53 これ以上、禁呪を使ってはだめです!


 突然の暗闇を埋めるように悲鳴がいや増す。


「落ち着きなさい! 灯籠が消えただけです! 誰か灯籠に火を!」


 混乱を治めようと牡丹妃の凛とした声が響くが、恐怖と混乱に叩き込まれた侍女達が相手では蟷螂とうろうの斧だ。


 牡丹妃の声を封じようと、大蛇の一匹が牡丹妃に迫る。


「朔! 《光蟲》!」


 珖璉が喚んだ十数匹の光蟲が暗闇に光を灯す。


「お任せください!」


 主の声に応じ、牡丹妃と大蛇の間に割って入った朔が剣で大蛇に斬りつけ、狙いを逸らす。


 だが、ふつうの剣ではやはり歯が立たぬらしい。刃を弾かれた朔が舌打ちし、


「牡丹妃様! お下がりください!」

 と牡丹妃を背に庇い、ふところに差していた巻物を引き抜いてほどく。


「《盾蟲》!」


 珖璉と同じ銀の光を宿す巻物から、何匹もの甲虫が出てきて、牡丹妃を守るように飛び回る。あらかじめ、珖璉が《蟲》をめていた巻物らしい。


 その光景に、鈴花は茱栴の妊娠になぜ今まで気づかなかったのか思い至る。初めて会った時、茱栴は銀の《気》を放つ巻物を抱えていた。そのせいで、お腹の光には気づかなかったのだ。


