24 陛下からお言葉を賜ってはいないかしら?


 その身に宿す強大な《龍》の力ゆえか、代々の皇帝はあまり子宝に恵まれていない。身籠みごもっても、月満ちる前に流れてしまうことも多いのだ。


 後宮が設けられているのは、皇帝の権力を示すためというだけでなく、一人でも多く皇帝の子が生まれる可能性を増やすという現実的な側面もある。


「いいえ。残念ながら本日は別の用件で参りました」


 顔を上げた珖璉の視界に、翠蘭の後ろに控える茱栴しゅせんの姿が入る。


 茱栴は本来は後宮付きなのだが、翠蘭が懐妊した際に、身を守るために蘭宮付きにすることを欲し、一時的に蘭宮付きとなった。

 そのまま、流産した今も、呪われたと信じ込んでいる翠蘭は茱栴を手放そうとしない。珖璉にとってはこれも頭の痛い問題のひとつだ。


 だが翠蘭の様子を見る限り、茱栴の解放はまだまだ先になりそうだ。


「後宮を騒がせていた盗人を捕らえることが叶いまして。本日は、盗まれた品をお返しに参ったのでございます」


 珖璉は手にしていた小箱を開け、絹布に包んであった蘭の透かし彫りが入ったかんざしを翠蘭へ見せる。蘭宮の侍女の一人から被害届が出ていたものだ。


 珖璉の返答に翠蘭が細い眉をしかめる。期待していた内容と違っていたためだろう。


「被害届を出した侍女の物で間違いないかどうか、確認していただけますか?」


 珖璉の言葉に、控えていた侍女の一人が緊張した様子で進み出て、簪を確認する。


「は、はい。確かにわたくしの簪でございます」


 頷き、簪を受け取ろうと手を伸ばしたところで。


「珖璉様」

 翠蘭のとがった声に、侍女は怯えたように動きを止めた。


「せっかくお持ちいただきましたが、そのまま持ち帰って処分してくださいます? 盗人が手をふれた物を侍女が身につけるなど……。主であるわたくしの身までけがれるようですわ」


 見るのも嫌だと言いたげに美しい面輪をしかめた翠蘭が冷ややかに告げる。険のきつい顔立ちには、ありありと嫌悪が浮かんでいた。


 盗まれた侍女がやけに怯えていたのは、翠蘭の怒りを恐れていたためかと得心する。おそらく、管理が甘かったせいで盗人なぞにつけ入られたと、ひどく責められたに違いない。


「これはこれは、蘭妃様のお心にまで考えが及ばず、まことに失礼いたしました」


 珖璉は反論せず、恭しくこうべを垂れて謝罪する。


「蘭妃様のお望み通り、こちらはわたしが持ち帰り、責任をもって処分いたしましょう」


 精緻せいちな彫金が施された銀の簪は、この一本だけで庶民なら一年は遊んで暮らせるほどの値打ち物だが、裕福な高官の娘である翠蘭にとっては、路傍に咲く花ほどの価値もないのだろう。


 もし鈴花が翠蘭妃の言葉を聞いていたらどんな反応をするのだろうと、珖璉はらちもない想像を巡らせる。


 お仕着せが麻から綿へ変わっただけで感動していた鈴花のことだ。「えっ!? ほんとにいらないんですか!? だったらいただいてもよろしいですか!?」くらい言い出しそうだ。


 粗相をしそうだったため鈴花は置いてきたのだが、もし連れてきたら、さぞかし面白いものが見られたに違いない。


 他愛のない妄想に、わずかに気分が晴れる心地がする。が、あくまで顔は生真面目な表情を崩さない。


「お時間をいただき、ありがとうございました。では、わたしはこれにて――」


「珖璉殿」

 いとまの口上を翠蘭が遮る。


「陛下から何かお言葉をたまわってはいないかしら? 陛下のご厚情でもう十分静養させていただきましたわ。その感謝をお伝えしたくて、先日、陛下に文を送ったのですけれど……。まだお返事をいただけておりませんの」


 期待に満ちたまなざしに、内心で嘆息する。皇帝の心の内を珖璉が知るわけがない。が、ここで下手な返答をすれば、翠蘭が機嫌を損ねるのは明らかだ。


「申し訳ございません。陛下はわたしには何も……。まもなくり行われる『昇龍の儀』のお支度でお忙しいのではないかと推察いたしておりますが……」


「あら。でも牡丹宮に通われるお時間はおありなのでしょう?」


 翠蘭の声が険を帯びる。


 皇帝の寵愛の行方は、妃嬪達にとって何よりの重要ごと。妃嬪自身は滅多に宮から外出しないが、侍女達によって、皇帝の動向は逐一ちくいち主へ報告される。


 翠蘭が言う通り、翠蘭の懐妊と流産により、皇帝の寵愛はいまや牡丹宮の主・玉麗ぎょくれいが独占しているといっていい状態だ。


 翠蘭の懐妊前は、蘭妃と牡丹妃へのお渡りが多く、次いで菊妃、梅妃だったが、現在はお渡りのほとんどを牡丹妃・玉麗が占めている。


「きっと、『十三花茶会』の主催であるのをよいことに、陛下に相談をもちかけ、お手をわずらわせているに違いありませんわ。忌々しいこと……」


 翠蘭がまるで見てきたように吐き捨てる。


 四妃が持ち回りで主催する『十三花茶会』は、今年は玉麗が主催だ。


 そういえば翠蘭への皇帝の寵愛が深まったのは、去年、翠蘭が主催を務めてからだと気づいたが、口に出しては何も言わない。


「陛下の深遠なお考えは、わたしのような凡夫ではわかりかねます。ですが……」

 視線を伏せながら恭しく述べる。


「『十三花茶会』で蘭妃様があでやかに咲き誇るさまが陛下のお耳に入れば、陛下もお心を動かされるやもしれませぬ」


 翌日に『昇龍の儀』が控えているため、皇帝は茶会には臨席しない。が、王城で行われる『昇龍の儀』と、龍華国の繁栄を祈願して行われる『十三花茶会』は表と裏のようなもの。茶会の成否は必ず皇帝の耳に入る。


「確かにその通りですわね。牡丹妃などにおくれを取るわけにはまいりませんわ。後宮で最も美しく、陛下にふわさしい花は誰なのか、皆に示してさしあげなくては」


 勢い込む翠蘭の言葉に安堵する。こう言っておけば、たとえ玉麗が気に食わないとしても、茶会の邪魔をしたりはすまい。


「わたしも、蘭妃様のお美しいお姿を拝見できるのを心待ちにしております」


 駄目押しで翠蘭へ世辞を述べ、珖璉は蘭宮を辞して次の上級妃の元へ向かった。


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