22 布団よりも固くあたたかなもの


 寝返りを打とうとして、鈴花は身体をうまく動かせないことに気づき、ゆるゆると覚醒した。


 布団よりも固くあたたかなものに、ぎゅっと身体を包まれている。


 何だろうと疑問に思うより早く、鼻をくすぐったのは高貴で爽やかな香の薫りだ。

 珖璉の薫りだと気づくのと同時に、さっきのはやっぱり夢だったんだと哀しくなる。


 故郷で、菖花と一緒に『昇龍の祭り』の灯籠の飾りつけをする夢。


 『昇龍の祭り』の時には、建国神話に基づいて家々の軒先に美しい灯籠が飾られる。灯籠を飾るのは乙女の役割だと決まっていて、村にいた頃は、菖花と二人で年頃の娘がいない家の飾りつけを手伝ったものだ。


 菖花がいない寂しさにすんと鼻を鳴らすと、不意にぎゅっと抱きしめられた。

 驚いてぱちりとまぶたを開けた鈴花の視界に飛び込んだのは。


 すこやかな寝息を立てる珖璉の、銀の光に包まれた美貌だった。


「なっ、な……っ!?」


 わけがわからず固まる鈴花を、珖璉がさらに強く抱きしめる。


「はぇっ!? ちょ……っ」


 ぱくんっと跳ねた心臓が口から飛び出しそうだ。


 必死で押し返すが、顔立ちは妃嬪のように美しいのに、鈴花を抱き寄せる腕は間違いなく力強い男性のもので、まったく緩む気配がない。


 戸惑う鈴花をよそに、珖璉の端麗な面輪が近づき。


 ちゅ、と額にくちづけられた瞬間、鈴花は大音量の悲鳴を上げていた。


   ◇   ◇   ◇


「何事ですか!?」


 すぐさま部屋に飛び込んで来たのは禎宇だ。

 が、禎宇は寝台の鈴花達を見た途端、凍りついたように動きを止めた。


「て、禎宇さん……っ」


 半泣きになりながら眠る珖璉をぐいぐいと押し返す鈴花の声すら、聞こえていないようだ。と。


「……何だ? 騒がしいな」


 ふぁ、とのんきにあくびをしながら、珖璉がようやく目を開けた。


「こ、こここここ珖璉様っ!? これはいったい……っ!?」


 血相を変えた禎宇が寝台に駆け寄ってくる。が、珖璉はのんきなものだ。


「禎宇。お前がそこまで狼狽うろたえている姿は初めて見るな」


「当然でございましょう!? こんな、こんな……っ!」


 禎宇がわなわなと震える。鈴花もここぞとばかりに、一向に放してくれない珖璉をぐいぐい押し返した。


「どうして珖璉様が私の部屋にいらっしゃるんですか!? しかも、し、ししし寝台に……っ!?」


 話しているうちに、どんどん顔が熱を持ってくる。


 異性と同衾どうきんした経験など、あるわけがない。


 一瞬、まだ夢の中にいるんじゃないかと疑うが、背中に回された腕の強さも、揺蕩う香の薫りも、これは現実なのだと雄弁に伝えてくる。


 と、珖璉が悪戯っぽく微笑んだ。


「どうしてとはつれないな。そもそも、お前が放してくれなかったのだろう?」


「そ、そんなことしていませんっ!」


 ものすごい形相の禎宇に凝視されたが、珖璉を寝台に招き入れた記憶など、まったく全然、天地神明に誓って、決してない。


 即座に言い返した鈴花に、珖璉が「何を言う?」と笑う。


「夕べは、わたしの手を握ってあどけなく微笑んでいたではないか」


 見惚れずにはいられない甘やかな笑みを浮かべた珖璉が、もう一度ちゅ、と額にくちづける。


「な、ななななななになさるんですか――っ!?」


「こ、こここ珖璉様っ!? まさか、本当に……っ!?」


 今にも気を失いそうな鈴花と禎宇を見た珖璉が、くつりと喉を鳴らす。


「冗談だ。鈴花が眠りながら泣いていたので側へ寄ったら、姉と間違えて手を握られてな。無下に振り払うのも可哀想だったゆえ、そのまま……」


「な、なるほど……。しかし……」

 珍しく渋面の禎宇に、珖璉が鼻を鳴らす。


「そこまで警戒することはなかろう。別に、子どもができることをしたわけでもあるまいし」


 瞬間、鈴花は自分の顔が爆発したかと思った。


「あ、ああああ当たり前ですっ! なんてことをおっしゃるんですか!? というか、いい加減お放しくださいっ!」


 半泣きで訴えると珖璉がようやく腕を緩めてくれた。即座に布団をはねのけるようにして寝台から下り、ざっと夜着を確認するが、帯がほどけた様子はない。


「寝心地はなかなかだったぞ?」


 ゆったりと寝台に身を起こした珖璉に、禎宇が頭痛を覚えたように額を押さえる。


「不用意な発言は、わたしの寿命が縮まりますのでおやめください」


「お前がどんな想像を巡らせているかは知らんが、そもそも《宦吏蟲》で不可能だろう?」


 うんざりした声を出した珖璉に、禎宇が「いいえ!」ときっぱりとかぶりを振る。


「珖璉様はご自分の影響力を甘く見積もってらっしゃいます。たとえ何もなかったとしても、珖璉様が侍女と同衾したという噂が広まれば、後宮全体がどれほどの混乱に陥るか……っ!」


 その様子を想像したのだろう。わなわなと身を震わせる禎宇の様子に、鈴花にも恐怖が押し寄せる。


 珖璉の供をしていただけでも、あれほどの憎悪の視線を受けたのだ。事故みたいなものとはいえ、珖璉と同じ寝台で眠ったという話が外に洩れてしまったらどうなるか。


「そんなものは杞憂に過ぎぬ。誰も知らなければ済む話だろう?」


「い、言いません! 絶対ぜったい、口が裂けても言いませんっ!」


 珖璉の語尾を食い気味に力いっぱい宣言する。


 今朝のことは夢だと思おう。犬にでも噛まれたと思えばいい。でないと……。


 珖璉と同衾しただけで死ぬなんて、あまりにも理不尽すぎる。


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