55 お前からの言葉だからこそ
「菖花。おぬしを芙蓉妃の身代わりに仕立てたのは、芙蓉妃の侍女頭だったのだな。牢に捕らえた侍女頭が自白した」
食事が始まってすぐ、卓の向かいに座った珖璉が口を開いた。
掌服で出るのとは違う豪華な食事に舌鼓を打ちながら、鈴花は、前に顔を隠した妃嬪に会った時、迎えに来た
「左様でございます。もともとわたくしは掌寝で中級妃様の担当をしておりましたので、侍女頭様はわたくしが芙蓉妃様と顔立ちが似ていると知ってらしたのでしょう。芙蓉妃様ご自身はいつも奥にこもってらっしゃったため、お顔を拝謁したことはございませんでしたが……。ある日、掃除の後、侍女頭様に呼びとめられて奥に連れて行かれると、そちらに芙蓉妃様と博青様がいらっしゃって……」
そこで博青から、芙蓉妃は何者かに命を狙われており、身代わりをしてほしいと命じられたのだと、菖花が説明する。
驚いたが、菖花に選択肢はなかった。
知ったからにはもう芙蓉宮から出すことはできない。もし逃げ出したり、誰かに話したりすれば、菖花だけでなく故郷にまで
幸い、芙蓉妃が人前に出ることは滅多にない。『十三花茶会』でつつがなく身代わりを務めあげれば、自由にしてやると言われて、菖花は軟禁された。
鈴花への手紙を送れたのは、実家への仕送りが急に止まれば、困った家族が後宮まで押しかけるかもしれないと侍女頭を説得し、仕送りの中になんとか走り書きを滑り込ませたのだという。
だが、鈴花が後宮へ奉公に来るとは、夢にも思っていなかったらしい。
「その……。失礼ながら、芙蓉妃様は妃嬪様の中でも目立たない存在でいらっしゃいます。その芙蓉妃様がどんな理由でお命を狙われているのだろうと、不思議には思っていたのですが……」
芙蓉宮で過ごすうちに、菖花は自分が身代わりにされた理由は、芙蓉妃が博青との子どもを
後宮つきの宮廷術師は各妃嬪の宮を回り、ご機嫌伺いをするのも仕事のひとつだ。博青は
「お二人が『十三花茶会』の日に二人が後宮から逃げるつもりだと気づいた時は、生きた心地がしませんでした」
卓の上で握りしめた菖花の拳が震える。
「茶会が終わればきっと用済みだと殺されるのだろうと……。ですが、周りに味方はおらず、どうすることもできなくて……」
「姉さん……っ」
たまらず鈴花は姉の手をぎゅっと握る。
味方が一人もいない中で、どれほど恐ろしい思いをしてきただろう。姉を見つけることができて、助けが間に合って、本当によかったと思う。
「あの……。芙蓉妃様と博青様はどうされたのでしょうか?」
おずおずと菖花が珖璉に尋ねる。珖璉の返答は簡潔だった。
「博青は死んだ」
淡々と告げられた真実に、鈴花は思わず息を飲む。
「
「そう、なんですか……」
姉を捜していると鈴花が話した時点で、博青は菖花がどこにいるか知っていたのだ。菖花を軟禁した犯人の一人だったのだから。
菖花について思い出したら話すと優しく言ってくれた言葉がすべて嘘だったのかと思うと、しくしくと胸が痛む。
「芙蓉妃は、怪我はないが……」
珖璉が珍しく言い淀む。
「もともと精神的に
それがいいことなのかどうなのか、鈴花にはとっさに判断がつかない。
ぎゅっとつむった
せめて、芙蓉妃と赤ちゃんには幸せが訪れますようにと、心の中で願う。生きてさえいれば、道を切り
「そういえば、牡丹妃から鈴花にお言葉を預かっておる」
「はぇ?」
珖璉の言葉に顔を上げ、首をかしげる。
いったい牡丹妃様が鈴花に何の御用だろう。茶会の場を乱した叱責だろうか。
悪戯っぽい笑みを浮かべた珖璉がゆっくりと口を開く。
「禁呪使いを見つけたこと、大儀であったと。駆けつけたお前が茱栴に気づいたおかげで、幸い死者は出なかった。お前がいなければ、どれほどの被害が出ていたやら。後で褒美を遣わすとおっしゃっておられたぞ」
「はぇ? ええぇぇぇぇぇっ!?」
珖璉の言葉を理解した瞬間、すっとんきょうな悲鳴がほとばしる。
