37 何があろうと、わたしがそばについている


 嫌だ。怖い。気持ち悪い。誰か――っ!


「嫌……っ!」


 己の上げた悲鳴で、鈴花は目を覚ました。


「鈴花!」

 途端、目の前にとんでもなく整った珖璉の面輪が飛び込んできて、悲鳴を上げる。


「す、すまん……」

「い、いえ……」


 初めて見る叱られた犬のようにしょんぼりしている珖璉の様子に、おろおろと首を振り、寝台に身を起こす。


 まだ日も高いというのに、どうして寝台にいるのか。


 疑問に思った瞬間、意識を失う寸前のことを思い出す。


「っ!?」

「鈴花!」


 着物の合わせを握りしめ、ほとばしりそうになった悲鳴をこらえた瞬間、ぎゅっと珖璉に抱き寄せられた。


 自分より大きな身体に、男にのしかかられた時の恐怖が甦り、反射的に突き飛ばしそうになる。


 だが、かぎ慣れた香の薫りが、鈴花を襲った男とは別人なのだと教えてくれる。


「大丈夫だ。もうお前を傷つける者はおらぬ」


 珖璉の力強い声が、ゆっくりと心に染み込む。背中を撫でるいたわりに満ちた大きな手のひらが、氷を融かすように強張こわばりをほどいてゆく。


「珖璉様が、助けてくださったんですか……?」


 男の重みが離れ、身体が楽になったのは薄ぼんやりと覚えているが、正直なところ気を失った後、何がどうなったのか、まったくわからない。


「恐ろしいことを思い出す必要はない。男はすでに捕らえた。何も心配はない」


 鈴花に回された腕に、ぎゅっと力がこもる。


「どうだ? 身体につらいところはないか?」


 問われて、毒蟲を飲まされたことを思い出す。無意識に震えた身体をなだめるように、珖璉の大きな手が背中を撫でてくれる。


「私……。何かの蟲を飲まされて……っ」


「蟲ならば、わたしが滅した。医師にも来てもらい、お前が眠っている間に解毒薬を飲ませたが……。まだ身体に違和感があるか?」


 言われてみれば、口の中にかすかに苦みが残っている気がする。だが、これが飲まされた毒のものなのか薬のせいなのか、判然としない。


「その……。首も癒蟲で治しておいた」

 言いづらそうに珖璉が告げた途端。


 首を絞められた時の恐怖が一気に甦り、呼吸ができなくなる。


「……っ!」


 もう首を絞められてはいないのに、息ができない。恐怖に全身が粟立つ。


「鈴花!?」

 急変に珖璉の美貌が凍りつく。


「大丈夫だ! もうあの男はいない!」


 首元を押さえ、身体を丸めようとする鈴花の顔を両手で包み、珖璉が強引に上げさせる。


「わたしを見ろ。大丈夫だ、ゆっくり息を吐け。何があろうと、わたしがそばについている」


 身体の芯にまで届くような力強い声とまなざし。視線を合わせると、安心させるように優しい笑みが返ってきた。


 とんとんと背中を軽く叩く拍子に合わせて必死に息を吐くと、吐ききったところで自然に息が吸い込めた。が、加減がわからず咳きこんでしまう。


「ゆっくりでよい。あせるな」


 優しい声とともに、あたたかな手がずっと背中を撫でてくれる。


 ようやく、鈴花の呼吸が落ち着いたところで。


「恐ろしい目に遭わせて、本当にすまなかった……っ!」

 がばりと深く頭を下げられ、度肝を抜かれる。


 まさか、主である珖璉にこんな風に詫びられるなんて想像もしていなかった。


「お、おやめください! むしろ、ご迷惑をおかけした私が謝るべきで……っ! お願いですからお顔を上げてくださいっ!」


「だが……」

 珖璉はなかなか顔を上げようとしない。


「珖璉様に頭を下げられているほうが、どうすればいいかわからなくて、頭が痛くなってしまいます!」


 とにかくこの状況を打破したくて必死に言い募ると、うつむいたまま、珖璉がふはっと吹き出した。


「お前はいつも予想もつかぬことを言うな」


 くつくつと笑いながら身を起こした珖璉が、そっと鈴花を抱き寄せる。ふわりと爽やかな香の薫りが揺蕩たゆたった。


「あ、あの……っ」


 胸がぱくぱくと騒ぎ出す。こんな風に異性に抱きしめられたことなんてない。


 さっきも抱き寄せられたが、あれは鈴花を落ち着かせるためで……。


 今はもう落ち着いているのだから不要だ。むしろ、逆にどきどきしすぎて落ち着かない。鼓動が速くなりすぎて、心臓が壊れるんじゃないかと思う。


「こ、珖璉様……! 胸が……っ」」


 ぎゅっと胸元を押さえ、かすれた声を出すと、珖璉が息を飲んだ。


「まだ毒の影響が残っているのか!? おいっ、顔が真っ赤だぞ!? 熱か!?」

 言うなり珖璉が額と額をくっつける。


「はわぅっ!」


 至近距離に迫ったとんでもなく整った美貌に、すっとんきょうな悲鳴を上げる。


 珖璉の美貌は間近で見るのは心臓に悪すぎる。まるで、一度見たら魅入られて目が離せなくなる術でもかけられているようだ。


 くっきりと見える美貌から、必死で目をそらそうとして――。


 鈴花は、ようやく異変に気づく。



 いつも珖璉がまとっている銀の光が、まったく見えない。


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