52 その願い、わたくしが叶えてさしあげますわ


 だが、珖璉の糾弾にも、茱栴の落ち着き払った態度は崩れない。


「証明でございますか? では……。わたくしこそが皇后に――次代の皇帝の母にふさわしいと証明すればよろしいでしょうか?」


「茱栴っ! あなた……っ!」


 珖璉よりも早く反応したのは、茱栴のそばで座り込んでいた蘭妃だった。それまで恐怖で震えていたのが嘘のように、険しい顔で蘭妃が茱栴の衣の袖を掴む。


「次代の皇帝ですって……っ!? 茱栴! あなた、術師の分際で陛下のご寵愛を……っ!」


「私の宝に軽々しくふれないでくださいませ」


 氷のような声音で蘭妃の手を振り払った茱栴が、愛おしげに己の腹部を撫でる。

 そうと言われてみなければわかりづらいが、絹の衣に包まれた腹部はうっすらと丸みを帯びつつある。


「この子は私の宝物……。いいえ、この国の宝となるのですから」


 蘭妃に応じたのとは打って変わった愛しげな声の茱栴に、蘭妃が柳眉を逆立てる。


「何を馬鹿なことを! 術師風情が産んだ子が皇帝になるなど……っ!」


 美しい面輪を怒りに染めて吐き捨てる蘭妃に、茱栴は幼子に言い含めるように優しげな笑みを向けた。


「蘭妃様ともあろう方が、愚かなことを。陛下の御子がこの子だけなら、この子が次代の皇帝に決まっているではありませんか。優れた術師の私ならば、きっと《龍》の気をはぐくむことができますわ。陛下も、私が国母にふさわしいと思われたからこそ、ご寵愛くださったのです」


 と、鈴花を見た茱栴が忌々しげに目をすがめる。


「まさか、《見気の瞳》を取り戻すなんて……。おかげで居もせぬ禁呪使いの手によって妃嬪を皆殺しにする計画が台無しだわ。力を失っただけでよしとせず、やっぱり、きっちりと息の根を止めておくべきだったわね」


「そんなことを許すわけがなかろう!」


 珖璉が怒りの声を上げる。珖璉の声など耳に入っていないように、蘭妃が茱栴に詰め寄った。


世迷言よまいごとを……っ! わたくしが流産したのもあなたの仕業なのね!?」


「いいえ。蘭妃様は《龍》の気を育むには、器が小さすぎたんですわ。ですが、ご安心くださいませ」


 ゆるりとかぶりを振った茱栴が、慈母のような笑みを浮かべる。


「いつもおっしゃられてましたよね? 憎い憎い。他の妃嬪達など、いなくなってしまえばよい、と。その願い、わたくしが叶えてさしあげますわ」


「え……?」


 蘭妃が呆けた声を出す。


 慈愛の笑みを浮かべて蘭妃を見下ろしたまま、茱栴が懐から短剣を抜き放つ。夜の闇よりなおくらい、どす黒い《気》を宿した短剣を。


「ですから……。そのお命、使わせていただきますわね?」


 慈愛の笑みを浮かべたまま、茱栴が短剣を振りかぶる。


「《盾蟲じゅんちゅう》!」


 珖璉の叫びと同時に、大きな甲虫の姿をした蟲が十数匹放たれる。


 茱栴と珖璉の間にいた数匹の大蛇がうねったかと思うと、次々と《盾蟲》を喰らっていく。だが、大蛇の隙間をくぐり抜けた一匹が茱栴の短剣にぶつかった。


 かぁんっ! と硬いもの同士がぶつかる音が高く響き、短剣こそ落とさなかったものの、茱栴が大きく体勢を崩す。


 腰が抜けて立てないのだろう。蘭妃が這いずるようにして茱栴からわずかに距離を取る。周りの侍女達は、主人を助けるどころか、恐怖で身動きもできずに固まっていた。


「邪魔をしないでいただけますか?」


 茱栴が不満げに珖璉を振り返る。


「まさか、泂淵様から『蟲封じの剣』まで託されてらっしゃるなんて……」


 茱栴が困ったように眉を寄せる。まるで、お気に入りの衣に虫食い穴でも見つけたように。


「茱栴、おぬしの目論見が明らかになった時点で、野望はついえたも同然だ。いくら陛下の御子を宿していたとて、何人もの宮女を殺し、禁呪を行使したおぬしが妃嬪の座につくことはできぬ。おとなしく縄につけ」


 茱栴を見据え、珖璉が厳しい声を紡ぐ。次いで、「鈴花。わたしの後ろに下がっておれ。禎宇。鈴花は任せたぞ」と囁かれ、腕をほどかれる。


「は、はいっ」


 あわてて珖璉の後ろに回り込んだ鈴花を守るように、控えていた禎宇が剣を構えたまま一歩踏み出す。


 だが、珖璉に糾弾されても、茱栴の口元に浮かぶ笑みは変わらなかった。


「いいえ」


 くすくすと楽しげに茱栴が笑う。


「わたしが禁呪使いであると知る者が誰もいなければ、それは無実と同じでございましょう?」


 茱栴がからかうように小首をかしげる。


「珖璉様が悪いんですのよ。鈴花などの言を信じて、わたくしを問い詰められるのですもの。妃嬪達さえ殺せばよいと思っておりましたのに。――これでは、この場にいる者を皆殺しにせねばなりませんわ」


 まるでちょっとした厄介事を片づけるかのように、恐ろしいことをあっさり告げた茱栴が、短剣を構える。


 剣なんて握ったことのない鈴花でもわかる、素人同然の構え。


 だが、背中に冷や汗が吹き出して止まらない。


「何をする気だ? 剣など振るったことのない術師のお前が、それで戦うとでも?」


 油断なく剣を構えた珖璉が厳しい声で問う。


 茱栴と違い、珖璉の姿は堂々たるものだ。剣の腕前も相当なのだろうと一目でわかる。


 剣で戦うのであれば、茱栴など勝負にならぬだろう。だが。


「嫌ですわ、珖璉様。最初から、剣で戦う気などございません。わたくしには、次代の皇帝に命を捧げた宮女達がついておりますもの」


 あでやかに微笑んだ茱栴が短剣の柄を握りしめると同時に。


 九匹の大蛇がのたうつように激しく身をくねらせた。

 とっさのことに反応できなかった兵士達が巨体に弾き飛ばされる。


 絹を裂くような侍女達の悲鳴と、兵士達の苦悶の声が渦巻く中。


「《かえれ》」


 茱栴の声と同時に、灯籠の中の光蟲がいっせいに消えた。


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