隠密達の立ち話 その3


「どうした? しかめっ面をして」


 からかうような影弔の声に、我に返った朔はあわててかぶりを振る。


「いえ。俺が影弔さんみたいにもっと腕が立ったら、さらに珖璉様のお役に立てただろうにと思うと、自分が不甲斐なくて……」


 三十過ぎの影弔は、朔が隠密を目指した時には、すでに霓家げいけの隠密として活躍していた。朔の師のひとりでもある。


 隠密の割にはあけすけで、気安く話しかけてくれる性格に、どれだけ助けられたことか。にも関わらず、指令された仕事はきっちりとこなす腕前は、珖璉とは別の意味で尊敬している。


「そんなにへこむ必要なんざねぇよ。閉鎖的な後宮だと、情報を集めるのもひと苦労だろう? お前はよくやってると思うぜ? 珖璉様だって、お前のことを褒めてらっしゃったぞ」


「本当ですか!?」


 影弔の言葉に思わず声が弾む。

 尊敬する珖璉に働きを認めてもらえたなんて、なんと嬉しいことだろう。


 伏せていた顔をぱっと上げた朔に、影弔がぶはっと吹き出す。


「昔っから変わらねぇが、お前、ほんと珖璉様のことが好きだなぁ」


 子どもにでもするようにわしわしと頭を撫でられ、顔が熱くなる。いかに嬉しかったとはいえ、感情をあけすけに出すなんて、今の反応は隠密としては落第点だろう。


「す、すみません……」


「謝らなくていいさ。主に忠誠があるってのはいいことだ。俺なんざ、その点、適当だからなぁ」


 適当と言いつつ、影弔が霓家お抱えの隠密の中で誰よりも腕がいいのは、霓家に所属する隠密の全員が認めるところだ。


 だから、『十三花茶会』が迫り、禁呪使いが見つからない中、影弔が助太刀として来てくれるとわかった時には、これで何とかなるかもしれないと朔はひそかに安堵した。だが。


 珖璉が折り合いの悪い実家に頼んでまで、腕の立つ影弔の派遣を願った理由を考えると、嫌でも胸にもやっとした気持ちが湧き上がる。


 感情が顔に出ていたのだろうか。朔の表情を見た影弔がぶはっと吹き出す。


「俺は、なかなかオモシロい嬢ちゃんだと思うけどな?」


「珖璉様にはもっとふさわしい女人がいらっしゃるはずです! なんでよりによって、《見気の瞳》しか取り柄のない、とんちんかんで方向音痴の宮女なんかを……っ!」


 反射的に、胸の奥でくすぶっていた不満が口をついて飛び出す。


 珖璉の本来の身分ならば、どんな高貴な家柄の令嬢だって、よりどりみどりなはずだ。


 それが、よりによって、方向音痴の宮女を気に入られるだなんて。


 連続殺人の終わりとともに、この悪夢も終わってくれればいいと、内心、どれほど願っていたか。


 《見気の瞳》の力を失った鈴花が掌服しょうふくに戻ると言い出した時は、内心、身のほどをわきまえていると褒めてやりたい気持ちだったというのに。


 まさか、『十三花茶会』の場に現れ、事件が落着した後も掌服に戻らず珖璉のもとに残るなんて。


 しかも、珖璉は王城で行われる『昇龍の儀』にまで鈴花を連れていって、《龍》を喚ぶところを見せたばかりか、己の本当の身分を明かしたという。


 ……朔ですら、珖璉が《龍》を喚ぶところを間近で見たことはないというのに!


 珖璉が生まれた頃から仕えている禎宇はともかく、ぽっと出の鈴花がそんなに特別扱いされるなんてずるすぎる。


 しかも、珖璉様ときたら、王城で何があったのか、帰ってからというものの、鈴花に向ける微笑みも声音も、ことごとく甘いのだ。


 禁呪使いを打倒した喜びで浮かれているというわけではないのは、さすがに朔もわかる。


「まあ、確かにとんでもない方向音痴の嬢ちゃんだけどよ。禁呪が暴れ回る茶会の場に、身ひとつで飛び込むなんざ、なかなかできることじゃあねぇだろ?」


 朔の不満をなだめるように、影弔が穏やかな声音で告げる。


「それは、そうですが……」


 禁呪によってつくられた九匹もの巨大な黒い蛇が暴れ回る茶会の場は、まるで冥府から化け物が飛び出してきたかのようだった。


 隠密になるための訓練を受けてきた朔でさえ、驚愕に一瞬身が強張りそうになったほどだ。


 妃嬪や宮女、宦官達はおろか、荒事が起こった際の訓練をしているはずの警備兵達まで、恐怖に震え、逃げ出そうにも金縛りにあったように動くことすらできてなかった。


 そんな場所に、鈴花はひるむことなく真っ直ぐに駆け込んできたのだ。


 ただひとり、珖璉だけを見つめて、その力になるために。


 もし《見気の瞳》を取り戻した鈴花が現れず、禁呪使いの正体がわからなければ、あの場の混乱はさらに肥大して、珖璉や玉麗妃の力をもってしてもおさめられなかっただろう。何人もの死者が出ていた可能性もある。


 ――茱栴は、妃嬪を皆殺しにしようと企んでいたのだから。


 『十三花茶会』は滅茶苦茶になってしまったが、逆に言えば珖璉と鈴花の働きのおかげで、犠牲をそこまでで食い止められたとも言える。


 禁呪が荒れ狂い、夜の闇に閉ざされた中、茱栴を止めた珖璉の勇気と剣技はいくら称賛してもし足りない。その助けとなったのが、鈴花の《見気の瞳》だというのは、理性ではわかっている。


 けれど。


 尊敬する珖璉がそばにおきたいと願ったのが鈴花だということを、感情が認めたくない。


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