隠密達の立ち話 その4
鈴花が掌服に戻ってからの珖璉の
もちろん、禁呪使いを捕らえられずにいたからでもあるが、今までどんな難題に対しても冷静かつ真摯に取り組み、乗り越えてきた珖璉が、あれほど荒れた姿は初めて見た。
掌服に戻った鈴花が同僚の宮女達から嫌がらせを受けていると知った時の珖璉は、禎宇が止めていなかったら間違いなく掌服へ駆けつけていただろう。
あんな風に、誰かに心砕く珖璉は初めて見た。
「ま、お前は昔っから珖璉様に懐いてたもんんなぁ」
あやすようにわしわしと頭を撫でられ、かぁっと頬に熱がのぼる。
「す、素晴らしい主人を尊敬するのは、当然のことではありませんか!?」
「うんうん、確かに珖璉様はあのご容貌の割に、情に
影弔に他意はないと知りつつ、朔は反射的に言い返す。
「『ご容貌の割に』というのは失礼ではないですか!? 珖璉様は、取るに足らない従者の俺にもお優しく、禎宇さんのこともよく気遣われて……っ! あの迷子娘が珖璉様に分不相応な想いを抱いたのも、きっとその珖璉様のお優しさを勘違いしたからにありません!」
自分で告げた言葉に、禁呪使いを探さなければならないという忙しさの中、鈴花の姉の菖花についての書類を探すよう命じられた時の不満を思い出す。
あの時、珖璉の命に、朔は『この忙しい最中、行方不明の宮女ひとりに手間をかけている余裕などないのではございませんか?』と、珍しく抗弁したのだ。
ふだんの珖璉なら、決して優先順位を誤らぬはずなのに、と。
朔の疑問に、珖璉は即座に答えてくれた。
『菖花が、まだ見つかっておらぬ一人目の犠牲者である可能性もある。いつから連続殺人事件が始まったのか明確となれば、容疑者を絞り込む際に役立つやもしれん。手間をかけてすまんが、調べてきてくれ』
と。それだけで終わっていれば、
『珖璉様のご深慮に俺ごときが過ぎたことを申しました。お任せください。すぐに調べてまいります』
と、朔が感服して承るだけで終わっていただろう。
だが、続いて珖璉が視線を伏せ気味にこぼした言葉は。
『……これは、詫びでもあるからな……。わずかなりとも菖花の情報が掴めて鈴花を安心させてやれるのなら、それに越したことはない。くれぐれも頼む』
端麗な面輪に愁いをのぞかせ、どこか気まずそうな口ぶりで告げた表情は、まるで失態を犯してしまった女人に詫びの贈り物を買ってくるよう従者に言いつけるかのような照れくささがにじんでいて。
驚愕に目を
見事な働きをした者に、褒美を与えるというのならわかる。しかし、鈴花は《見気の瞳》という珍しい能力があると聞いたものの、まだろくに役にも立っていない上に、一度どこかへ行けば糸の切れた
禎宇から聞いた話によると、朔がいない時に掌食に茶葉を取りに行こうとして迷子になり、よりによって珖璉に迷惑をかけたのだという。
まったくもって、許しがたい。
「やはり、あんな迷子宮女は珖璉様にふさわしくありません!」
怒りを込めて告げると、影弔にふたたびぶはっと吹き出された。
「まっ、珖璉様大好きなお前ならそう言うだろうな。けど、人の恋路を邪魔する奴は、ろくなことにならねぇっていうぜ?」
「こ、恋……っ!」
あえて目を
「ああいや、まだわかんねぇけどな? 人の心なんて移ろいやすい。これからどうなるかなんざ、当人達でもわかんねぇだろうし……」
「ですよねっ!? 珖璉様の一時の気の迷いで、正気に戻られるということだって、大いにありえますよねっ!?」
希望に、ぱぁっと視界が開ける心地がする。
興奮する朔は、「……まあ、情に篤く、今まで己を厳しく律してこられた珖璉様の性格的に、そうそう嬢ちゃんを手放すとは思えねぇけどな……」と、影弔がこぼした低い呟きを聞き逃す。
