9 夜更けの来訪者
扉が開き、人が動く気配に、眠りに沈んでいた鈴花の意識がゆるゆると覚醒する。
もう朝だろうか。だが、今朝はあまり眠った気がしない。
まだ寝てたいなぁとふかふかの布団を抱え込み直して、気づく。
違う。下級宮女に与えられる布団はこんなに綿がいっぱいでふこふこじゃない。なぜ、こんな
そうだ。夕べは珖璉に無理やり連れてこられて、結局、長椅子で寝ることになって……。
鈴花が思い出している間も、ごそごそと動く人の気配は続いている。
珖璉か禎宇だろうか。というか今は何時なのだろう。もぞもぞと布団から顔を出し、薄目を開けた瞬間。
「きゃあぁぁぁっ!」
暗闇の中、鈴花を
「だ、誰ですかっ!?」
震えながら身を起こし、ぎゅっと布団を抱きしめ
まだ夜明け前なのだろう。部屋の中は
だが、暗い中でも、興味津々な様子で鈴花を見つめるまなざしと、青年が纏う極彩色の《気》ははっきりと見える。
いったいこの人は誰だろう。絹の衣から察するに、身分が高いのは確実だが……。鈴花は見たことがない顔だ。と。
「何事だっ!?」
珖璉の声とあわただしい足音がしたか思うと、ばん! と扉が乱暴に開け放たれる。
夜着姿でつややかな長い髪をほどいたままの珖璉の後ろには、同じく夜着姿の禎宇も見えた。二人とも、寝ていたところを鈴花の悲鳴で叩き起こされたらしい。
「
長椅子の前に立つ青年の姿を見とめた珖璉が目を瞠る。
「何時だと思っている!? まだ真夜中だぞ!?」
だが、泂淵と呼ばれた珖璉と年の変わらぬ青年は、悪びれた様子もなくにへら、と笑う。
「いや~っ、《見気の瞳》なんて珍しいモノを見つけたっていうから、気になっちゃってさぁ~。すぐに来ちゃった♪」
「来ちゃったじゃないだろう!?」
珖璉が目を吊り上げる。
「夜中に来るなど、非常識にもほどがあるだろう!? そもそも、《
後宮はもちろん男子禁制だ。後宮に足を踏み入れる男性は、皇帝以外は皆、身分の上下にかかわらず《宦吏蟲》という蟲を身体に入れなければならない。
同僚から聞いただけの知識だが、宮廷術師によって《宦吏蟲》を入れられた者は、男性機能を失うのだという。
長期で里帰りをする時や、後宮を退職する時には抜いてもらえるそうで、抜けばふつうの男性と何ら変わりなくなるらしい。何年も入れ続けていたり、体質によっては、《宦吏蟲》を抜いても男性機能が戻らない場合もあるそうだが。
珖璉の厳しい声に、泂淵は「やっだな~」と軽い口調で返す。
「ちゃんと入れてるよ~。いかに宮廷術師といえど、入れてないのがバレたら、さすがにマズイからね~」
珖璉が頭痛がすると言わんばかりに額を押さえた。
「……どうせ、自分で
「え~っ、褒めても何も出ないってば~」
「泂淵様……。珖璉様は褒めてらっしゃらないと思います……」
嬉しそうに笑う泂淵に、禎宇がすかさず突っ込む。が、泂淵は悪びれる様子もない。
「え~っ、だって《宦吏蟲》を入れようと入れまいと、ワタシは
後宮の重要規定をあっさり「そんなコト」と言ってのけた泂淵が、わくわくと鈴花を振り向く。
「このコが《見気の瞳》の持ち主っ!? ワタシも《見気の瞳》を見るのは初めてなんだよね~っ! ねぇねぇ、どんな風に《気》が見えるワケ!?」
好奇心に目を輝かせた泂淵がぐいぐい迫ってくる。
「あ、あの……っ」
鈴花はぎゅっと布団を抱きしめたまま、長椅子の上で後ずさろうとした。が、すぐに背中が背もたれにぶつかる。
「おい。少し落ち着け」
呆れ声を上げた珖璉がつかつかと歩み寄って泂淵の肩を掴む。眼前に迫ろうとしていた顔が離れて、鈴花はほっと吐息した。
「鈴花……。こうなった泂淵は、己の好奇心が満たされるまでは止まらん。夜更けにすまんが、卓についてくれ」
「は、はい……」
幸いと言うか、掌服のお仕着せのまま横になっていたのですぐに動ける。もぞもぞと布団を押しのけて立ち上がろうとすると、
「暗いな……。《
と呟いた珖璉の手に、不意に光を放つ小さな蟲が現れた。
「わぁ……っ!」
蟲招術のことは知っていても、《蟲》を見るのは初めてだ。思わず感嘆の声を上げると、泂淵に問われた。
「鈴花、だっけ? キミ、あの《蟲》が見えるの?」
「えっ、はい。一寸ほどの大きさの光る蟲ですよね……? 珖璉様の《気》の色とあいまって、とっても明るいです」
いいなぁ、こんな風に明かり代わりになる蟲を呼べたら、
「えっ!? 蟲にも色がついて見えるワケ!?」
「は、はい……。蟲を見たこと自体、初めてですけど……」
珖璉の《気》の色については口止めされている。
あいまいに頷くと、珖璉から、
「わたしの《気》は銀色に見えるそうだ」
と告げてくれたのでほっとする。泂淵には伝えても問題ないらしい。
「ねぇねぇ、ワタシの《気》の色は何色なんだい!?」
わくわくと子どもみたいに目を輝かせて泂淵が尋ねる。光蟲で明るくなったおかげで、泂淵の《気》の色はさらにはっきり見えていた。
「泂淵様の《気》の色は……。極彩色の玉虫色です……」
こんな色を見たのも初めてだ。
おずおずと答えると、ぶふぉっ、とくぐもった変な声が聞こえた。禎宇が吹き出すのをこらえようとして失敗したらしい。
「なるほど。いかにも
珖璉が失礼極まりないことをさらりと言う。が、当の泂淵は気にした様子もない。
「へ~っ! おっもしろーい! これはイロイロと実験して――」
ふたたび泂淵がずいっと鈴花へ身を乗り出したところで。
「珖璉様」
扉の向こうから少年の声が聞こえた。緊張を
「
「夜分に申し訳ございません。八人目の被害者が……」
返答を聞いた途端、珖璉が音高く舌打ちする。
「くそっ! またやられたか……っ!」
「八人目って……。例の?」
泂淵の問いに珖璉が苦い表情で頷く。
「泂淵。お前が来ているのは不幸中の幸いだ。情けないことに、まったく手がかりが掴めていなくてな。ここまで警備の目をかいくぐっているとなると、術師が絡んでいる可能性もある。宮廷術師としての意見が欲しい」
「えーっ、しょうがないなぁ~」
唇をとがらせながらも、泂淵はまんざらでもなさそうだ。と、珖璉が鈴花を振り向いた。
「お前も来い。もしかしたら《見気の瞳》で何かわかることがあるやもしれん」
そう命じられても、鈴花には何が何やらわけがわからない。
「あ、あの、行くってどこにですか!? こんな真夜中なのに……」
朔の来訪とともに隣室へ下がっていた禎宇が持ってきた絹の上衣を羽織りながら、珖璉が薄く唇を吊り上げた。
珖璉の手から離れた光蟲が、ぱたぱたと部屋の中を飛んでいる。羽ばたくたび、揺れる光が落とす影に端麗な面輪を彩られながら。
「宮女殺しの現場だ」
美貌の官正は、冷ややかな声で告げた。
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