54 会いたいと夢にまで見た


「鈴花? もしや、ずっとここで待っていてくれたのか?」


「はぇ?」


 耳に心地よい美声とともに優しく肩を揺すられ、鈴花は呆けた声を上げた。


 寝起きでぼやけた視界が焦点を結んだ途端、目の前に銀の光に包まれた端麗な面輪があって、驚きのあまり椅子から転げ落ちそうになる。


「鈴花っ!?」


 ぐいっと抱き寄せられた拍子に、爽やかな香の薫りが漂い、心臓が跳ねる。


 本当に珖璉の元へ帰ってきたのだと涙があふれそうになり、あわてて唇を噛みしめる。


 勘違いしてはだめだ。帰ってこられたわけじゃない。すぐに掌服に戻ることになるのだから。


 朔に連れてこられた時、鈴花に与えられた部屋がそのままになっていたのには驚いたが、単に『十三花茶会』の準備が忙しくて片づける暇がなかっただけに違いない。


「も、もう御用はお済みになったんですか?」


 放してもらおうと珖璉を押し返しながら、あわあわと問いかける。私室へ連れてきてもらった際、朔に「着物、土で汚れて酷いことになってるぞ。とりあえず着替えておきなよ。珖璉様の部屋を汚されても困るし」と言われ、侍女のお仕着せに着替え、珖璉の帰りを待っていたのだが……。


 いつの間にか、眠ってしまっていたらしい。窓の外はすっかり明るいが、いったい何時なのだろう。


「長く待たせてすまなかった。一刻も早く戻って来たかったのだが、さすがに事後処理に手間どった」


「い、いえっ! とんでもありません!」


 ぶんぶんとかぶりを振った拍子に、もう一人、扉の近くにつつましく控えている人物がいることに気づく。


 掌寝のお仕着せに身を包んだ姿を見た途端。


「姉さん……っ!?」


 声を震わせ立ち上がった拍子に、珖璉の腕がほどける。それにも気づかず、鈴花は無我夢中で菖花に駆け寄り、勢いのままに抱きついた。


「よかった、無事で……っ!」


 それ以上は、胸が詰まって声にならない。

 言葉の代わりに、ぽろぽろと涙があふれて止まらなくなる。


「鈴花……っ! まさか、本当にあなたが後宮に来ているなんて……っ! 私を捜しに来てくれたの?」


 優しく背中を撫でながら尋ねた菖花に、こくこくと頷く。


「急に手紙が来なくなったから、何かあったんじゃないかと思って、それで……っ」


 答えた途端、ぎゅっと強く抱きしめられる。


「ありがとう、鈴花……! もう一度あなたに会えるなんて、夢にも思ってなかった……っ。きっともう、一生、後宮ここから出られないんだろうって……」


 声を潤ませた菖花を、鈴花もぎゅっと抱き返す。


 会いたいと夢にまで見た、大好きな姉だ。


 嬉しくてうれしくて、夢じゃないと確かめるように、ぐりぐりと泣き顔を菖花の肩に押しつける。


「ふふっ、鈴花ったら小さい頃に戻ったみたいに甘えん坊ね」


 潤んだ声で言いながら、菖花がよしよしと頭を撫でてくれる。


 髪をく細い指先は記憶にある姉と同じ優しさで、本当に会えたんだとようやく実感がともなってくる。


「だって、嬉しくて……っ」


 ぐすっ、と鼻をすすりあげた拍子に、安心したせいかおなかがくぅ~っと大きく鳴る。


 ふはっと背後の珖璉が吹き出した。


「もう、とうに昼を過ぎているからな。何も食べておらぬのだろう? ひとまず食事にするか」


「えぇっ!? もうお昼すぎなんですか!?」


 よく寝た感じがすると思ったが、まさか半日以上も寝こけていたとは。

 道理で、身体の節々ががちがちになっているはずだ。半日以上も卓に突っ伏していたのなら、っているのも当然だ。


「では、わたくしは……」

 身を引こうとした菖花に思わずしがみつく。


「もう行っちゃうの!?」


 せっかく再会できたのに、すぐに離ればなれになるなんて嫌だ。


「鈴花ったら……。わがままを言ってはだめでしょう?」


 菖花が困ったように眉を下げる。助け舟を出してくれたのは珖璉だった。


「菖花。鈴花がこう言っているのだ。お前も一緒に食べるといい。芙蓉妃達がどうなったのか知りたくもあるだろう?」


「それはおっしゃる通りですが……。よろしいのでしょうか?」


 あくまで楚々そそと尋ねた菖花に、珖璉が鷹揚おうように頷く。


「ああ。せっかく会えたのだ。お前がいてくれれば、鈴花も喜ぶことだろう。それに」


 不意に、珖璉が甘やかな笑みを浮かべる。


「お前がいれば、甘える鈴花という珍しいものが見れそうだしな」


「こ、これは……っ」

 恥ずかしさに一瞬で頬が熱くなる。


 確かに、さっきの鈴花はわがままを言う子ども同然だった。ただでさえ珖璉には情けないところばかり見せているのに、これ以上呆れられたら、すでに地に落ちている評価が地面の下にまでめりこんでしまう。


 おろおろする鈴花とは対照的に、


「官正様のご厚情に感謝いたします」

 と恭しく一礼する菖花は落ち着いたものだ。


 やっぱり姉さんはすごい! と感心すると同時に、もし、こんな風に美人で礼儀作法もしっかりしていれば、珖璉に想いを伝える勇気が持てただろうかとらちもないことを考え、つきんと胸が痛くなる。


 自分など、珖璉に想いを伝えられる価値もないとわかっているのに、我ながら往生際が悪すぎる。


「どうした?」


 唇を噛みしめた途端、珖璉に問われて、あわててかぶりを振る。


「い、いえっ! えっとその……っ。こ、珖璉様は休まれたんですか!? もしかして、徹夜なさったんじゃ……っ!?」


「いや、戻っては来れなかったが、別室でちゃんと仮眠もとったぞ?」


「そうなんですね。よかった……」


 確かに、珖璉の顔色は『十三花茶会』の前に遠くから見かけた時よりもよさそうだ。それだけで、嬉しくて胸がきゅぅっとなる。


「あっ、禎宇さん! お手伝いします」


 盆に料理の皿を載せた禎宇が入ってきて、鈴花はごまかすようにあわてて禎宇に駆け寄った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る