コミカライズ第1巻発売記念おまけSS

禎宇の驚愕 その1


 余人が知れば気がふれたと思われそうなので、一度も口に出したことはないが、敬愛する主の不幸のひとつは、見目麗しいと名高い両親の美貌を余すことなく受け継いでしまったことではないかと、禎宇ていうは以前から密かに考えていた。


 大国・龍華国の後宮。


 幾人もの妃嬪達がけんを競って咲き誇る後宮で、『妃嬪達よりも美しい』と密かに噂される美貌の官吏。


 後宮の不正を取り締まる官正の職につく珖璉こうれんの従者・禎宇は、疲労に無意識のうちに深い溜息をついていた。


 もし、珖璉が十人並みの容姿だったら、一挙手一投足にこれほど注目されることはなかっただろう。


 珖璉の美貌に魅入られた挙句、宮女達がこぞって秋波を送ってくることもないだろうし、何とかお近づきになれないかと、あれこれ画策されることもなかっただろう。

 今回の捜査とて、珖璉自身がもっと主体となって動けていたはずだ。いや、禎宇や同僚の隠密の少年・朔にとっては、敬愛する主のために働けることは喜びであれ、苦に思うことなどひとつもないのだが。


 禎宇はかぶりを振って、頭の中で渦巻く考えを振り払う。


 こんならちもないことを考えてしまうなんて、自分で思っている以上に疲れているらしい。


 珖璉に報告した後は、自室でお菓子を食べて癒されようと、甘味好きの禎宇は密かに決意する。


 厳しく箝口令かんこうれいを敷いているため、知っている者は少ないものの、後宮内では現在、厄介な事件が持ち上がっている。


 宮女達の連続殺人事件だ。


 すでに七人も殺されているというのに、犯人の手がかりはまったくと言っていいほど見つかっておらず、珖璉をはじめ、禎宇も朔も、日夜捜査に奔走している。


 だから、最初、掌服しょうふく担当の宮女達が住まう棟で騒ぎが起こっていると宦官から急ぎの報告があった時、禎宇はてっきり殺人事件に関係する騒ぎだと思い、肝を冷やした。


 殺人事件が起こっていることを宮女達が知り、恐慌を起こしたのか、もしくは掌服で新たな犠牲者が発生したのか、いずれにせよ、ろくなことにはなるまい、と。


 だが、掌服の棟に駆けつけた禎宇が耳にしたのは、恐慌は恐慌でも、禎宇が予想していたものとはまったく真逆のものだった。


「嘘……っ! 嘘よ……っ! 珖璉様があんな役立たずをおそばに置かれるなんて……っ!」


「そうよっ、きっと幻を見たのよっ! あの子があんまり役立たずだから、珖璉様自らがクビを言い渡しに来られたんだわ……っ! そうに決まってる……っ!」


「ああっ、叱責されるのでもよいから、ひと目珖璉様に視線を向けられたいわ……っ!」


「そうね……っ! 珖璉様に見つめられて名前を呼ばれたら、それだけでもう……っ!」


「掌服に来られた時のあの微笑み……っ! あれを見られただけで、私、気を失うかと……っ!」


「そうよ、私達が見たのは、珖璉様の麗しいお姿だけ……っ! そのあとのことは集団で悪い夢を見たのよ。そうに決まってるわ……っ!」


 この世の望みをすべて絶たれたかのような悲愴ひそうな顔つきでぶつぶつと呟く掌服の宮女達の様子に、禎宇はいったい何があったのかと混乱する。


 ふだんなら、厳しいことで有名な掌服長が宮女達を叱り飛ばしているに違いないが、肝心の掌服長は、まるで石と化したかのように、表情を失くし、ぴしりと凍りついたままだった。


 本当に、いったい何があったのか。


 どうやら珖璉が掌服に来たようだが、掌服に行くなど、別れた時の珖璉はひとことも言っていなかった。


 宮女殺しの犯人の手がかりを探すため、人目を避けて現場付近を見て回ると言っていたのに、禎宇が思いもよらぬ事態が起きているようだ。


 が、呆然自失の宮女達から禎宇が何とか聞き出した話は、禎宇の予想の遥か先をいっていた。


 聞いた時、思わず「嘘だ」と口走ってしまったほどだ。


 珖璉が、前ぶれもなく掌服に現れた挙句、側仕えにすると言って、突然、宮女をひとり連れ帰った、など。


 自分の美貌の威力を知っている珖璉は、いままで一度も、特定の女人をそばに近づけようとしたことなどなかったというのに。


 変だ。明らかに、禎宇のあずかり知らぬ事態が起こっている。


 宮女達が言うように、《幻視蟲》か何かで全員が幻を見たと言われたほうが、まだ信じられる。


 掌服が異様な雰囲気に包まれているせいだろう。


 用事で遣わされてきた他の部門の宮女達や、妃嬪付きの侍女達が何ごとかと不安そうに尋ねては、掌服の宮女達の呻きや呟きを聞いて顔色を失くしている。


 まずい。このままでは、掌服だけでなく、後宮中に混乱が広まってしまう。


 宮女達を正気に戻すには、真実を伝えるのが一番だろう。


 そのためにはまず、珖璉の現状を確認しなくては。


 珖璉が宮女のひとりに興味を持って連れ帰るなど、ありえるはずがないのだから。


 身を翻した禎宇は、珖璉の私室へ急ぐ。焦るあまり、気がつけば早足ではなく駆け出していた。


 屋根を叩く雨音がうるさい廊下を駆け、珖璉の私室まで辿り着いた禎宇は、扉を叩くのももどかしく、主の返事も待たずに扉を開けて部屋へ飛び込む。


「珖璉様、いったい何事でございますか!? 急に宮女を連れ帰られるなど、掌服だけでなく後宮中がすごい騒ぎに……っ!」


『馬鹿なことを申すな、禎宇。わたしが宮女などを連れ帰るわけがなかろう』


 敬愛する主からは、呆れ混じりのそんな言葉が返ってくるに違いない。


 そう予想していた禎宇の目に飛び込んできた光景は――。


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