菖花の見送り その3


「……本当に、珖璉様のことをが好きなのね……」


 身を硬くする鈴花のこわばりをほどくように、菖花が優しく頭を撫でてくれる。


「私は珖璉様のことは、官正としてご活躍なさっているのを噂で聞いただけで、直接お言葉を交わしたのは、今日が初めてなのだけれど……」


 ひとつひとつ言葉を選ぶように、菖花が穏やかな声で語りかける。


「あなたが恋した珖璉様は、相思相愛になった女人をあっさり捨てるような情のない方ではないでしょう?」


「それはもちろん……っ!」


 菖花に珖璉のことを誤解されたくなくて、鈴花は何度も頷き、必死に言葉を紡ぐ。


「珖璉様は本当にお優しい方なの……っ! 私が掌服でお世話になった夾さんのことも助けてくれたばかりか、『十三花茶会』の準備でお忙しいのに、姉さんのことも調べてくださって……っ!」


「そう。話に聞いていたとおり、素晴らしい御方なのね。だったら」


 菖花が包み込むような笑みを浮かべる。


「珖璉様が、一時の気まぐれであなたに想いを告げたわけではないと、わかるでしょう?」


「っ!? そ、それは……っ」


 珖璉に『好きだ』と言ってもらった時、これは夢に違いないと思った。想いが高じすぎて、幻を見ているのだと。


 それを真実だと信じられたのは、他でもない珖璉自身の真摯な言葉と――。


「~~~っ!」


 交わしたくちづけの熱さを思い出し、鈴花は声にならない悲鳴を上げる。


 思い出してはだめだ。どきどきしすぎて心臓が壊れてしまう。


 口から飛び出してしまいそうな心臓を夜着の合わせを握りしめて押さえつけ、不安を隠さずに菖花を見つめる。


「……夢じゃ、ないのかな……?」


 絞り出した声は、自分でも呆れてしまうほど情けなく震えていた。


 こんなことを聞かれても菖花が困るだけだというのは、頭ではわかっている。


 けれど、鈴花にとって頼れる相手は菖花しかいなくて。大好きな姉以外には、他の誰にもこんな相談なんてできない。


 妹の問いかけに、菖花が小さく笑みをこぼす。


 幼い頃、優しく鈴花をさとしてくれたように。


「たとえ、夢だとしても……。この先、苦難やつらいことがあったとしても、あなたが珖璉様を好きな気持ちは変わらないのでしょう?」


「っ!?」


 とすり、と菖花の声が矢のように鈴花の心を貫く。


 菖花の言う通りだ。

 たとえ、この先いつか珖璉に失望され、捨てられる時が来たとしても……。


 きっと、珖璉に恋するこの気持ちが消える日はこないだろう。


「……私なんかが好きでいても……。珖璉様のご迷惑にならないのかな……?」


 それでも胸の奥からにじみ出す不安を、ぽつりとこぼす。と、菖花にぎゅっと抱きしめられた。


「『私なんか』じゃないわ。鈴花は昔からずっと、私の大切で可愛い大好きな妹なんだから」


「姉さん……っ!」


 嘘偽うそいつわりなく、心の底から思ってくれているとわかる真摯しんしな声音に、涙があふれ出す。紡いだ声は潤んでうまく言葉にならない。


 思いきり抱きついた鈴花を、菖花が優しく受け止めてくれる。


「好きだと思う気持ちは、自分の意志で止められるものではないでしょう?」


 ぐすぐすと鼻を鳴らす鈴花に、優しく微笑んで菖花が告げる。菖花の言葉に脳裏に甦ったのは、恋心ゆえに禁呪に手を染めた茱栴の姿だ。


 今ならば、茱栴の気持ちがわかるような気がする。


 けれど。


「私……。もっと頑張る……っ!」


 恋に溺れるあまり、誰かを害そうとは決してすまい、と心に誓う。


 たとえ、どれほど珖璉のことを想っていても。いつか、珖璉が鈴花以外の誰かに心移りしたとしても。


 珖璉に迷惑をかける真似だけは決してすまいと。


 胸の奥で灯り、心をあたためてくれる珖璉への想いを、自分の手でけがすようなことだけは、絶対にしない。


 ずっと珖璉のそばにいるために何をすればいいのか、今はまだひとつとしてわからないけれども。


「せっかく会えた姉さんと、すぐに離れ離れにならなきゃいけないのは寂しいけど……。でも、私は後宮ここで頑張る!」


 潤んでいた目元をごしごしとこすって顔を上げ、大好きな姉を見つめてきっぱりと宣言すると、菖花が名の通り、花のように咲き誇る笑みを浮かべた。


「ええ。私は故郷へ帰るけれど……。いつだって、あなたを応援しているわ。大好きな鈴花」


「私も姉さんが大好きっ! 私だって、いつだって姉さんの幸せをお祈りしてる!」


 思いの丈をぶつけるように、たおやかな菖花の身体に回した腕に力をこめる。


「嬉しいわ、鈴花。ありがとう。……ふふっ、鈴花とこんな話をする日が来るなんて……」


 菖花がくすぐったそうに笑う。


「後宮であなたの名前を聞いた時にも驚いたけれど、まさかそれ以上に驚くことが待っていたなんて……。ねぇ、鈴花。ひとつだけわからないのだけれど、どうやって官正の珖璉様とお近づきになったの?」


 好奇心を抑えられないと言いたげに菖花が尋ねる。


「ええっと、それは……。いつもみたいに道に迷っちゃった時にたまたま……。それで、私の人に色がついて見える目は《見気の瞳》って言うんだって教えていただいて……」


 問われるままに鈴花は菖花に答えていく。幼い頃、布団の中で身を寄せ合い、いろんな話をした時のように。


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