48 ただ一目、笑顔が見たい
「くそっ」
憤りのままに卓に拳を振り下ろしかけ、珖璉はすんでのところで思いとどまった。卓を殴ったところで、何の益もない。禎宇と朔に余計な心労をかけるだけだ。
珖璉の前では、報告を終えた禎宇と朔が申し訳なさそうにうなだれている。
明日の夜には『十三花茶会』が開催されるというのに、どれほど調べても禁呪使いの行方は
「禁呪使いの目的はわからんが、必ずや、明日仕掛けてくるはずだ……。身元の確かな兵達で警備を固めてはいるが……」
だが、相手は術師だ。ふつうの警備兵達では手も足も出ないだろう。
主の苦い声に、禎宇が恭しく布で巻かれた棒状のものを差し出す。
「こちらを泂淵様よりお預かりしました。その……。ここ数日の珖璉様の様子は、見るに忍びないと……」
宮廷術師の筆頭として、明後日の『昇龍の儀』の準備に忙しいだろうに、泂淵は二日とあげずに顔を出してくれている。とはいえ、やはり長居はできず、すぐに帰ってしまうのだが。
恭しく禎宇が布を取り払った中身の剣を見て、珖璉は思わず目を疑った。
古い様式ながら凝った装飾が施された剣は、珖璉も何度か見たことがある。だが、まさか。
「まさか、『蟲封じの剣』を貸してくれるとはな……」
『蟲封じの剣』は蚕家に代々伝わるいくつもの家宝の中でも、特に有名なものだ。
たとえ常人が振るったとしても、『蟲封じの剣』ならば、どんな蟲も斬れるという。
禁呪使いがどのような《蟲》を召喚する気かはわからないが、『蟲封じの剣』があれば、心強いことこの上ない。
通常ならば蚕家の蔵の奥深くに厳重に安置し、持ち出し厳禁であろう家宝を気軽に貸してくれるとは、いかにも泂淵らしい。
「ありがたいことだ。だが、茶会では帯剣を禁じられている。わたしの席の近くに隠しておいてくれ」
「かしこまりました」
禎宇が剣に布を巻き直しながら請け負う。
「しかし、『蟲封じの剣』まで貸してくれるとはな。はっ、後でどんな無茶を言われることやら」
茶会の後、泂淵から出されるだろう無理難題を想像し、思わず苦笑を洩らすと、禎宇と朔がほっとしたように表情を緩めた。
二人の様子に、ここ数日は眉間にしわを寄せるばかりで口元を緩めることすらしていなかったのかと、今さらながら気づかされる。
「珖璉様。何か召し上がりませんか? このところ、ろくにお口にされていませんでしょう? 食事が重いということでしたら菓子でも……」
禎宇がここぞとばかりに食べ物を勧めてくる。
珖璉自身、最近忙しさにかまけて食事も睡眠もおざなりになっている自覚はある。
だが、食事の内容は変わっていないのに、砂を噛むように味気なくて食べる気が起きないのだ。
「いかがですか?」
禎宇が何種類もの菓子を載せた皿を差し出す。
菓子を見た瞬間に脳裏に浮かぶのは、食べるたびに大喜びしていた鈴花の笑顔だ。
思わず愛しい少女の名を紡ぎかけ、こらえるように唇を引き結ぶ。
鈴花に逢いたい。
ふれられなくてもいい。ただ一目、花が咲くように
同時に、珖璉のそばにいたがゆえに危険な目に遭い、離れていったのだと、胸の奥が刃で刺し貫かれたように痛む。
どうか、そばにいてほしいなどと……。この状況で、どの口が言えるというのか。
だが、止められぬ想いが問いとなって口をつく。
「鈴花はどうしておる?」
珖璉の問いに、禎宇と朔が困り顔で顔を見合わせた。
「それが……」
歯切れの悪い禎宇の言葉に眉が寄る。
「どうした? 影弔から報告が来ているはずだろう?」
「おっしゃる通りですが……」
言い淀んでいた禎宇が、意を決したように顔を上げる。
「いいえ。隠したとしても、影弔に問えばすぐにわかることでございますね。実は、鈴花は毎日、同僚達に酷い嫌がらせを受けているそうです」
「何だと!? どういうことだ!? 影弔は何をしている!?」
怒りのままに禎宇を睨みつけると、禎宇が困り果てたように顔をしかめた。
「それが……。鈴花自身が、助けてくれるなと釘を刺しているそうでして……。護衛がついているとわかれば、警戒して禁術使いが狙ってこない。囮としての役目が果たせない、と……」
「あの愚か者が……っ!」
噛みしめた奥歯がぎり、と鳴る。
鈴花を手元から離したのは、決して同僚に虐げられるためではない。
ただ、男に襲われて以降、珖璉がふれるたび、怯えるように身を強張らせる鈴花を見ているのが忍びなくて……。
ふれられるだけでも、それほど恐ろしいのかと。ならば、宮女ばかりの掌服に戻れば、少しは襲われた記憶も薄まるだろうと……。
そう思って、断腸の思いで手放したというのに。
「今すぐ掌服長へ会いに行く」
怒りをにじませ、決然と立ち上がった珖璉を禎宇があわてて押し留める。
「お待ちください! もう夜も更けております! それにその……。珖璉様が行かれては、かえって嫌がらせが酷くなる可能性が……」
「くそっ!」
こらえきれず、激昂のままに卓に拳を振り下ろす。
嫉妬がどれほど下劣な行為を引き起こすか、官正として何度も見てきたはずなのに、どれほど目が曇っていたのか。己の愚かさに、自分で自分の首を
「明日の『十三花茶会』で、なんとしても禁術使いを捕らえるぞ。これ以上、好きにはさせん」
決意を込めて告げた珖璉に、禎宇と朔がきっぱりと頷く。
すべては明日だ。『十三花茶会』さえ終われば、鈴花の姉も探してやれる。
そうすれば、鈴花を――。
珖璉は骨が白く浮き出るほど、強く拳を握りしめた。
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