33 お前の他愛のない話は心がほぐれる


 珖璉の愕然がくぜんとした表情に、鈴花は己が言葉足らずだったと気づく。


「そ、そのっ、お肩だけじゃなくて、全身をもみほぐしたら、少しは疲れも取れるんじゃないかと思いまして……っ」

 

変な誤解をさせてしまっただろうか。鈴花と珖璉が、なんて、そんな事態などありえるはずがないのに。


 呆気あっけにとられた顔で鈴花を見つめていた珖璉だが、ようやく頭が動き出したらしい。まばたきしたかと思うと、ふはっと思いきり吹き出される。


「そうか。それほど私を気遣ってくれるか。では、その気持ちを無為にしてはならんな」


 くつくつと楽しげに喉を鳴らした珖璉が、「おいで」と鈴花の手を引いて歩き出す。


「あ、あの……っ?」


「わたしを癒してくれるのだろう?」

 寝室へとつながる扉を開けながら、珖璉がからかうように告げる。


「は、はい……っ」


 掃除のために寝室に入ったことは何度もある。が、珖璉と一緒に入るのは初めてだ。


「《光蟲》」


 珖璉が喚んだ光蟲がぱたぱたと羽ばたいて寝台の側にとまり、暗い室内をほのかに照らす。


「どうすればよい?」


「え、ええっと……。寝台にうつぶせになっていただければ……」

 珖璉が鈴花の言葉に従って、掛布をのけた寝台にうつぶせになる。


「し、失礼しますね……。もし痛かったりしたら、お教えください」


 身を乗り出し、珖璉の背中や足をもんでいく。どこもかしこも、筋肉が張ってがちがちだ。よくこんな体で毎日働いてらっしゃるなと、感心するより先に珖璉の健康が心配になってくる。


「鈴花。お前の姉のことだが……」


「は、はいっ」


 もみ始めてすぐ、珖璉がうつぶせのまま話し出す。まさか姉の話題が出るとは思っていなかった鈴花は、うわずった声で返事をした。


「菖花が里帰りしたという文書を誰が偽造したのか、まだ掴めておらん。門番も調べさせたが、菖花らしき宮女が出た形跡はない。宮女や宦官が無断で後宮を出るのは、そう簡単にできることではない。何か策をろうしたのなら別だが……。まだ、後宮内にいる可能性はある」


「お忙しいのに調べてくださったんですか!? ありがとうございます!」


 感激に声が震える。まさか、これほど忙しい中、姉のことを調べてもらえるとは思わなかった。


「怪しい者の出入りがないか調べたついでだ」

 珖璉の声はそっけないが、鈴花には気にならない。


「それでも、姉さんについて調べていただけるなんて……っ! 本当にありがとうございます! なんとお礼を申し上げればよいか……っ」


「それなら」

 珖璉がふと何かを思いついたように、悪戯っぽい声を出す。


「何か話してくれ」


「はぇっ!? は、話すって……っ!? 何をですか!?」


「なんでもよい。お前の他愛のない話は心がほぐれる」


「き、急にそう言われましても……っ」


 こんなことが礼になるのなら、応じないわけがない。とはいえ、いったい何を話せばいいのか。


 困って周りを見回した視線が、寝台のそばの卓にとまる《光蟲》を捉える。


「そ、そういえば、『昇龍の祭り』の灯籠で、後宮がいつも以上に綺麗になってますよね! 私、《光蟲》の灯籠なんて、後宮へ来て初めて見ました! 幻想的でとっても綺麗ですねぇ……」


 今も窓の向こうへ広がっている景色を思い描き、鈴花はうっとりと声を出す。


 『昇龍の祭り』の時に家々の軒先に灯籠が灯されるのは、建国神話にちなんだ風習だが、なんと後宮では蝋燭ろうそくの代わりに《光蟲》を光源として入れているのだ。


 光蟲が羽ばたくたび、さまざまな色の薄い紗を通してちらちらと光が揺れるさまは、仙境に迷い込んだような心地がする。昼間も綺麗だが、夜となればさらに美しい。


「ひたすら光蟲ばかりばねばならん宮廷術師達は大変らしいがな。泂淵が毎年、文句を言っている」


「なんだか想像できる気がします」


 たった一度会っただけだが、泂淵の人となりは強烈な印象を残している。


 くすくすと笑った鈴花は、そういえば珖璉に聞きたいことがあったのだと思い出した。他愛なさ過ぎて申し訳ないくらいだが、今なら聞けそうだ。


「あの、珖璉様……。王都に住んでいる方は、王城前の広場に集まって『昇龍の儀』で皇族の方々がばれた《龍》を見ることができるって、聞いたことがあるんですけれど……。後宮からでも《龍》は見えるんでしょうか……?」


「ああ。天高く昇った時なら小さく見えるかもしれんな。……見たいのか?」


 意外そうに問い返す珖璉に「もちろんです!」と大きく頷く。


「だって、《龍》を見ながら願い事をしたら、それが叶うって言われているんでしょう!? 一日も早く姉さんが見つかるようにってお願いするんです!」


「そう、か……。そんな風に心待ちにしている者がいると、考えたことなどなかったな……」


「珖璉様?」


 うつ伏せのままこぼされた呟きがよく聞き取れず問い返すと、やにわに珖璉が寝返りを打った。


「あの……、はわっ!?」


 かと思うと、急にぐいと腕を引かれる。体勢を崩して倒れ込んだところを、珖璉の力強い腕に抱きとめられた。ふわりと珖璉の香の薫りが揺蕩たゆたう。


「こ、珖璉様!?」

 うろたえた声を上げた鈴花の耳に、珖璉の低い呟きが届く。


「お前は……。いつもわたしの気づかぬことを教えてくれるな」


「あ、あのっ、お放し……」


 身動みじろぎしても、珖璉の腕はまったく緩まない。何とか逃れようとするが、珖璉の腕は重さを増すばかりだ。


 髪が乱れるのもかまわず、何とか戒めから抜け出して。


「珖璉、様……?」


 抗議しようとした鈴花は、珖璉が目を閉じ、寝息を立てているのに気がついた。疲労のあまり、気絶するように寝落ちてしまったのだろう。


「寝てらっしゃるんです、よね……?」


 おそるおそる問いかけてみるが、反応はない。このままでは、絹の衣に変なしわがついてしまうのではないかと心配になるが、健やかな寝息を立てる珖璉を起こすのは忍びない。


 銀の光を纏う面輪は、思わず魅入ってしまいそうになるほど端麗だ。

 さっきから、ずっと心臓がぱくぱくと騒ぎ続けている。


「えっと……。失礼いたしますね……」


 こんなところを禎宇や朔に見られたら、何を言われるかわからない。


 鈴花は寝台の端に寄せられていた掛け布団をそっと珖璉にかけると、そそくさと部屋を出た。

 

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