51 我ながら、度し難い愚か者だ


 大きな広場ほどもある茶会の場へ駆け込んだ鈴花の目に真っ先に入ったのは、遠目に見えたどす黒い《気》を放つ九本の柱が、黒い大蛇と化し、身をくねらせる姿だった。


 よほど強い《蟲》なのだろう。術師でない警備兵や宮女達でも見えるらしい。


 抜剣した兵達が、へっぴり腰になりながらも妃嬪や侍女達を守って大蛇を斬りつけているが、どす黒いもやを纏う大蛇の鱗は見た目以上に硬いらしい。兵達の刃はことごとく弾かれている。


 珖璉や茱栴しゅせんんだのだろうか。先ほど博青が放った刃の羽を持つ蟲や、硬そうな甲蟲が何十匹も飛び回っているが、大蛇を傷つけるどころか、反対に、あぎとを大きく開けて身をくねらせる大蛇に噛みつかれ、塵となって消えてゆく。


 華やかな『十三花茶会』の場に、突然、恐ろしい大蛇が現れて恐慌に陥っているのだろう。侍女達は皆、恐怖に震えながら身を寄せ合っている。椅子から転げ落ち、地面にへたりこんでいる者も多くいた。


 おそらく茶会の場を囲むように呪具が埋められていたのだろう。そこから大蛇が立ち昇っているせいで、誰も逃げ出せずにいる。逃げ出したいが、背中を見せれば大蛇に喰われてしまう。そんな恐怖に囚われ、動くに動けないようだ。


 大蛇の出現に灯籠の中の光蟲達が暴れている。ちらちらと幾百の光が瞬くさまは、悪い夢の中に迷い込んだようだ。


「珖璉様っ!」


 禁呪の《気》が満ちているのだろう。夜の闇とは異なる黒いもやが漂う場の中で、銀の光を放つ珖璉の姿を見た途端、名前が口をついて出る。


「鈴花っ!?」

 牡丹妃を背に庇って剣を振るう珖璉が、驚愕に目を見開く。


 その隙を突くように、身をくねらせた大蛇一匹、珖璉へ迫る。


 鈴花が悲鳴を上げるより早く、珖璉が手にした剣を振るう。清冽せいれつな白光を宿した剣が、警備兵の剣では傷ひとつつけられなかった大蛇の首をたやすく落とした。


 きしむような悲鳴を上げて、大蛇が身をよじる。鈴花は大蛇が地面に伏す姿を想像した。だが。


 巨体をもだえさせた切り口から、新たな首が生えてくる。


「くそっ! きりがないな……っ!」


 忌々しげに吐き捨てた珖璉の元へ、必死に駆け寄る。途中、芙蓉妃の席に姉の姿を見つけ、泣きたくなるほど嬉しくなる。


 蒼白な顔をしているが、姉はまだ無事だ。姉を助けるためにも、なんとしても禁呪使いを止めなくては。


「鈴花っ!」


 背後で風切り音がする。

 次の瞬間、鈴花は珖璉に左腕で抱き寄せられていた。


 鼻孔をくすぐった爽やかな香の薫りに、そんな場合ではないのに涙があふれそうになる。


「なぜ来た!?」


 鈴花に迫っていた大蛇の首を斬り落とした珖璉が叩きつけるように問う。


 答える間も惜しく、抱き寄せられたまま首を巡らす。


 きっと禁呪使いもここにいるはず。禁呪使いを見つければ、大蛇だってきっと――。


 祈るように目をらし、見回して。


「茱栴、様……?」


 ちょうど牡丹妃の席の向かい側。怯えて地面に座り込む蘭妃の一歩後ろで、悠然と辺りを睥睨へいげいしている茱栴の懐から、大蛇達よりもなお昏い《気》が放たれているのを見つけ、呆然と呟く。


