41 ……試してみるのか?


「あーもうっ、ほんと惜しいな~!」


 歯ぎしりせんばかりに悔しげな泂淵の声に、鈴花はうつむいていた視線を上げる。


「鈴花が《感気蟲》を喚べたら、禁呪使いの《気》を追わせて、居所を掴めたかもしれないのにさ~!」


「も、申し訳ありません……っ!」


 《気》を見ることができても、蟲の一匹さえ召喚できない。


 やっぱり自分は役立たずなんだと痛む胸を押さえて頭を下げると、珖璉に慰めるように優しく頭を撫でられた。


「泂淵の言うことなど気にするな。《感気蟲》は扱いが難しい。術師であっても、使えぬ者がいるほどだ」


「っていうか、珖璉は《毒蟲》の気を覚えてないワケ?」


 矛先ほこさきを変えた泂淵に、珖璉が目を怒らせる。


「瀕死の鈴花を助けるのに必死だったのだ。《気》を探る余裕などなかった。もし蟲を滅するのに手間取って、鈴花の身に何かあってみろ。取り返しがつかん」


「まあ、それは確かにそうだけどさぁ……」


「ところで泂淵。蚕家の当主として、禁呪使いは何を企んでいると考える?」


 話題を変えた珖璉が、泂淵に視線を向ける。泂淵が「うーん」と腕を組んだ。


「そーだなぁ……。やっぱり最初に考えられるとしたら、上級妃の暗殺? 牡丹妃がご懐妊したんだって? 他の妃嬪達は心穏やかでいられないだろうね~」


「だが、牡丹妃のご懐妊がわかったのは、ごく最近だ。宮女殺しが二か月前から始まっているのとは矛盾する。最初から、牡丹妃が主催の『十三花茶会』を狙っているという可能性もあるが……」


「後は、『昇龍の儀』の妨害が目的とか? 王城で連続殺人が起こったら、兵士達総出で血眼ちまなこで犯人捜しが始まるだろうけど、閉鎖的な後宮だと、そんな大々的に動けないからねぇ~。まっ、敵の狙いが何にしろ、人の命をにえにしてる禁呪だ。ロクなもんじゃないのは確かだねっ♪」


