菖花の見送り その2


「えへへへ」


「もう、鈴花ったら甘えん坊ねぇ」


 もぞもぞと一緒の布団の中にもぐりこんできた妹に、菖花が仕方がないと言わんばかりに苦笑する。だが、柔らかな笑顔も声も、昔と変わらず優しさに満ちていた。


「だって、明日には帰っちゃうんだもん」


 夜着の鈴花は、同じく夜着の菖花の隣に横たわると、ぎゅっと抱きつく。


 自分が子どもみたいに甘えている自覚はある。だが、心配して探して探して……。ようやく再会できた大好きな姉なのだ。


 明日には別れなければならないのだから、今夜だけは大目に見てほしい。


 鈴花の気持ちなど、菖花にはお見通しなのだろう。「仕方がないわねぇ」と言いながら、菖花もそっと鈴花を抱き返してくれる。嬉しくて、鈴花はすりすりと大好きな姉に頬ずりした。


「こうやって姉さんと一緒に寝るの、久しぶりだね」


 菖花が後宮に奉公へ出て以来、一緒に眠る機会なんてなかったので、約二年ぶりだ。


 鈴花の家は裕福ではない。幼い頃からずっと、夜は姉妹で身を寄せ合ってひとつの布団で眠ってきた。特に冬の寒い時期は、互いのあたたかさにどれほど癒されてきたことか。


 今は三月なので寒さを感じることはないが、それでも自分以外の誰かの体温に心がほっこりとなごむ。それが大好きな姉のものなら、なおさらだ。


 寝台はひとり用だが、ぴったりとくっついているので、狭いということもない。


(珖璉様は姉さんよりもっとおっきくて硬くて……。あたたかかったけど……)


 無意識にごく最近の自分の中の記憶と比べ、息を呑む。


「っ!? あっ、あれは事故みたいなものでっ! そもそも、珖璉様と姉さんを比べるなんて不敬すぎるし……っ!」


「鈴花?」


 突然騒ぎ出した妹に、菖花が不思議そうな声を出す。


「な、何でもないっ! 何でもないの……っ!」


 ぶんぶんとかぶりを振って追い出そうとするのに、一度甦った記憶は、遠のくどころかさらに鮮明に甦ってくる。


 鈴花達が着ている綿の夜着とは肌ざわりからして異なるなめらかな絹の衣。たおやかな菖花と違って、硬く大きい引き締まった体躯たいく。衣に焚き染められた薫りは、爽やかなのにずっと包まれていると溺れそうな心地がして――。


「わ――っ!」


 羞恥しゅうちと混乱が限界を突破し、やにわに叫び声を上げた鈴花に、菖花が驚いたように目をみはる。


 が、すぐに得心したように美しい面輪に柔らかな笑みが浮かんだ。


「……珖璉様と、何かあったのね?」


「どうしてわかるのっ!?」

 驚きに思わず素直に反応すると、菖花がくすりと笑みをこぼした。


「だって、私の大切で大好きな妹のことだもの」


「姉さん……」


 昔からそうだ。菖花は鈴花が村人達に「不気味な娘」と言われたり、両親に「役立たず」とののしられて沈んでいると、何も言わなくても優しく鈴花を慰めてくれた。


「あの……っ。あの、ね……」


 胸に巣食う不安を打ち明けられるとしたら、菖花しかいない。

 鈴花はきゅっと菖花の夜着の袖を握りしめる。


「わ、私……っ。珖璉様のことが……っ! えっと、珖璉様が『昇龍の儀』を見せてくださって、その……っ」


 珖璉が本当は皇族の血を引く『龍璉りゅうれん』であるということは告げられない。話せば、菖花も後宮から出られなくなってしまう。


「……珖璉様も、あなたのことを想ってくださっているの?」


 うまく説明できない鈴花の心をすくい上げるように、菖花が穏やかな声で問う。


「っ!?」


 改めて、第三者に言われると衝撃が違う。


 息を呑んで凍りついた鈴花を、菖花は急かすことなく優しく見守ってくれる。決して鈴花を追い詰めることのない、包み込むようなまなざしに、鈴花はしばしの沈黙の後、こくりと頷いた。


