コミカライズ連載開始記念おまけSS

幼い日の鈴花の水汲み その1


「ふん、しょ……っ!」


 小さめのおけとはいえ、五歳の鈴花りんかになみなみと水が入った桶はとんでもなく重い。


 毎日の仕事とはいえ、ふぅふぅ荒い息を吐きながら懸命けんめいに桶を運ぶ鈴花は、前から村の男の子達が来ているのに気づかなかった。


 が、行き交う村人もそう多くない村の細い道だ。鈴花に気づいた途端、悪童達がはやしたてる。


「あっ、うそつきが来たぞ!」


「見えないものが見えるって言ううそつきだーっ! にげろにげろー!」


「ちがうもんっ! うそつきじゃないもんっ!」


 悪童達の言葉に、鈴花は頬をぷくっとふくらませて反論する。

 が、もちろん悪童達がそんな程度で口を閉じるわけがない。


「うそつきがうそつきじゃないって言ってらぁ! またうそをついたぞ、こいつ!」


「うそつきじゃないって言うんなら、今度は何に色がついて見えるのか言ってみろよ!」


 その言葉に、鈴花は重い桶を地面に置いて周りを見回す。


「……いまは、いろがついてるものはないの……」


 そもそも、色がついている人や物が見えること自体がまれなのだ。

 急に言われてもすぐには見つけられない。


 ふるふると首を横に振った鈴花に、悪童達の顔が馬鹿にしたように歪む。


「やっぱり、色が見えるなんてうそなんだろ!?」


「見えたり見えなかったり、そんなことあるわけないに決まってる!」


「そうやっておれ達にかまってもらいたいだけなんだろ~!」


 げらげらと浴びせかけられる嘲笑に、鈴花は悔しさで唇を噛みしめる。


 五歳の鈴花では年上の悪童達をやりこめるなんて不可能だ。


 鈴花が何を言っても、悪童達から返ってくるのはからかいの言葉ばかりなのだから。ひどい時には、苦労してんだ桶の水をひっくり返されたことすらある。


「やーい、だまってやんの!」


「うそつきだから何にも言い返せないんだろ~!」


 心無い言葉に、じわりと涙がにじみそうになる。


 鈴花は嘘なんて言っていない。

 けれど、誰もが鈴花の言葉を嘘だと言うのだ。


 ただひとり、鈴花の言葉を信じてくれるのは――。


「鈴花!」


 心に思い描いた人の声が後ろから聞こえ、鈴花はぱぁっと顔を輝かせて振り返った。


 三つ年上の姉の菖花しょうかが、息を切らせてこちらへ駆け寄ってする姿が見える。


「ねえね!」


 大好きな姉の姿を見るだけで、思わずはずんだ声が出る。


 鈴花のそばまで駆けてきた菖花が、両手を腰に当てて悪童達を見回した。


「なあに? うちの可愛い鈴花に何かご用かしら?」


 菖花にねめつけられた悪童達が、いっせいに顔を赤くして視線を泳がせる。


「べ、べつに……っ」


「たまたま見かけたから……」


 たったひとことで悪童達を黙らせてしまう菖花はなんとすごいんだろうと、鈴花は感嘆して姉の整った顔を見上げる。


 綺麗で優しくて賢くて、ねえねは本当にすごい! と、感動が止まらない。


「こんなところでのんびりしていていいの? 家の手伝いがあるんでしょう?」


「お、おう……」


「それは……」


 菖花の言葉に気まずげな声を洩らした悪童達が、三々五々背を向け、逃げるように去っていく。


 鈴花達が暮らす小さな村は、決して豊かではない。


 子どもだって立派な労働力だ。ましてや、もうすぐ春の『昇龍の祭り』があるこの時期は、畑を耕すのに忙しい。遊んでいたらどやされる。


「鈴花、大丈夫だった? 何もひどいことされていない?」


 心配そうに鈴花の顔を覗き込んだ菖花に、「うんっ!」と大きく頷く。


「ねえねがきてくれたから、だいじょうぶだったよ!」


 ぎゅっ! と両手で菖花の腕に抱きつくと、愛らしい面輪にほっとした表情が浮かんだ。


「そう、ならよかった」


「ねえねはどうしたの?」


 朝のこの時間、菖花は家の手伝いをしていることが多いはずだ。鈴花の問いかけに、菖花は、


