隠密達の立ち話 その2


 朔の両親を殺した賊も、もともとは、大臣の位についているうえ、皇女に息子をめあわせた霓家の勢力がこれ以上増大せぬようにと、警備の薄い別荘にいる龍璉の命を狙った刺客だったそうだ。


 しかし、龍璉の護衛に返り討ちに遭い、逃げている最中に不幸にも両親が出くわしてしまい、逃走経路がばれぬようにと口封じされたらしい。


 朔がそれを知った時、龍璉はわざわざ私室に朔を招いて詫びてくれた。


 朔の両親が殺された遠因は自分にある。あの時、自分が別荘へ行かなければ、村のそばに賊が現れることもなかった。朔には龍璉を恨む権利がある。わたしの力で叶えられる限り、お前の望みを叶えよう、と……。


 見惚れずにはいられない愛らしい美貌を歪め、苦しげに告げる龍璉に、朔は迷うことなく告げたのだ。


 では、俺に賊を倒し、龍璉様をお守りできるだけの力をください、と――。


 幼心に、違和感に気づいていた。下働きとして引き取られたにもかかわらず、妙に待遇がよかったこと。時折、龍璉が遠くから様子を見てくれていたこと。


 それらは龍璉なりの謝罪であり、気遣いだったのだ。


 両親が亡くなったことが哀しくないと言えば嘘になる。だが、悪いのは賊であって、龍璉を恨むのは筋違いだ。むしろ、命を狙われた龍璉こそ被害者ではないか。


 龍璉が朔の望みを叶えてくれるならば――。


 皇族の血を受け継ぐ霓家げいけの御曹司として、朔には想像もできぬ贅沢ぜいたくな暮らしをしながら、かごの中の鳥のように不自由を強いられているこの方の力に少しでもなりたいと。


 幼い朔は、心に固く決めた。


 当時、すでに龍璉の側仕えとして仕えていた禎宇ていうのように、剣術を習い武官の道を選ぶという選択肢ももちろんあった。


 だが、幼い頃からせぎすだった朔は、霓家へ引き取られて食生活が格段によくなってからも、残念ながらまったく太る気配がなく、恵まれた体格が必要な武官としての栄達は不可能に思われた。


 それゆえ、朔が選んだのは隠密としての訓練を受けることだった。


 今まで何人もの大臣を輩出し、何百年もの間、大国・龍華国の名家のひとつに名を連ねてきた霓家には、政敵も多い。


 表立っては知られていないものの、どの名家も必要な情報を集め、また政敵に弱みを握られぬよう、屋敷や家人を守る隠密を抱えているのは貴族ならば常識だということを、朔は霓家に来て初めて知った。


 幸い朔は身が軽く、物覚えも悪いほうではなかったため、武官がだめならば隠密を目指すのは、ごく自然な流れだった。


 何より、龍璉付きの隠密になることができれば、陰に日向に龍璉を守ることができる。


 初めて龍璉に会い、霓家に引き取ってもらった時は感謝しかなかったが、霓家で過ごし、龍璉の複雑な立場を知った今、龍璉は朔にとって、身命を賭して守るべき主人となっていた。


 己の命が狙われたというのに、両親を亡くした朔を気遣い、引き取ってくれた龍璉。彼を守るためならば、どんな訓練にでも耐えてみせようと。


 だから、長じた龍璉が、大臣である祖父に政治にこまとして使われることをいとい、また、皇帝・龍漸りゅうせんに目をつけられて粛清しゅくせいされるのを避けるため、珖璉と身分と名を偽って後宮の官正かんせいとなることを決めた時、朔は一も二もなく、禎宇とともに珖璉の側仕えとしてついてきた。


 本来なら、現状唯一の皇位継承者であり、また霓家の御曹司として、王城で多くの官吏にかしずかれ、高官として采配を振るうべき龍璉が、その才気ゆえに皇帝に警戒され、かえって不自由な立場に追いやられていることに、不満がないと言えば嘘になる。


 だが、もっとも悔しい気持ちを抱いているのは他でもない龍璉自身だと、朔も禎宇も知っている。


 誇り高い龍璉は、己の不遇を決して口にしないが、長年仕えている禎宇と朔が、主の悔しさを感じ取らぬはずがない。


 だが、朔が敬愛する龍璉自身が、たとえ「珖璉」という偽りの姿であろうとも、豪奢ごうしゃおりに等しい霓家から出、己の才覚を試すと決めたのだ。従者として従わぬ理由がどこにあろう。


 正直なところ、並の美姫よりも麗しい龍璉が、妃嬪達が美しさを競い合う後宮で、ねたまれずにやっていけるのか、心配しなかったといえば、嘘になる。


 だが、余人と隔絶した美貌だけでなく、その才覚でもって龍璉――いや、珖璉は、あっという間に官正として後宮中の人々から一目置かれるようになった。


 側仕えの従者として、鼻が高かったのは言うまでもない。


 唯一の皇位継承者として、れ物にさわるような扱いをされることがなくなった珖璉自身も、霓家の屋敷にいる時よりも、のびのびとした表情を見せてくれることが多くなった。


 ゆえに朔は、龍漸に世継ぎが生まれて皇太子が確定し、晴れて龍璉として表の世界に戻れるまで、数年の間は、このまま珖璉として後宮の官正を務めるつもりなのだと推察していた。


 仮の姿とはいえ、己の才覚で妃嬪や各部門長と渡り合っていく珖璉は、籠の中の鳥として屋敷に半ば閉じ込められて過ごしていた頃より、明らかに充実している様子で。


 そんな主の姿を禎宇も朔も、心密かに喜んでいた。


 珖璉の力になれるのならば、二人ともどんな務めでも果たそうと、珖璉の数少ない従者として、いっそう職務に励み……。


 厄介な殺人事件も、珖璉達の手で解決しようと意気込んでいたというのに。


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