46 この程度の悪口なんて、胸が痛みすらしない


 べしゃり、とろくに絞られてもいない丸めた洗濯物が、鈴花の後頭部へ投げつけられた。


 濡れた衣の重みと投げつけられた勢いに、つんのめって膝をつくと、周りの宮女達からくすくすと嘲笑が巻き起こった。


「やだぁ、手が滑っちゃったみたい」


 まったく悪いと思っていない様子で、洗濯物を投げつけた宮女がくすくすと笑う。


「まあでも、傷物宮女には汚れ物がお似合いよねぇ」


 同僚の言葉に、周りの宮女達が笑いながら同意する。


「ほんと、その通りよね。っていうか、汚れた洗濯物より、あの子のほうがよっぽどけがらわしいんじゃない?」


「宮女殺しの犯人に手籠めにされたんでしょ? 珖璉様の侍女を外されたのもそのせいらしいじゃない。いい気味よね」


「そんな目に遭って、よく後宮にいられるわよね。なんて図太いのかしら」


 宮女達の嘲弄をよそに、鈴花は黙々と手を動かす。


 掌服に戻ってから四日。わざと鈴花に聞こえるように投げつけられる侮蔑と嘲笑には、すっかり慣れた。


 宮女達の間では、鈴花は乱暴されて傷物になっているらしいが、訂正する気すら起きない。したとしても無駄だろう。


 それに、この程度の悪口なんて、胸が痛みすらしない。


「それもあんたが洗っておきなさいよ。あんたがさわった着物を洗うなんて真っ平だもの。あたしまで穢れちゃうわ。もちろん洗濯場の片づけもしておくのよ」


 同僚が一方的に命じ、鈴花の返事も待たずに洗濯場を出ていく。他の宮女達もくすくすと笑いながら出ていくのを、鈴花は視線を伏せ、一心に手を動かしてやり過ごした。


   ◇   ◇   ◇


 洗濯場を片づけ、掌服の棟に戻るべくひとり籠を抱えて歩いていた鈴花は、分かれ道で立ち止まった。と、すかさず木陰から男の低い声が飛んでくる。


「そこの角を右だ。ほんっと、びっくりするくらい方向音痴だな」


影弔えいちょうさん! ありがとうございます!」


 木陰から姿を現した宦官のお仕着せを纏った隠密に、ぺこりと頭を下げる。


 影弔は珖璉の実家から一時的に派遣された隠密だ。鈴花が掌服に戻って以来、周りに気づかれぬよう、密かに見守ってくれている。


 年の頃は三十過ぎくらいだろうか。苦み走った顔つきに引き締まった体躯たいくは、宮女達が見れば黄色い声を上げるかもしれない。


 影弔の顔には、《視蟲しちゅう》と呼ばれる透明の大きな羽を持つ蟲がとまっている。常人は蟲を見ることができないが、《視蟲》の羽を通せば、蟲を見ることができるらしい。


「今なら人目もねえ。食べれるうちに食べときな」


 影弔がふところに入れていた紙の包みから、大きめの肉まんを取り出して差し出してくれる。


「わぁっ! いつもありがとうございます!」


 鈴花は地面に籠を置くと、笑顔で肉まんを受け取り、かぶりついた。


 冷めてはいるが、柔らかい皮にぎっしり具が詰まっていて、すきっ腹を抱える身には、この上ないおいしさだ。


 ここ数日、鈴花は影弔にこっそり食事をもらっている。掌服に戻って最初の食事の時、器の中に虫の死骸を入れられていたからだ。


 鈴花の周りで食事をしていた宮女達が皆、いい気味だと言わんばかりに笑っていたので、嫌がらせだったのだろう。影弔に言わせれば、「毒蟲じゃなくてよかったな」らしいが。


 ともあれ、食事に何が混入しているかわからないということで、以来、影弔にこっそり食べ物をもらうようになっている。


 まふまふと肉まんのおいしさに舌鼓を打っていると、


「見てるだけの俺が言うことじゃあないかもしれねぇが……」


 と影弔が低い声で呟いた。


「宮女達のいじめは、第三者の俺が見ても胸くそ悪いくらいだぜ? 甘んじて受けてたら、もっとつけ上がるに決まってる。いいのかい? あんたがひと言頼めば、俺がそれとなく……」


「いいんです」


 肉まんを食べ終えた鈴花は、かぶりを振って影弔を遮る。


「だって、私がおとなしくしているとあなどられたほうが、禁呪使いが狙ってくる可能性が高くなるでしょう? その時はよろしくお願いします。あっ、もっとこうしたほうが囮として役立てるとか助言があったら、ぜひ教えてください!」


 ぺこりと頭を下げると、呆れたような吐息が降ってきた。


「なんてゆーか……。調子の狂う嬢ちゃんだな……」


「でも、気遣ってくださってありがとうございます」

 口調こそぞんざいだが、影弔が鈴花を気遣ってくれているのは明らかだ。


「あの、怪しそうな人は見つかりましたか?」


 尋ねると、影弔が苦い顔でかぶりを振った。


「いや。残念ながら、禁呪使いらしき人物は見つかってねぇな。あんたをおびき出した宮女となると、こっちは容疑者が多すぎてな……。げに恐ろしきは女の嫉妬だよ。あんたいったい、どれほど恨まれてるんだ? ……まあ、あの珖璉様の側仕えに宮女として初めてなったんだから、仕方がないかもしれんが……」


 珖璉の名前を聞くだけで、つきんと胸が痛くなる。


 おかしい。掌服に戻って珖璉から離れれば、恋心も薄れて消えていくだろうと思っていたのに、薄まるどころか、気がつけば珖璉のことを考えてしまっている。


 明後日には『十三花茶会』が行われる。だというのに、まだ禁呪使いが見つかっていないのなら、きっと珖璉は寝る間も惜しんで働いていることだろう。


 そう考えるだけで、締めつけられたように胸が痛んで、今すぐ珖璉の元へ駆けつけたくなる。鈴花が行ったところで、肩もみくらいしかできないのに。


 こんな大事な時に《見気の瞳》を失ってしまった自分が、ほとほと情けない。


 珖璉を思ってうずく胸の痛みに比べれば、同僚達の嫌がらせなど、何ほどのことでもない。むしろ、《見気の瞳》を失った己への罰だと思えば、生温なまぬるいくらいだ。


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