49 『十三花茶会』の夜


 すでに日は沈んでいるというのに、《光蟲》が光を放つ灯籠のおかげで、辺りは昼間のように明るい。まるで宵闇さえも後宮を訪れるのを遠慮しているかのようだ。


 『十三花茶会』の当日、鈴花は他の宮女達と一緒に庭にかしこまり、大勢の侍女達を供に、しずしずと渡り廊下を進んでいくきらびやかな衣装の妃嬪達を見送っていた。


 あいにく夜空はどんよりと曇っているが、代わりに地上に星々が降りてきたかのようだ。


 とはいえ、下級宮女達はみな平伏しているので、ぜいをこらした衣装を纏う妃嬪達の姿をじっくり見ることは叶わぬのだが。


 妃嬪が全員通り過ぎたところで、顔を上げた宮女達が期待に満ちた囁きを交わし合う。妃嬪の見送りさえ終われば部屋に戻っていいはずなのだが、誰一人として立ち上がろうとしない。


 と、周りの宮女達がいっせいに感嘆の吐息を洩らした。


 渡り廊下に目をやれば、妃嬪達に次いで通ってゆくのは後宮務めの高官達だ。


 先頭を歩くのは茶会にふさわしいきらびやかな衣を纏った珖璉だ。その後ろには茱栴や各部門の長の姿も見える。


「ああっ、なんて麗しいお姿かしら……っ! 妃嬪様達にも劣らぬお美しさね!」


「光り輝く君というのは珖璉様にこそ、ふさわしい言葉だわ。まるで夜空の星が降りてこられたかのよう……」


「『十三花茶会』の準備は大変だけど、珖璉様のお美しいお姿を見られるだけで、すべての苦労が消えていく気がするわ……っ」


 宮女達が、感嘆の吐息とともに口々に珖璉の美貌を褒めたたえる。


 だが、鈴花の耳にはろくに入っていなかった。


 数日振りに見た珖璉の姿が衝撃的過ぎて。


 なぜ、周りの宮女達が褒めそやすのか、わからない。

 だって、あんなにも疲れ果て、やつれた様子だというのに。


 きりで貫かれたように胸が痛む。


 真っ直ぐ前を見据えて無言で歩を進める珖璉は、内心ではどれほどの不安と焦燥に囚われているだろう。


 矢もたてもたまらず立ち上がった鈴花は、宮女達の間を抜け出す。


 鈴花などが行ったところで、何の役にも立てないのはわかっている。けれど、あんな様子の珖璉を放っておけない。


 下級宮女である鈴花は、渡り廊下に上がることは許されていない。建物の周りをぐるっと迂回し、茶会の場へ駆けていこうとして。


「あれ……っ?」


 道に迷い、情けない声を上げたところで、後ろから伸びてきた手に腕を掴まれた。


「嬢ちゃん。どこへ行く気だ?」


 振り返った先にいたのは、額に《視蟲》をつけた影弔だ。


「お、お茶会の場に……っ! 私なんかが行っても役立たずだってわかってますけど、でも……っ!」


 手を振り払ってでも駆けて行こうとした瞬間、「ちょっと待て」と低い声で告げた影弔が、茂みの向こうに鋭い視線をそそぐ。


「おい。宮廷術師のあんたが、大事な茶会に参加せずにどこにいくつもりだ?」


 影弔が鈴花の腕を掴んだまま、茂みをかき分け進んで行く。


 そこにいたのは、一人の宮女の手を引く、険しい表情の博青だった。


 宮女の顔を見た瞬間、鈴花は驚きに息を飲む。


「姉さんっ!?」


 だが、鈴花に叫びにも、当の宮女はきょとんとしている。


「姉さん! いったい何があったの!? 私、姉さんを探しに……っ!」


 影弔の手を乱暴に振り払い、姉へ駆け寄ろうとして、鈴花は宮女が姉によく似た顔立ちの別人だと気がついた。


「違う……、菖花姉さんじゃない……っ! あなたは……?」


「菖花? あなた、菖花の妹なの?」

 鈴花の言葉に、宮女が初めて反応する。


「なら、お礼を言わなくてはね。菖花のおかげで、牢獄から出られるんだもの。この子も喜んでいるわ」


 夢見るようにうっとりと呟いた宮女が、愛おしげに腹部を撫でる。たおやかな身体には不似合いな、膨らみ始めたお腹を。


 姉に似た澄んだ声に、鈴花は彼女が以前出会った子守唄を歌っていた妃嬪だと気がついた。だが、いま彼女が着ているのは、宮女のお仕着せだ。


 混乱する鈴花をよそに、彼女が幸せそうに微笑む。


「うふふ。わたくし、これからお出かけするの。この子も楽しみにしているのよ」


「な、何をおっしゃって……?」

 何を言っているのか、理解できない。


 大好きな姉とよく似た顔、よく似た声の、けれども決して姉ではない人。


 夢見るような遠いまなざしは、ここにいるのに、ここではないどこかを見ているようだ。


 厳しい声を博青に投げつけたのは、黙してやりとりを見つめていた影弔だった。


「博青。あんた、芙蓉妃に手を出したな? 他人がんだ蟲はかえすのも困難らしいが、宮廷術師のあんたなら、自分で《宦吏蟲》を入れておいて、必要に応じて《宦吏蟲》を抜くなんてわけないだろう?」


「えっ!?」

 鈴花は驚愕とともに影弔を振り返る。


 宮女の姿をしたこの方が、中級妃の一人である芙蓉妃だというのか。


 だが、影弔の鋭いまなざしは博青にそそがれたままだ。


「妊娠がバレないよう、顔立ちのよく似たこいつの姉を身代わりに立てたってところか。だが、いつまでも隠し通せるもんじゃねぇ。妃嬪を孕ませたことがバレたら極刑だ。その前に逃げようって魂胆なんだろうが……。いくら『十三花茶会』で人目が少なくなっているとはいえ、身重の女を連れて後宮から逃げおおせると思ってるのか?」


「じ、じゃあ、姉さんは……っ!?」


 姉が生きている。だが、その喜びにひたるよりも、混乱のほうが大きい。


「門番などどうにでもなる!」

 ふだんの穏やかさをかなぐり捨てた博青が、ひびわれた声を上げる。


「どうせ茶会に出れば殺されるんだ! ならばいっそ……っ!」


「どういうことですかっ!?」


 殺されるなど、尋常ではない。


 詰め寄る鈴花に、博青が、ぞっとするような歪んだ笑みを見せた。


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