25 まさか、わたくしに隠し事なんてしないでしょう?


 四妃の中で珖璉が最後に向かった先は、玉麗ぎょくれいが住まう牡丹宮だった。


「まあっ、珖璉。来てくれて嬉しいわ」


 にこやかに珖璉を迎えてくれた玉麗は二十代半ばの女ざかりで、皇帝の寵愛を一身に受けているという自信からか、もとからの美貌がさらに磨かれ、光り輝くようだ。


 珖璉が返却しにきた盗品を自ら確認していた玉麗が、牡丹の図柄が刻まれた銀のかんざしを手に取る。牡丹の花弁の部分に珊瑚さんごがあしらわれた見事な細工だ。


「こちらの簪ですけれど」


 玉麗が手にした簪は、被害届が出ていなかったものだ。だが、牡丹の飾りならば牡丹宮の誰かの物に違いないと持参したのだが。


「これは、おそらく芙蓉妃ふようひの物ですわ」


 玉麗の言葉に珖璉は己の早計を悔やんだ。教育が行き届いた牡丹宮の侍女ならば、主の怒りを恐れて盗難の被害を隠すことなどあるまい。


 妃嬪ひひんが身に着ける装飾品は己に与えられた花を題材としたものがほとんどだが、上位の妃嬪が、下位の妃嬪の後ろ盾となっていることを示すために、自分の花をあしらった品を下賜かしすることがある。


 そういえば、玉麗の家は芙蓉妃・迦佑かゆうの実家を庇護していたと、珖璉は今さらながらに思い出す。


 迦佑の存在感があまりに薄いため、すっかり頭から抜け落ちていた。


 芙蓉妃・迦佑は、後宮に入ってまだ一年足らずの年若い妃だ。


 だが、その名が人々の口に上ることは滅多にない。後宮へ上がってすぐ、皇帝のお渡りがあった際にひどい粗相をしたらしく、以来、一度もお渡りがないといういわくつきの中級妃だ。


 もともと内気で引っ込み思案な性格らしく、ずっと宮に引きこもっている状態だ。そんな状況でも暇を出されていないのは、皇帝が中級妃達にはあまり興味を示していないのと、迦佑を追い落としてまで娘を後宮に入れたいと願う貴族が現れていないためだろう。もちろん、押しも押されもせぬ名門大貴族である玉麗の実家が、迦佑の後見であるということも一因だ。


 迦佑から被害届が出ていなかった理由は、あろうことか玉麗から下賜された簪を盗まれたと、恐れ多くて言い出せなかったためだろう。


 牡丹宮からの被害届の中になかった時点で、それに思い至るべきだった。


 手抜かりを悔やんでいると、珖璉の表情を読んだかのように玉麗が穏やかに微笑む。


「あなたが誤解するのも無理はないわね。この簪には、牡丹しかあしらわれていないのだもの。芙蓉妃が初めて後宮へ上がって挨拶に来られた日に、わたくしの簪を褒めてくれて……。芙蓉妃があまりに緊張していたものだから、お守り代わりにと、その場で簪を贈ったの。可哀想に、きっと盗まれたことが明るみに出るのを恐れて、届けられなかったのでしょう」


 玉麗に怒っている様子はない。むしろ迦佑に同情的だ。


「珖璉。この簪はあなたから芙蓉妃に渡してもらえるかしら。わたくしが訪れては目立ってしまうもの。あなたからのほうがよいでしょう。その際に、わたくしは怒ってなどいないと伝えてくれる? それと、『十三花茶会』を楽しみにしているわ、と」


「かしこまりました。芙蓉妃にとっては、初めて参加される『十三花茶会』。不安なくご参加いただけるよう、牡丹妃様のお心遣いをしっかりとお伝えいたします」


「ええ、お願いね」

 花のかんばせをほころばせた玉麗が、


「……で」


 と、不意に悪戯っぽい笑みを浮かべ、わくわくした様子で身を乗り出す。


「あなたが宮女をそばに置いたという話で、後宮中がもちきりよ? 今まで側仕えは宦官ばかりで、頑なに侍女は置いていなかったというのに、いったいどういう心境の変化なの? あなたが侍女に選ぶなんて、いったいどんな子なのかしら? 侍女達からは鈴花という名前だということしか聞いていないのよ」


 矢継ぎ早に質問を繰り出す玉麗の瞳は、好奇心で輝いている。


「まさか、わたくしに隠し事なんてしないでしょう?」


 笑顔で圧をかけてくる玉麗に、これは隠し立てしても無駄だと珖璉は早々に察した。こうなった玉麗が決して追及の手を緩めぬことを、珖璉は長年の経験から身に染みて知っている。


 茶会が迫る中、盗人は捕まえられたものの、宮女殺しのほうはまったく手がかりが掴めていない。今後、鈴花が後宮内を動くにあたり、玉麗に《見気の瞳》のことを伝えて助力を約束してもらうことは、必ずや珖璉の利となろう。


 そう己を納得させ、珖璉は小さく吐息して頷く。


「わかりました。牡丹妃様に請われては、話さぬわけにいきますまい。ですが……」


 ちらりと目配せした珖璉に、打てば響くように応じた玉麗が人払いを命じる。頬を染めて珖璉と主のやりとりを見守っていた侍女達は、名残惜しげに、それでも素直に出て行った。


 応接間に残ったのは珖璉と玉麗、そして玉麗が幼い頃から仕えている侍女頭の三人だけだ。


「さあ、人目もなくなったし、もう堅苦しいのはなしよ」


 侍女達が下がった途端、一段高く設えられた壇の上の椅子から軽やかに降りた玉麗が、片膝をついたままの珖璉に歩み寄って手を取る。


「牡丹妃様……」

 困った声を上げた珖璉に、玉麗が美しい面輪をしかめる。


「嫌だわ。昔みたいに「玉麗姉様」って読んでくれていいのよ?」


「もう、姉様と呼ぶ年ではないでしょう。……玉麗様」


 妃嬪達は基本、与えられた花の名で呼ばれる。本来の名を呼ぶことが許されるのは、気心が知れた限られた者だけだ。


 珖璉は苦笑して、手をつないだまま立ち上がる。立って向き合うと、玉麗の身長は珖璉のあごくらいまでしかない。


「もう幼い童子ではないのですよ。ほら、玉麗様の背を抜いてから、何年経ったとお思いですか」


「あら。わたくしにとっては、あなたはいつまでも可愛らしい弟よ」


 不満そうに玉麗を見下ろした珖璉に、気にした風もなくころころと玉麗が笑う。


 弟といっても、血のつながった姉弟ではない。珖璉より五つ年上なだけだが、玉麗は珖璉の叔母にあたる。珖璉の父の一回り以上年の離れた妹が玉麗だ。


「せっかく同じ後宮内にいるというのに、あなたったら滅多に会いに来てくれないのだもの。たまに来てくれた時くらい、昔のように親しくしてもよいでしょう?」


 玉麗が童女のようにぷくっと頬をふくらませる。そんな表情をしても玉麗の魅力は少しもそこなわれることがない。


「官正であるわたしが、用もないのに足しげく通うわけにはいかぬでしょう」


 玉麗に手を引かれるまま壁際の長椅子に隣り合って腰かけ、なだめるように告げると、玉麗がふくらませていた頬から、勢いよく息を吐き出した。


「まったく。身分を偽っていてさえ、思うように会えないなんて不便なものね。妃嬪もも」


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