「……おい、なぜ妙に嬉しそうにしている」


 珖璉に睨みつけられても、泂淵の笑顔は変わらない。


「えーっ! だって、滅多に見られない禁呪だよ!? 知らない術が見られるかもしれないんだよ!? ワクワクするに決まってるじゃん!」


 まるで新しい玩具を見つけた子どものような様子の泂淵に、珖璉が顔をしかめる。


「……わたしはときどき、お前を宮廷術師の頂点に据えていてもいいのか、不安を感じるぞ……」


「なーに言ってんのさ! 色んな術を見られるからこそ蚕家の当主をしてるに決まってるじゃん! そうじゃなかったら、こんなめんどーな役職、とっくに放り出してるって!」


「泂淵、お前な……」


 珖璉が額を押さえて呻くが、泂淵は気にした様子もない。


「まあ、禁呪は見たいケド、蚕家の当主として、禁呪を放っておくワケにはいかないからね~。ちょっと対策も考えるよ」


「ああ、頼む」


 珖璉が神妙な面持ちで泂淵に頭を下げる。こんな殊勝な珖璉は初めて見た。


 それだけ手がかりがなくて困り果てているのだと思うと、きゅぅっと胸が痛くなる。


「じゃ、今夜はもうワタシにできそうなことはないし、そろそろ帰るよ。じゃね~」


 ひらりと手を振って、泂淵があっさり帰っていく。「門までお送りいたします」と禎宇も泂淵について部屋を出ていった。


 珖璉と二人きりで取り残された部屋に、しん、と沈黙が落ちる。


 き、気まずい。やっぱり土下座して詫びたほうがいいだろうか。というか……。


 鈴花はちらりと手のひら二つ分くらいしか離れていない珖璉を横目で見る。珖璉と同じ寝台に腰かけているなんて、これが現実だと思えない。


 はっきりくっきりとみえる美貌は、銀の光を纏っておらずとも光り輝くようで、まぶしくて直視できない。心臓に悪すぎる。


 やっぱり床に降りて土下座しよう。そうすれば主と同じ寝台に腰かけているという不敬も免れるし……。と本気で考えたところで、鈴花は珖璉と泂淵のやりとりを思い出した。


「そ、そういえば、泂淵様が帰られたら試すとおっしゃっていたのは……?」


「……試してみるのか?」


 泂淵達が出て行った扉を眺めていた珖璉が、驚いたように振り返る。どこか挑むようなまなざしに気圧けおされる。


 ひるむ心を断ち切るように、鈴花は大きく頷いた。


「もちろんです! 《見気の瞳》を使えたら、禁呪使いを見つけられるかもしれないんですよね!?」


「……お前らしいな」


 ふっとこぼされた甘やかな笑みに、心臓が跳ねる。


「いえ……っ」


 うつむき視線を逸らせるより早く、珖璉が距離を詰めた。


 長い指先が顎を掴んだかと思うと、くいと上げる。驚く間もなく端麗な面輪が間近に迫り。


「っ!?」


 唇をふさいだ柔らかな感触に息を飲む。


 とっさに突き飛ばそうとしたが、引き締まった胸板はびくともせず、反動で鈴花のほうが体勢を崩す。


「ひゃっ!?」

 仰向けに倒れた身体を、ぽふんと布団が受けとめる。


 その拍子に唇が離れ、ほっとするのも束の間、寝台に手をついて身を乗り出した珖璉に顔を覗き込まれ、鈴花は半泣きで睨み上げた。


「なっ、なななななになさるんですか――っ!?」


「言っておくが、昼間もこうしてわたしの《気》を送って、毒蟲を滅したぞ?」


 言うが早いが、ふたたび珖璉の面輪が下りてきて、反射的に目を閉じる。


「っ!」


 固く引き結んだ唇に珖璉の柔らかな唇がふれ、心臓が爆発するんじゃないかと思う。


 くちづけの経験なんて、一度もない。毒蟲を滅するより、心臓が壊れるほうが早そうだ。


 強く薫る香に、頭の芯がしびれたようにくらくらする。


「どうだ?」


 ゆっくりと唇を離した珖璉が囁くように問う。


「身体に、何か変化は?」


 優しい声で問われ、固く閉じていたまぶたをおずおずと開ける。途端、目の前の端麗な面輪が飛び込んできた。


「し、心臓が壊れそうです……っ」


 口から心臓が飛び出しそうだ。顔はおろか、全身がゆでだこみたいに真っ赤になっているに違いない。


 鈴花の返事に、珖璉がふはっと吹き出す。


「毒蟲がまだ残っているように感じるか?」


「い、いえ、それは大丈夫だと思うんですけれど……」

 答えながら、へにゃりと眉が下がる。


「どきどきしすぎて、よくわかりません……」


「それは困ったな」

 困ったと言いつつ、珖璉の声はどこか甘い。


「もう一度、試す必要があるか?」


 問いながら、珖璉の指先が頬にふれる。指先が輪郭を辿り、首筋にふれたところで。


「っ!」


 不意に首を絞められた時の恐怖を思い出し、身体が強張る。同時に、珖璉の手がぎゅっと握りこまれた。


「……すまぬ。怖がらせたな」


 低い声で苦く呟いた珖璉が身を起こす。


「おそらく、もう毒蟲は残っておるまい。明日は一日休んでよいゆえ、ゆっくり療養せよ」


 ぽんぽんとなだめるように鈴花の頭を撫でた珖璉が、返事も待たずに身を翻す。光蟲とともに去っていくその背を、鈴花は呆然と見送った。


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