44 すまない。聞かなかったことにしてくれ


「禎宇さん!」


 鈴花がようやく禎宇を捕まえられたのは、翌日、陽もとっぷりと暮れてからだった。よほど忙しいのか、珖璉は朝出て行ったきり、一度も戻ってきていない。


「鈴花!? もう起きて大丈夫なのかい?」


「はいっ、もう身体はなんともありませんし、ずっと寝台にいたら身体がなまってしまいます!」


 大きく頷いた鈴花の頭を、微笑んだ禎宇がよしよしと撫でてくれる。大きな手の優しさに、鈴花は思わず唇をほころばせた。


 不思議だ。禎宇に撫ででもらうとほっこりするのに、珖璉だと、嬉しいと同時にどきどきして、恥ずかしくて逃げ出したいような気持ちになってしまうのは、昨日、茱栴に言われたように珖璉に恋心を抱いているからなのだろうか。


「どうかしたのか?」


 心配そうに禎宇に問われ、あわてて首を横に振る。


「いえっ、その……。二日間、ずっと寝ていたので、今はどんな状況なんだろうと思いまして……」


 禎宇が難しい表情で嘆息する。


「正直、よいとは言えないな。『十三花茶会』が数日後に迫っているというのに、禁呪使いの行方は一向に掴めないし、どこから洩れたのかわからないが、宮女殺しの話が広まって妃嬪達も疑心暗鬼に囚われているし……。後宮全体がぎすぎすしているよ」


「すみません……っ! 私が《見気の瞳》を使えなくなったせいで……っ」


「違うよ、鈴花のせいじゃない。侍女の言葉にだまされて鈴花を一人にしてしまったわたしのとがだ。怖い目に遭わせてしまって、本当にすまない」


 深く頭を下げられ、鈴花は千切れんばかりにかぶりを振る。


「そんな! 禎宇さんのせいじゃないです! 私が勝手に持ち場を離れてしまったから……っ!」


「けれど、もう大丈夫だぞ。鈴花の警護役として、一人、隠密が加わることになったから。外に警備兵がいるとはいえ、日中、一人きりで不安だっただろう?」


「え……っ!?」

 驚いて禎宇を見上げる。


「わ、私なんかに警護は要りませんっ! それより、禁呪使いの捜索に加わっていただくべきなんじゃ……っ!?」


「だが、珖璉様はもう二度と鈴花を危険な目に遭わせたくないとおっしゃってな。わざわざご実家から――」


 言いかけた禎宇が、しまったと言いたげに手のひらを口に当てる。


「珖璉様のご実家……?」


「すまない。聞かなかったことにしてくれ」

 禎宇があせった様子で口を開く。


「その、珖璉様はご実家と折り合いがよろしくないんだ。いつもなら決して頼ろうとなさらないんだが、今回ばかりはどうしても人手が足りなくて、仕方なく……」


 禎宇の言葉に、胸が締めつけられる。自分は珖璉のことを何も知らないのだと、今さらながらに思い知らされて。


 以前に聞いた、美貌だけを褒めそやし、こびを売ってくる宮女達を嫌悪していた珖璉の言葉が甦る。


 鈴花と宮女達に、どれほどの差があるだろう。鈴花の恋心を知れば、きっと珖璉はお前も彼奴あやつら同じかと、軽蔑するに違いない。


「鈴花?」


 気遣わしげな禎宇の声に、びくりと肩が震える。


「な、何でもないです……っ」


 珖璉への恋心を知られるわけにはいかない。


 仕えた当初から、迷惑をかけ通しなのだ。だというのに、鈴花が分不相応な恋心を抱いていると知ったら、珖璉はどれほど呆れるだろう。嫌悪感もあらわに唾棄だきされるかもしれないと考えるだけで、身体が震えそうになる。


「大丈夫だよ」


 鈴花の怯えを、襲われた時の恐怖が甦ったと思ったらしい。禎宇がなだめるように頭を撫でてくれる。


「たとえ、禁呪使いがまだ鈴花を狙っていたとしても、もう決して指一本ふれさせはしない。珖璉様も、鈴花を危ない目に遭わせたことをひどく悔やんでらしてね。腕のよい者を派遣するよう、頼んでらっしゃった」


「珖璉様が……っ!?」


 珖璉が鈴花に心をくだいてくださった。それだけで、胸の奥が喜びでじんと熱くなる。


 だが、同時に。


「そんな優秀な方だったら、やっぱり禁呪使いの捜索に加わっていただいたほうがいいですよね!?」


 考えるまでもなく明らかだ。鈴花などを守るより、禁呪使いを見つけ出したほうがいいに決まっている。


「鈴花が気に病む必要はない。珖璉様が考えられた結果だ。鈴花は今は、身体を癒すことを第一に考えたらいいんだよ」


「はい……」


 禎宇の表情は穏やかだが、声音には有無を言わさぬ強さが宿っている。釈然としない気持ちを抱えながら、鈴花は反論を飲み込んで頷いた。


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