59 やっぱりこれは夢に違いない 


「っ!?」


 頭が、真っ白になる。


 いま、自分は何を聞いたのだろう。

 砂に水が沁み込むように珖璉の言葉を頭が理解した瞬間。


「え……っ!? ええぇぇぇ~っ!?」


 叫ぶと同時に、腰が抜ける。


「おいっ!?」


 膝からかくんとくずおれた鈴花を珖璉が支えようとするが、とっさのことに支えきれず、へたり込んだ鈴花にあわせて床に膝をつく。


 だが、背に回された珖璉の腕は離れない。


「あ、あのっ、あの……っ!?」


 意を決して顔を上げた途端、目の前に端麗な面輪があって、頭にさらに血がのぼる。


 やっぱりこれは夢だ。珖璉への想いがこうじすぎて、自分に都合のよい夢を見てしまっているのだ。


 にしても、背中に回された珖璉の手の力強さやあたたかさまではっきりわかるとは、なんて鮮明な幻なのだろう。


「わ、私……っ、目の次は、耳がおかしくなったみたいなんです……っ!」


 一瞬、夢ならばこのまま珖璉の言葉に頷いてしまえばいいのではないかという誘惑が、心をよぎる。


 いやだめだ。夢が幸せな分だけ、現実に戻った時がつらくなる。


 たとえ夢であっても、珖璉に好きだと告げられただけでもう、天にも昇るほど嬉しいのだから。


「うん? よく聞こえなかったのか?」


 いぶかしげに呟いた珖璉が、ぎゅっと鈴花を抱きしめる。

 衣にめられた香の薫りが強く揺蕩たゆたったかと思うと。


「お前が好きだ、鈴花」


 もう一度、耳元で囁かれ、気を失いそうになる。


「こ、こここここ珖璉様っ!? なんの冗談をおっしゃって……っ!?」


「冗談などではない」


 機嫌を損ねたように低い声で呟いた珖璉が、鈴花の耳元へ口を寄せる。


「わたしは冗談などでこんなことは言わぬ。お前に、そばにいてほしいのだ。――鈴花、お前が欲しい」


「っ!? ななななななにを……っ!?」


 ぐいぐいと押し返そうとしても、珖璉の身体はびくとも動かない。


 いくら夢でも、これは刺激が強すぎる。

 頭がくらくらし過ぎて、身体が砂になってほどけてしまいそうだ。


 いい加減、夢から醒めねばと焦っていると、「お前は?」と問われた。


「お前は、わたしをどう思っているのだ? 無理やり側仕えにしたせいで、お前をつらい目や危険な目に遭わせたわたしを、恨んでいるか?」


 いつも凛とした珖璉と同一人物とは思えぬほど頼りない、不安に満ちた声。


 考えるより早く、鈴花は弾かれたようにかぶりを振っていた。


「そんなっ! 珖璉様を恨んだことなんて、一度もありませんっ!」


「だが、わたしに仕えていたせいで、宮女達にひどい嫌がらせをされたのだろう?」


 低く、苦い声にぶんぶんと首を横に振る。


「それは珖璉様のせいではありませんっ! わたしがどじで役立たずなせいで……っ!」


 そうだ。やっぱりこれは夢だ。


 見目麗しく、雲の上に等しい身分の珖璉が、鈴花などを好きだなんてありえない。


「わ、私、村でも後宮でも役立たずなんです……っ! いっつも道に迷って、迷惑をかけて……。他の人には見えないものが見えるから、気味が悪いっていつもけ者にされていて……っ! だから、そんな私が……っ」


「鈴花」


 決然とした珖璉の声が、鈴花の言葉を封じる。


「鈴花。わたしを見ろ」


 力強い声に導かれるように顔を上げると、こちらを見下ろす真っ直ぐなまなざしにぶつかった。


「他の者など関係ない。わたしが、わたし自身の目で見て、お前を好きになったのだ。姉思いの優しいところも、裏表のない素直な心根も、菓子に喜ぶ無邪気な笑顔も……。他の誰でもない、わたし自身がお前を手放したくないと願った。お前は? お前はわたしのそばにいるのは嫌か?」


「いえ……っ!」


 喜びに涙があふれる。

 もう、これが夢だろうと幻だろうと何だっていい。


 決して告げられぬと思っていた気持ちを伝えられる、たった一度の機会なら。


「わ、私も……っ。私も、珖璉様をお慕い申しあげております……っ! これは泡沫うたかたの幻だとわかっていても、それでも……っ」


「幻? 幻などではないぞ?」


 不思議そうに呟いた珖璉の手が顎にかかる。くい、と上を向かせられたかと思うと。


「っ!?」


 いきなり、唇をふさがれる。


 幻とは思えない熱さと感触。


 一瞬で混乱の渦に叩き込まれ、ぐいっと力任せに珖璉の胸板を押し返すと、反動で鈴花のほうが体勢を崩した。仰向けに倒れた鈴花の上に、珖璉が身を乗り出してくる。


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