 思えば、初めて会って以来、茱栴は鈴花が《見気の瞳》を失うまで、一度も鈴花の前には姿を見せなかった。


「これ以上、お前の好きにはさせぬ!」


 なおも光蟲を喚びながら、珖璉が『蟲封じの剣』を手に、茱栴へ駆け寄ろうとする。だが。


「私を守りなさいっ!」


 茱栴の声に応じて、大蛇が身をくねらせ、茱栴の元へ参じる。


 珖璉が喚ぶ先から、光蟲が次々と喰われ、ふたたび闇が押し寄せようとする。


「くっ!」


 珖璉が剣を振るって大蛇の首を斬り落とすが、一度ちりと化しても、次々と新しく生えてくる首はきりがない。


 最後の光蟲が喰われ、世界がふたたび闇に落ち。


「珖璉様! 右です!」


 思わず放った鈴花の叫びに、珖璉がまさに牙を突き立てようとしていた大蛇を斬り捨てる。


「鈴花! 見えるのか!?」


 暗闇の中、うねる風音と己の勘を頼りに剣を振るう珖璉が驚きの声を上げる。


「はいっ! 闇の中でも、珖璉様のお姿や大蛇がはっきりと見えます!」


 余人の目にはどう見えているのかわからない。


 だが、鈴花の目には、銀の光を纏う珖璉の姿も、夜の闇よりなお昏い九匹の大蛇も、はっきりと見える。そして。


「茱栴さん! もうやめてくださいっ!」


 本来の淡い朱色の《気》ではなく、禁呪のどす黒い《気》を纏った茱栴に、鈴花は必死で叫ぶ。


「鈴花!?」


 思わず前へ出ようとして禎宇に肩を掴んで引き留められるが、かまわない。


「これ以上、禁呪を使ってはだめです! お腹の銀の光がどんどん弱くなっています! このままじゃ……っ!」


「馬鹿なことを言わないでっ!」


 初めて茱栴の声が乱れた。


「そんなことを言って惑わせようとしても無駄よ! 次代の皇帝となるこの子が……っ!」


「嘘じゃありませんっ! 早く禁呪を解いてください! でないと……っ!」


 茱栴のお腹に宿る銀の光がどんどん弱くなっている。

 まるで、禁呪の毒に侵されたかのように。


「嘘よ、嘘っ! この子は次代の皇帝になるの! この子こそが、この国の宝に……っ!」


 切羽詰まった茱栴の声がうつったかのように、大蛇の動きが精彩を欠く。


 鈴花の視線の先で、やにわに珖璉が動いた。

 清冽な白光が次々と大蛇の首を斬り飛ばす。


「お前さえ! お前さえいなければ私は皇后に……っ!」


 目まぐるしく首を生やしながら、大蛇が津波のようにうねり、鈴花に迫ろうとする。


「鈴花!」


 前に飛び出した禎宇に大蛇が雪崩なだれかかる寸前で。


「あ……」


 珖璉が振るった白刃が、茱栴の胸を貫く。


 茱栴が信じられぬように己の胸に突き立った刃を見下ろし。


 剣が引き抜かれると同時に、茱栴の身体が地面にくずおれる。


 纏っていた禁呪の《気》がほどけ散り、術師を喪った大蛇もまた、はらはらと塵と化して闇に消えてゆく。


「珖璉様!」


 居ても立ってもいられず、鈴花は禎宇の制止を振り切って珖璉へ駆け寄る。銀の光は変わりないが、怪我をしているかどうかまではわからない。


「鈴花っ!?」


 剣の血を払って鞘に納め、光蟲を喚んでいた珖璉が驚いた声を上げ、飛びつくようにすがりついた鈴花を抱きとめる。


「珖璉様っ! お怪我はありませんか!? 大蛇にまれたりなんて……っ!?」


 不安に泣きそうになりながら珖璉を見上げると、なだめるように頭を撫でられた。


「大丈夫だ。わたしは怪我ひとつしておらぬ」


「よ、よかったぁ……っ」

 安堵した途端、身体から力が抜ける。


「おいっ!?」


 かくん、とくずおれそうになったところを珖璉に抱き上げられ、すっとんきょうな声が飛び出す。


「ひゃあっ!? だ、大丈夫ですっ! 下ろしてくださいっ!」


 足をばたつかせて降りようとするが、珖璉の腕は緩まない。


「あの、茱栴様は……」


 身をよじって振り返ろうとすると、ぎゅっと強く抱き寄せられた。


「お前は見ずともよい。……召喚した茱栴の命を奪わぬことには、禁呪を止められなかった」


「は、い……」


 珖璉を責める気なんて、欠片もない。珖璉が話す通り、茱栴を止めねば、他の者が殺されていた。それはわかっている。けれど。


 自分でもよくわからぬ感情に、涙があふれそうになる。


 鈴花の恋心をただひとり見抜いた茱栴。鈴花の恋心を可愛らしいと笑い、恋しい人を独占したくはないのかと尋ねていた……。


 茱栴が今回の事件を引き起こした理由は、皇后になることだけが目的ではなかったと思いたいのは、鈴花の傲慢ごうまんだろうか。


「そんな顔をするな。お前に泣かれると、どうすればよいかわからなくなる」


 玉麗や禎宇達の元へと歩みながら、珖璉が困り果てた声で告げる。


「も、申し訳ありません……っ」


 身を縮め、きゅっと唇を噛みしめたところで、禎宇達のところへついた。


 玉麗がてきぱきと侍女達に指示を出して混乱を治め、禎宇が怪我人達を集めるようにと、無事な兵達に命じている。


「わたしは兵達の治療をせねばならん。お前は先に戻っていろ。朔、鈴花を頼んだぞ」


 鈴花を朔に託して踵を返そうとした珖璉の袖を、思わず掴む。


「珖璉様っ! あのっ、姉さんが……っ!」


 気持ちが先走り過ぎて、うまく説明できない。芙蓉妃の席にいる姉を振り返ったところで、荒い息の影弔が駆け込んできた。


「嬢ちゃん! よかった、無事だったか!」


「影弔さんこそ、大丈夫でしたか!?」


 目立った傷こそないものの、影弔のお仕着せはところどころ鋭利な物ですっぱり斬られている。駆け寄ろうとすると、珖璉にぐいと肩を掴まれて引き留められた。


「影弔。何があった? 鈴花を任せておったのに、一人にするとは……っ!」


 珖璉が刺すような視線で影弔を睨みつける。


「珖璉様! 大変だったんです! その、博青様が芙蓉妃様と一緒で、姉さんが芙蓉妃様で……っ!」


「……どういうことだ?」


 珖璉を振り仰いで告げると、端麗な面輪がいぶかしげにしかめられた。それを見た影弔が苦笑する。


「あー。実はこっちはこっちで予想外のことが起きてまして……。とりあえず、芙蓉妃様の身柄を保護なさるのがよろしいかと」


「保護? それはかまわんが……。影弔、手早く報告しろ。鈴花、すまんが後でな」


 この状況ではこれ以上、珖璉を引き留められない。それに珖璉が姉を保護してくれるというのなら、すぐに会えるだろう。


 叶うならすぐさま菖花のところに駆けつけたいが、今は無事だったとわかったことを感謝しなければ、罰が当たる。


「鈴花? 行くぞ」

「は、はいっ」


 朔に促され、鈴花はあわてて後に続いた。


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