「そ、そうなの……っ。こ、珖璉様も私のことをす、すすすすす……っ」


 『お前が好きだ、鈴花』と告げた熱のこもった珖璉の声を思い出した途端、ぼふんっ、と顔が爆発しそうになる。


「どうしようっ、姉さんっ!? 私、まだ夢を見てるのかもっ!」


 思わず菖花にすがりつく。


「だって、珖璉様は雲の上のご身分で、見惚れずにはいられない麗しい御方で、《蟲招術》を使えるだけじゃなく剣の腕だって巧みで、しかも、立派に職務を果たされようと日々努力を重ねてらっしゃるだけでなくて、私なんかにもお優しくて、本当にご立派な御方で……っ!」


 話せば話すほど、珖璉のような素晴らしい貴公子が鈴花などを好いてくれるはずがないという思いが強固になる。


「私、いつから夢の中に迷い込んじゃってたんだろう……っ!? もしかしたら、ここは掌服しょうふくの相部屋で……っ」


「鈴花。鈴花ったら。落ち着きなさいな」


 わなわなと震え出した鈴花を、菖花が優しく抱きしめてくれる。


「私のせいであなたにはずいぶん心配をかけてしまったし、『十三花茶会』ではとても恐ろしい目にも遭ったんだもの……。きっと、心が疲れているのね」


 よしよし、と菖花の細い指先があやすように鈴花の頭を撫でてくれる。


「大丈夫。夢なんかじゃないわ。ほら、私はちゃんとここにいるでしょう?」


 優しい指先も声も、記憶の中にある故郷にいた頃の姉となんら変わりなくて。

 鈴花の心の中に、大好きな姉と再会できたのだという喜びがじわじわと湧いてくる。


 同時に、これは夢なんかではないのだと、ようやく実感が伴ってきた。


「私を探してくれている間に、珖璉様といったい何があったのか、くわしく聞いてみたいところだけれど……」


 ふぅ、と小さく吐息した菖花が、真っ直ぐに鈴花の目を覗き込む。


「鈴花、あなたも……。珖璉様のことが、好きなのね?」


 滅多に聞くことのない、強い声音。

 引き込まれるように、鈴花はこくりと頷いていた。


「うん……っ! 珖璉様が好き、なの……っ!」


 口にした瞬間、燃えるように全身が熱くなる。


 まるで、胸の中に炎が灯ったかのようだ。


「そう……っ。あの、小さくて可愛かった鈴花が恋を……っ」


 感極まったように呟いた菖花がふわりと花のように微笑む。妹の鈴花ですら、思わず見惚れてしまうような柔らかで華やかな笑み。


「で、でも……っ!」


 ふるふると怯えるようにかぶりを振る。


「私は姉さんみたいに綺麗じゃなくて、出来の悪い役立たずで……っ! だから……っ」


 自分でもよくわからぬまま、胸に浮かんだ言葉を紡ぎ、鈴花はようやく自分の心の中に巣喰すくう不安の正体に気づく。


「きっと、珖璉様は一時の気の迷いでおっしゃってるに違いないの……っ! お優しい方だから、きっと私を可哀そうだと思われて……っ! だからきっと、そう遠くないうちに……っ!」


 それ以上を口にすれば、今すぐ現実になってしまいそうで、鈴花は涙をこらえるようにぎゅっと唇を噛みしめる。


 絶対に、この恋は叶わないのだと思っていた。

 珖璉が鈴花などを振り向いてくれるはずがないと。


 だから、珖璉と両想いになれる未来なんて、思い描きさえしなかった。


 だが、信じられないほどの幸運で、想いが叶った今は――。


 いつ珖璉に呆れられ、見捨てられるかと思うと恐ろしくて、考えるだけで心も身体も凍りつきそうになる。


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