47 住む世界が違うのだと突きつけられる


 着物の合わせを握りしめ胸の痛みにたえていると、鈴花が不安になっていると思ったのだろう。影弔が慰めるように声をかけてくれる。


「珖璉様からは、あんたに危険が及ばぬよう、重々守れって厳命されてるからな。あんたが嫌がらせは放っておけと言うから、それに関しちゃ手は出さねえが、もし禁呪使いが来たとしても、怪我なんか決してさせねえよ」


「はいっ。囮役として精いっぱい頑張りますね!」


「いや、そういう意味で言ったんじゃねぇんだが……」

 困ったように頭をかく影弔をおずおずと見上げる。


「あ、あの……。珖璉様のご実家から、もっと人を派遣していただくことはできないんですか……? 折り合いがよろしくないとはうかがったんですけれど……」


 尋ねた瞬間、それまで気安かった影弔の気配が固くなる。


「わりぃな。それについちゃあ、何も言えねえよ」


「は、はいっ。すみません……」


 もっと人が増えれば珖璉の負担も減るかもしれないと思ったのだが、鈴花ごときが口出ししていいことではないらしい。


 わかっていたはずなのに、やはり珖璉と鈴花では住む世界が違うのだと突きつけられて、唇を噛みしめる。


 と、不意に影弔が木陰に音もなく身を隠した。驚く間もなく、反対側から茱栴が現れる。


「あら、鈴花。もう掌服の棟に戻る時間でしょう? 一人なの?」


「その……。同僚においていかれて……」


 あいまいに笑って告げると、茱栴は何やら察したらしい。美しい面輪が気の毒そうにしかめられる。


「後宮は華やかな牢獄に等しいものね。まばゆい光の陰で、醜い嫉妬が渦巻く恐ろしい場所……。辛い思いを、しているのね」


「術師として務められている茱栴様でもそう感じるんですか?」


 思わず問い返すと、茱栴が憂い顔で頷いた。


「それぞれの妃嬪様達にお会いする術師の立場だからこそ、妃嬪様達のお心に渦巻く嫉妬や憎しみがよく見えてしまうものなの。陛下は未だ皇后を決めてらっしゃらないけれども、皇后となれれば、龍華国最上の女人に等しいわ。なんとしても昇りつめたい気持ちはわからなくもないけれど……」


「そんなもの、なんですか……?」


 鈴花には、いまひとつぴんとこない。


「あら。あなたはそうは思わないの?」

 目を見開いて尋ねた茱栴が、ふふっと笑みをこぼす。


「そうね。あなたがなりたいのは、皇后ではなく珖璉様の……」


「わっ! わわわわわっ! だ、だめです! 言わないでくださいっ!」


 茱栴は気づいていないが、近くには影弔だっているのだ。大あわてで両手を振る鈴花に茱栴が楽しげに笑みをこぼす。


「ふふ。いっそのこと、あなたのように考えられたら楽なのかもしれないわね。羨ましいこと。私が掌服に戻したらどうかと進言したせいで、あなたが泣いて暮らしているんじゃないかと思って心配していたけれど……。意外と元気そうでほっとしたわ」


「ご心配してくださってありがとうございます! 大丈夫です!」


 本当は、胸の柔らかなところに深く長いとげが刺さったように、ずっと心がしくしくと痛みを奏でている。


 けれど、茱栴に心配をかけたくなくて、鈴花は明るく笑う。


 だが、さっきの茱栴の言葉を影弔に聞かれてしまっただろうか。気になって、ちらちらと影弔が隠れているだろう辺りを振り返っていると、「どうしたの?」と茱栴に不思議そうに尋ねられた。


「ええっと、実は近くに、隠密の影弔さんが隠れていて……」


 茱栴ならば伝えても問題あるまいと説明すると、「えっ!?」と茱栴が驚いた声を上げた。


「びっくりしますよね! 影弔さん、気配を消すのが本当にうまいんです!」


「……いや嬢ちゃん。それ、隠密として基本だからな?」


 呆れ声で呟いた影弔が、木陰から姿を現す。


「そう、隠密が……。それなら安心ね」

 柔らかく微笑んだ茱栴が、


「引き留めてしまってごめんなさい。あなたの元気そうな顔を見られてほっとしたし、私もそろそろ行くわ」

 ときびすを返す。


「はいっ、気に留めていただいてありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げて茱栴を見送る。その背が見えなくなったところで、影弔が感心したような声を上げた。


「あれが後宮付きの術師の茱栴か。妃嬪と言っても通りそうな美人だな」


「そうですよね! ほんとお綺麗で、その上、術まで使えるなんて……っ」


 茱栴みたいに美人で有能だったら、珖璉に想いを伝えようと思う勇気も持てたのだろうか。あんな美人だったら、珖璉の隣に並んでもさほど見劣りしないに違いない。


 ないものねだりだとわかっていても、ついらちもないことを考えてしまう。と、影弔が思わせぶりに鈴花を見やった。


「ところでさっき……」


「ち、違うんです!」


 一瞬で顔が熱くなる。鈴花は必死でぶんぶんと両手を振り回して弁解した。


「ち、違いますっ! いえ、ほんとは違わないですけれど、でもあの……っ! お、お願いですから内緒にしていてくださいっ!」


 がばりと頭を下げると、「さあて」と、すこぶる楽しげな声が降ってきた。


「嬢ちゃんの身に起こったことは逐一ちくいち報告するよう、珖璉様に命じられてるんだが……」


「はぇっ!? あ、あの……っ!?」


 影弔の言葉に凍りつく。と、影弔が吹き出した。


「安心しなよ。言わねぇって。人の恋路に口出しするほど野暮じゃねえよ」


「よ、よかったぁ……。ありがとうございます」

 安心のあまりへなへなと座り込みそうになる。


「しっかし……。ご実家を頼られるなんて、よほど追い詰められてらっしゃるのかと思ったが、こりゃあひょっとして……」


「影弔さん?」


 ぶつぶつと何やら呟く影弔に首をかしげると、影弔が唇の端を吊り上げた。


「気にすんな。こっちの話だ。それにしても嬢ちゃん、あんたほんと面白いな」


「はあ……?」

 どことなくわくわくした様子の影弔に、鈴花はあいまいに頷いた。


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