「わ、私なんかにお褒めの言葉なんて、とんでもないですっ! 私はただ、見たことを伝えただけで、他には何もできない役立たずで……っ! 褒められるべきは珖璉様ではないですか! 妃嬪の皆様がご無事だったのも、姉さんを見つけられたのも珖璉様のご尽力のおかげですっ!」
ぶんぶんと千切れんばかりに首を振ったところで、まだ珖璉に礼を言えていないことに気づく。
「珖璉様! 姉さんを助けてくださって、本当にありがとうございました!」
卓に額がつきそうなほど、深々と頭を下げる。
が、珖璉は無言のままだ。
鈴花の賛辞など、珖璉にとっては取るに足らぬ路傍の石なのだろう。だが、だからといって礼を言わぬ理由にはならない。ただただ、鈴花が心からの感謝を伝えたいだけなのだから。
が、それにしても沈黙が長すぎる。どうしたのだろうと、おずおずと顔を上げると。
珖璉がこぼれんばかりに目を見開き、まじまじと鈴花を見つめていた。
いつもは厳しく引き結ばれている唇までもがぽかんと開いているさまは、まるで
「あ、あの、珖璉様……?」
いったいどうしたのだろう。見たこともない珖璉の表情に、おそるおそる名を呼ばうと。
「は、ははははは……っ! あははははっ!」
突如、珖璉がこらえきれぬとばかりに吹き出した。
「そうか……っ! わたしが欲しがっていたものは、これほど他愛ないものだったのか……っ!」
まなじりに涙を浮かべるほど大笑いしながら、珖璉が切れ切れにこぼす。
が、鈴花にはさっぱりわけがわからない。そばに控えている禎宇をおろおろと振り返っても、禎宇も呆気にとられた顔で主を見つめるばかりだ。菖花も驚きに目を見開いて珖璉を見つめている。
「ど、どうなさったんですか……? もしかして、事件が解決した安堵で、なんかこう……、お気持ちが弾けちゃったとか……?」
どうすればいいかわからぬまま、そろそろと卓の向こうへ手を伸ばすと、はっしとその手を掴まれた。
珖璉の瞳が真っ直ぐに鈴花を見つめる。
「……いや。お前からの言葉だからこそ、これほど嬉しいのやもしれぬな」
「あ、あのっ、珖璉様!?」
手を握られただけだというのに、心臓が騒ぎ出す。
鏡を見なくても、顔が真っ赤になっているのがわかる。
「そ、そそそそそういえばっ!」
何とか珖璉の手を振りほどいた鈴花は気にかかっていたことを尋ねる。
「ね、姉さんはどうなるんでしょうか? 書類の上では故郷へ帰ったことになっているんですよね!?」
「ああ、それか」
珖璉が菖花に視線を向ける。
「菖花。お前がいなくなったことを不審に思われぬよう、侍女頭が細工したため、お前は書類上は後宮を辞したことになっておる。このまま故郷へ帰るも、書類をなかったことにして掌寝へ戻って奉公を続けるも、望むままにしてよい。どちらにしろ、お前にはそれなりの褒賞を与えるつもりだ。……口止め料も兼ねてな」
宮廷術師が妃嬪を殺害しようとし、『十三花茶会』が滅茶苦茶になったなど、外に洩れれば皇帝の権威に傷がつく。おそらく、昨日、あの場にいた者全員に
何と答えるつもりだろうと姉を見やると、ちらりと鈴花に視線を向けた菖花が、凛と背を伸ばして珖璉に向き直った。
「選ばせていただけるのでしたら、故郷に帰らせていただきとうございます」
深々と頭を下げて告げた菖花の言葉に、鈴花の胸がずきりと
そうだ。掌服に戻れるとは限らないのだ。菖花が故郷に帰るのなら、鈴花も一緒に厄介払いされるに違いない。
珖璉のそばを離れる。
そう考えただけで、心臓が凍りつく心地がする。
だが、これでいいのだ。
後宮を離れ、故郷に帰ればきっと、胸の奥に針が刺さったように
きっと、そうに決まっているのに。
せっかくのおいしい食事も、食後の茶菓も、まるで砂を食べているかのように味がしない。せっかく菖花と会えたというのに、喜びよりも、胸の痛みのほうが強い。
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