいますから。」


 二人だけの辞令交付。騎士の敬礼と共に、ジュードは己の役目を拝命した。ジュードへ辞令を手渡したアランは何かを言いかけたものの、言葉を飲み込んでジュードに深く、頭を下げる。

 辞令に書かれた副隊長の文字は、今の礼と同じで、何故だかいつもよりしゃちほこばっているようにジュードには見えたのだった。


 次の朝に出勤すると、改めて副隊長の出張を隊長から聞かされた。そして代理には自分が拝命されたということも。だいぶ緊張しながら軽い挨拶を終え、副隊長の席に着く。本来座るべき者が消えてしまったように整頓された机。その引き出しを開けてみると、一冊の古びた布張りの手帳が見つかった。開いてみると、中には副隊長の行う仕事の段取りがびっしりと書き込まれていた。筆跡はもちろん、副隊長のものだ。


「そいつな、よろしくってクラウフォードがお前さんに置いてったやつよ。ろくに引き継ぎも出来ねぇで、迷惑かけるからってな。」

「そう、ですか。」

「ま、分かんないことは俺に聞いてくれや。あんま気負わずにやってくれ、スミス。」

「分かりました。……隊長、副隊長はどちらに行かれたのですか?」


 夜勤明けで顔が眠そうな隊長は、少しだけ次の言葉を考えるように口を閉じる。ややあって開いた口は、いつもよりも小さい声を放った。


「俺も詳しくは言われてなくてなぁ。話さないんじゃなくて、って感じだったな。」

「確かに…なぜ出張するのかは、昨日一言も言っていませんでした。」

「あいつ、誤魔化すの得意じゃねえから、かなり言葉を選んで話してたな。あんなに歯切れの悪いクラウフォードは久しぶりだったぜ。」


 おいおい上からなんか言われるとは思うけどよ、どうにも心配になっちまうな。そうこぼした隊長は欠伸をすると、そろそろ帰ると言って席を立った。

 団長が帰れば、日勤隊の責任者は自分となる。気を引き締めて業務に当たろう、その前に胃薬を飲もう…と机から立ち上がった時、まだ手に持っていた手帳からはらりとメモが一枚落ちた。



 そんな慌ただしかった一日がもう、遠い昔のようだ。今日もなんとか業務時間内に事務処理を終わらせ、交代に来た隊員に日中の引き継ぎを行う。副隊長と呼ばれるのにも、もう慣れてしまった。自分の中での副隊長のイメージと自分自身があまりにも乖離しすぎていて、初めは悩んだものだ。だが、悩んでいても朝は来る。誰かがいなくなっても、組織は回る。いつの時代も、人々はそうやって世界を維持してきている。それは、自分も例外ではない。


「それじゃ、よろしくお願いします。」

「お任せください!」

「おうよ、ちゃんと寝ろよな。」


 荷物を背負って、自分が交代する隊員と隊長に軽く挨拶をしたジュードは、隊長室を出ようと扉の取っ手に手をかけた。

 その時、ここにいるはずのない人物の声が聞こえた。


『大丈夫!君ができる最善が、きっといい結果になるよ』


 それは、手帳に挟まれていたメモの言葉。この言葉が、自分に向けられたものかどうか、確かめる術は今はない。けれどその声が耳元で聞こえた気がして、ジュードは苦笑を深めた。妙に都合のいい幻聴だ。


「だいぶ僕も参ってるのかなぁ…。」

「どうした?」

「なんでもないです、隊長。お先に失礼します。」


 ジュードが後にした副隊長の席に、代理が座るようになってから二ヶ月と少し。未だ、席の主が戻る気配はない。

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