「まっ、周りは静かに見守ってとくのが一番いいんじゃねぇか? 周りに反対されればされるほど、当人達は燃え上がるっていうしな」
「……見守りたい気持ちなんて、これっぽっちもありませんが、影弔さんがそう言うなら、善処します……」
くぅぅっ、と
影弔が言う通り、そういう話も聞いた覚えがある。朔の反対が
周りから強硬に反対された結果、身分違いの男女が駆け落ちしたなんて話は、物語などでたまに聞く題材だ。
そういう場合はたいてい、女人の腹には赤子が宿っていて……。
「~~~~っ! 珖璉様がそんなことをなさるはずがないっ! 断じてないっ! ないったらない!」
「うぉっ!? どうした朔、急に叫び出して」
ぶんぶんぶんっ! と突然、奇声を上げた朔に、影弔がぎょっと目を見開く。
「いえ……っ! 突然、恐ろしすぎる悪夢に襲われまして……っ! ですが、大丈夫です! 俺、珖璉様を信じてますからっ!」
「お、おう……?」
そうだ。自分の身分や立場をわきまえている珖璉が、駆け落ちなどという愚かな真似をするはずがない。
だが、その前段となると……。
「わ――――っ!」
脳内に浮かび上がりそうになった妄想を振り払うように、叫びながら千切れんばかりに頭を振る。
「おい朔、ほんとに大丈夫か!?」
「だ、だだだだだいじょうぶです……っ!」
苦み走った男らしい面輪に不安の色を宿す影弔に、ぎこちなく、こくこくと頷き返す。
珖璉だって健康な青年だ。何もおかしいところはない。
けれど、朔の思考がそれ以上のことを考えることを拒否している。
「というか、《宦吏蟲》があるからそもそも無理だし! 泂淵様はしばらく蚕家本邸で謹慎だし! そうだそうだ! うんっ、大丈夫!」
泂淵の謹慎が解けた時のことは、今は考えないことにする。
……朔の心の平穏のために
隠密たるもの、常に心に余裕をもって、状況を
「ああもうまったく! あの迷子宮女はどこまで傍迷惑なんだ……っ!」
「まあまあ、そう言うなって」
ぎりぎりと歯噛みする朔に、あっけらかんと影弔が告げる。
「興味深い観察対象ができて、側仕えの楽しみが増えたじゃねえか」
「楽しいだなんて、天地がひっくり返っても思えません! こうなったら……っ! 影弔さんっ、お願いがあります!」
ぴしりと背筋を伸ばし、自分よりも背の高い優秀な隠密を見上げる。
「ん? 何だ急に? 改まって」
「どうか、後宮にいらっしゃる間に俺を
「……お、おぅ……。すげぇヤル気だな……。ああ、うまくいくかどうかはともかく、お前の凄まじい熱意はわかった……」
朔から立ち昇る熱意に押されたかのように、若干身を引きながら、影弔が頷く。
「はいっ! ぜひともお願いします!」
ずい、と身を乗り出し、影弔に頭を下げると、頼もしい声が降ってきた。
「よし、お前がそこまでヤル気なら、応えてやるのが先輩としての務めってやつだな! 今回、『十三花茶会』はなんとか無事に乗り越えられたが、玉麗妃様のご懐妊が確実となった今、官正である珖璉様に持ち込まれる厄介事は増えこそすれ、減ることはないだろう。後宮付きの宮廷術師も一新することになるだろうしな。それに備えて、お前が今以上に隠密の技に
「はいっ! もちろんです!」
朔が珖璉の役に立てるなら、励まぬ理由がどこにあろう。
ぐっ、と拳を握りしめ、朔は力強く宣言する。
「俺、精いっぱい頑張ります! 珖璉様の目を覚ますためにも!」
「おう! 頑張れ! ……ま、後半の目的は叶うかどうかわかんねぇけどな……」
苦笑した影弔がわしわしと頭を撫でてくれる。
「よし! やるぞ――っ!」
気合いを込めた朔の耳には、やはり影弔の低い呟きは入らなかった……。
おわり
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