 茱栴本来の淡い朱色の《気》ではない、どす黒い禁呪の《気》。


 しかも、それだけではなく。


「茱栴様っ! その黒い《気》は何ですか!? それに、お腹に宿る銀の光は……っ!?」


「鈴花っ!? 茱栴から禁呪の《気》が見えるだと!? 《見気の瞳》を取り戻したのか!?」


 珖璉が、鈴花と同じものを見ようとするかのように、茱栴に鋭い視線を向ける。刃の如き視線を正面から受け止め、茱栴がゆったりと微笑んだ。


「嫌ですわ、珖璉様。鈴花は《見気の瞳》の力を失ったのでしょう? きっと、混乱で見間違えているのですわ」


 自信に満ちた茱栴の声にあらがい、鈴花は必死でかぶりを振る。


「ち、違います! もう一度、見えるようになったんです!」


 後宮付きの術師として確固たる地位を持つ茱栴と、役立たずの下級宮女の鈴花。


 どちらを信じるかなど明白だ。けれど。


 茱栴から目を離さぬまま、祈るように珖璉の衣をぎゅっと掴む。


「わ、私、決して珖璉様に嘘なんて申しあげませんっ!」


 信じてほしい。

 けれど、自分から珖璉の元を辞しておいて、今さらどの口が信じてくださいなどといえるだろう。


 涙がにじみそうになりながら、唇を噛みしめた瞬間。


「無論だ。お前の言葉を疑うわけがなかろう」


 決然と告げた珖璉の声に、信じられぬ思いで端麗な面輪を振り仰ぐ。強い光を宿した黒曜石の瞳が、真っ直ぐに鈴花を見下ろしていた。


「珖璉様? わたくしより、そんな小娘を信じるとおっしゃるのですか? 珖璉様ともあろう御方が、取るに足らぬ娘の戯言たわごと鵜呑うのみになさるとは。きっと、鈴花は夜の闇に目が曇っているのですわ」


 茱栴の嘲弄ちょうろうが刃のように鈴花の心を切り裂く。珖璉の衣を握りしめていた手から力が抜けかけ。


「鈴花」

 力強い声と同時に、ぎゅっ、と強く抱き寄せられる。


 うつむきかけていた視線を上げると、間近に苛烈な怒りを宿した珖璉の横顔があった。激昂に炯々けいけいときらめく瞳に身がすくむ。


「なるほど。目が曇っている、か」


 怒りをはらんだ声音に、鈴花は珖璉の腕の中で身を震わせる。


 やっぱり、先ほどの言葉は、願望が強すぎたゆえの聞き間違いだったのだ。


 戯言たわごとを申すなと珖璉が怒るのも当然――、


「お前が申す通り、わたしの目は曇った硝子玉がらすだまだな。これほど近くに禁呪使いがおったのに、鈴花に言われるまで気づかぬとは。我ながら、度しがたい愚か者だ」


「珖璉様? 何をおっしゃって――」


 いぶかしげな茱栴の言葉を、珖璉の厳しい声が刃のように叩き斬る。


「茱栴。もうお前の言には惑わされん。わたしは、禁呪が荒れ狂う中、我が身の危険もかえりみず駆けつけてくれた鈴花を信じる」


「っ!?」


 きっぱりと言い切った珖璉に息を飲む。鈴花を見下ろした珖璉が柔らかに微笑んだ。


「鈴花。お前の目には、茱栴に禁呪の《気》が見えるのだろう?」


「は、はい……っ。禁呪だけでなく、銀色の《気》も……っ」


 こくりと頷き、震える声で告げる。


 珖璉が、鈴花を信じると言ってくれた。それだけで、光が灯ったように胸の奥底が熱くなる。


 満足そうに頷いた珖璉が茱栴に顔を向ける。


「これ以上、わたしの大切な侍女への誹謗ひぼうは許さん。茱栴。鈴花の言葉を虚言と申すなら、お前自身が己の潔白を証明してみせよ」


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