23 蘭の花の名が冠せられた妃


 龍華国の後宮では、妃嬪達には花の名が冠せられる。


 梅、菊、蘭、牡丹の名で呼ばれるのが四妃とも呼ばれる上級妃達であり、蓮、躑躅つつじ、桂花、水仙、芍薬しゃくやく、茉莉花、菖蒲、芙蓉ふよう梔子くちなしの名を冠する九嬪きゅうひんが中級妃だ。さらにその下に定員のない下級妃達がいるが、現皇帝は四妃と九嬪までしか置いていない。


 この十三人の妃嬪達が一堂に会する儀式のひとつが、間もなく行われる『十三花茶会』だ。


 『十三花茶会』の主催は一年交代で四妃が持ち回りすることになっており、今年の担当は牡丹妃である玉麗ぎょくれいだ。


 夾を捕らえ、盗まれていた装身具を回収した翌日。朝から鈴花や禎宇と騒がしいひとときを過ごした珖璉は、隙無く身支度を整えた後、一人で蘭妃である翠蘭すいらんの宮を訪れていた。


 ちなみに、鈴花には朔と二人で後宮の各棟を回り、禁呪使いを探索するように命じてある。


(取りつくろってはいるが……。やはり、雰囲気がすさんでいるな)


 取次ぎを頼んだ侍女が戻ってくるまでの間、それとなく蘭宮の様子を確認していた珖璉は、心の中で呟いた。


 主である翠蘭の勘気かんきのせいか、珖璉に見惚れたり、こびを含んだ視線を送ってくる侍女達も、どことなくびくびくとしていたり荒んでいる様子だ。それでも上級妃の宮としての体面を保っているのは、翠蘭の気位の高さゆえだろう。


 三か月前までは後宮内で一番の権勢を誇っていた点を考えると、その落差には隔世の感を禁じえない。


 蘭妃が初めて身ごもった皇帝の御子を流産したのは三か月前だ。


 今年三十二歳となる現皇帝・龍漸りゅうせんには、未だ一人も子がいない。


 上級妃である翠蘭が男子を産めば、皇太子は確実、女子であっても皇帝の初の姫君として、翠蘭の権勢は後宮で並ぶ者がないほど高まるかと思われたが……。


 翠蘭自身も周りの侍女達も細心の注意を払っていたにもかかわらず、腹が目立つようになる前に、赤子は流れてしまった。


 流産した時の翠蘭の嘆きぶりはすさまじく、側近くに仕えていた侍女達は、主人の怒りを買って何人も解雇され、果ては、翠蘭が真っ先に懐妊したことを恨んで、他の妃嬪達が呪いをかけたのだという噂がまことしやかに流れたほどだった。


 むろん、官正である珖璉も調査に乗り出し、呪いによって流産したわけではないことを確認している。


 だが、女の嫉妬が常に渦巻くのが後宮という場所だ。


 実際には何の力もないものの、翠蘭への呪詛じゅそが書かれた呪符だの木片だのは、おびただしいほどに見つかった。


 皇帝の寵愛の多寡たかと御子を授かるかどうかが妃嬪の権勢に結びつく後宮において、妃嬪同士の足の引っ張り合いは日常茶飯事だ。むしろ、それらの悪意にさらされても己を律し、敵意を受け流す強さを持った妃嬪でなくては、後宮で生き残れない。


 珖璉には後宮内の不正を取り締まる役目と同時に、妃嬪の資質を見極める任務も皇帝より密かに下されている。


 以前、皇帝が揶揄やゆして言ったところによると、珖璉の美貌は試金石らしい。見目のよい宦官に心奪われる者など、妃嬪としてふさわしくないというわけだ。


 今日の翠蘭の対応如何いかんでは、皇帝に報告せねばならぬやも知れぬ、と珖璉は心の内で考える。


 流産以後、表向きは翠蘭の身体をいたわるためという理由で、皇帝のお渡りは一度もない。


 が、実際は翠蘭の激しい悲嘆を慰めるのを、皇帝がいとったためだろう。


 皇帝である龍漸は、第四皇子として生まれながらも、皇太子の死亡や、それに続く政争の中で皇位に昇りつめただけあって有能だ。だが、裏を返せば、冷徹で情に薄いということでもある。


 龍漸にとって、妃嬪とはあくまでも皇帝をよころばせ、子を産む存在であって、皇帝のほうが妃嬪に気を遣うなどありえないのだろう。


 だが、このまま皇帝のお渡りがなければ、翠蘭は荒れる一方だろう。後宮の治安を守る官正としては、それは困る。


 『十三花茶会』が近づく中、殺人事件が起こり、ただでさえ平穏が破られているのだ。これ以上のもめ事は勘弁願いたい。


 翠蘭が落ち着くというのなら、皇帝へお渡りを進言してもよいやもしれぬ、と珖璉は顔には出さず考えを巡らせる。


 そもそも珖璉が蘭宮を訪れた理由は、盗人を捕らえたことを報告し、盗品を返却するためだ。


 被害届があったものと夾の供述を照らし合わせ、どの宮から盗まれたのか調べたのだ。一部、夾の記憶があやふやであったり、盗難されたと広まれば外聞が悪いと考えたのか、被害届が出ていない品もあったが、幸い妃嬪や侍女達は、それぞれに与えられた花を題材とした装飾品を身につけるのが慣例となっているため、ほとんど迷うことはなかった。


 四妃の中で蘭宮に一番に来た理由は、気位が高い翠蘭は、後回しにされたと知れば、必ずや面倒事の種となるに違いないと判断したためだ。


「珖璉様。お待たせして申し訳ございませんでした。翠蘭妃様がお会いするとおっしゃっております」


 媚を含んだ声の侍女に案内され、翠蘭が待つ部屋へと通される。


「珖璉殿がいらっしゃるのは久方ぶりですわね。いったい、どんな御用かしら? わたくしに呪いをかけた者がついに見つかりまして?」


 両膝をついて恭しく挨拶を述べた珖璉に、開口一番、椅子に座した翠蘭が高圧的に問いかける。こうべを垂れたまま、珖璉は内心で嘆息した。


 三か月前、あれほど調べ、禁呪などがかけられた形跡はないと報告したというのに、翠蘭はまだ、流産の原因が他の妃嬪の呪いだという疑いに囚われているらしい。


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