さい先生に頼まれていたつくろい物ができたから、届けに来たの」


 とにっこり笑う。言う通り、菖花は折りたたんだ布地を小脇に抱えていた。



 崔先生というのは、二年ほど前に帰ってきたもともとこの村出身の男性だ。まだ三十歳手前らしいが、常に無精ひげをはやしているので、鈴花も正確な年は知らない。


 大柄な先生はもともと、兵士として名を上げるために村を出たらしいが、戦いで左腕に怪我を負い、ろくに動かせなくなったために退役して帰ってきたのだという。


 いまは父親が亡くなった実家に母親と二人で暮らし、村長の手伝いをしたり、村の子どもに読み書きや計算などを教えて糊口ここうをしのいでいる。


 とはいえ、鈴花達が暮らす小さな村では、読み書きなどを習いたいという子どもは少ない。農業が生活の糧である村で生活する限り、使う機会が少ないからだ。


 その中で、菖花は数少ない教え子のひとりだ。


 崔先生が村へ帰ってきた時、まずはお試しで、とただで開催した手習いの時にたまたま菖花も参加し、物覚えのよさに崔先生が感嘆したらしい。


 読み書き計算ができれば、もっと大きな街に行ってお屋敷で侍女となるのも不可能ではない。そうすれば村でいるよりもっとお給金が稼げるかもしれない、と告げた崔先生の言葉にすっかりその気になった両親は、家の仕事の合間に、五日に一度、菖花を崔先生のところに通わせている。


 授業料は目の悪い崔先生の母親に代わって繕い物をしたり、畑で採れた野菜を届けたりと、お金ではないことも多い。


 菖花が抱えている着物も、そんな経緯で頼まれたものだろう。


 最近、鈴花が自分の名前を書けるようになったのも、崔先生のところでいろいろなことを学んでいる菖花が、家でこっそり鈴花にも字を教えてくれているからだ。


 鈴花と三つしか違わないのに、裁縫の腕も達者だし、鈴花には何が書いてあるのか読めもしない書物の内容がわかるなんて、菖花は本当にすごいと思う。


 鈴花にとって誰よりも自慢の大好きなお姉ちゃんだ。


「ちょっと回り道だけど、鈴花も崔先生のところに一緒に行く?」


「いいのっ!?」


 姉の提案に、鈴花はがばっと顔を上げる。


「あ、でも……」


 だが、鈴花はすぐにうつむいた。視線の先にあるのは、先ほど地面に置いた水を汲んだ桶だ。


「まだおみずをくむの、おわってないの……。はやくしないと、またおこられる……」


 姉の菖花と違って、鈴花はできそこないだ。『お前みたいな役立たずは見たことがないよ!』といつも両親に怒られる。


 大好きな姉と一緒にいたい。けれど、両親に怒られるのも恐ろしい。


 うつむいて小さな拳を握りしめていると、そっとあたたかな手に包まれた。驚いて顔を上げた鈴花の視界に飛び込んだのは、優しい菖花の笑顔だ。


「大丈夫。私がちゃんと父さんと母さんに説明してあげる。だから、心配いらないわ」


「……ほんと?」


「ええ。だから行きましょう。鈴花に見せてあげたいものがあるの」


 微笑んだ菖花がもう片方の手でごく自然に桶を持ち、鈴花はあわてた。


「だめだよ、ねえね! わたしがもたなきゃ……っ!」


 重い桶を大事な姉に持たせるなんて申し訳なさすぎる。が、菖花は譲らない。


「じゃあ、鈴花は代わりに崔先生の着物を持ってくれる?」


 小脇に抱えていた布のかたまりを渡され、反射的に受け取ってしまう。


 だが、水の入った桶と着物では、あまりに重さが違いすぎる。


「ねえね、だめだよ。こんなの……っ!」


 だが、いくら訴えても、歩き出した菖花は笑ってかぶりを振るばかりだ。


「鈴花が持つより、私が持ったほうが早く歩けるもの。鈴花は早く帰らないとって思ってるんでしょう? なら、こちらのほうが鈴花のためにもなるわ」


「で、でも……っ!」


 せめて少しでも負担を減らそうと、鈴花は着物を抱えたのとは別の手で、菖花と一緒に桶の持ち手を掴んだ。


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