8 洩らせば、口を縫いつけられると思え


「えっ? あ、はい……」

 予想もしていなかった質問に、戸惑いながら頷く。


「異界からさまざまな《蟲》をび出して、人の力ではできないことも可能にする術、ですよね……? 私は術師様にお会いしたことはありませんが……」


 蟲招術のことなら、小さな子どもだって知っている。


 空を飛んだり、夏に氷を作り出したり、はたまた人に取り憑いて病気を起こす悪い《蟲》を追い払ったり……。


 常人には想像もつかぬ力を振るうのが、さまざまな《蟲》を召喚して使役する術師達だ。


 だが、術師の才を持つ者は数千人に一人いるかどうからしい。一介の村娘でしかない鈴花は、会ったこともない。


 だが、蟲招術の存在は広く知られている。


 なぜならば、数多あまたの《蟲》の頂点に立つのが《龍》であり、《龍》を喚び出すことができる存在は、ここ龍華国の皇族だけだからだ。


 『十三花茶会』については後宮に奉公に来るまで知らなかったが、茶会の翌日に執り行われる『昇龍の儀』については、人口に膾炙かいしゃしている。


 『昇龍の儀』では皇族達が王城の露台に立ち、集まった民衆の前で《龍》を喚び出し、天へと放つのだという。


 日暮れ間近の空を天へと昇ってゆく白銀の《龍》の美しさと、王都のいたるところに灯された灯籠のきらびやかさは、この世のものとは思えぬほど幻想的な光景なのだと、鈴花は昔、村へ来た行商人から聞いたことがある。


 もっとも、そんな光景を見られるのは王都に住む限られた民だけで、鈴花のような田舎に住む者には、一生見ることも叶わぬのだが。


 ただし、王都以外の町や村では『昇龍の儀』に合わせて『昇龍の祭り』が行われ、建国神話にちなんで家々の軒先に灯籠が吊るされ、にぎやかに龍華国の建国が祝われる。


 『昇龍の祭り』の日だけは農作業も休みになり、村を挙げての祝宴が開かれる。年に一度の祭りは、貧しい暮らしの中の数少ない楽しみだ。


 ともあれ、いったい何を確認されているのだろうと首をかしげた鈴花に、珖璉が淡々と問いを重ねる。


「では、蟲招術を扱う術師が、何をかてに《蟲》を召喚しているか、知っているか?」


「え……?」


 これは試験か何かなのだろうか。


 鈴花は私塾の先生を前にしているような緊張感を覚えながら、知っている事柄をおずおずと口にする。


「確か……。呪文を唱えて《蟲》を召喚するんですよね?」


 術師に会ったこともない鈴花は、呪文など聞いたこともないが。


「違う」

 珖璉の返事はにべもなかった。


「《蟲》を召喚するのに呪文は……正確には、蟲語むしごというのだがな。蟲語は必須ではない。ある程度の力量のある術師ならば、名を呼ぶだけで召喚することができる。蟲を召喚するために必要なものは、術師が持つ《気》だ」


 珖璉の長い指先が、禎宇が皿を下げた卓の上を滑るように動き、「気」という文字を書く。


「はあ……」

 あいまいに頷くと、珖璉の目が苛立たしげにすがめられた。


「術師は皆、《気》をその身に宿しているが、己の《気》であれ他者の《気》であれ、感じ取ることはできても、見ることは叶わん」


「へ~っ、そうなんですね」


 初めて聞く話に感心の声を洩らすと、珖璉の目がさらに鋭く細まった。


「察しの悪い娘だな! わたしはお前が《気》を見ることができる特別な目を――《見気の瞳》の持ち主ではないかと言っておるのだ!」


「……はぇ?」


 そういえば、食事の前にそんな言葉を聞いた気がする。が。


「ええぇぇぇっ!? わ、私なんかが、そんな特別な目を持っているはずがありませんっ!」


「だが、お前にはわたしが銀の《気》を纏って見えるのだろう?」


 すっとんきょうな声を上げた途端、ぴしゃりと珖璉に封じられる。


「それはそうですが……」


 目の前に不機嫌そうに座る珖璉は、鈴花の目には、やはり銀の光を纏い、うっすらと輝いて見える。


「ですが、銀の光を纏っている方なんて初めてで……」


「言っておくが」

 刃よりも鋭い視線が、鈴花を貫く。


「わたしの《気》の色は、決して他言するな。洩らせば、口を縫いつけられると思え」


「い、言いませんっ! 絶対に他言しませんっ!」


 冷ややかな圧が高まり、不可視の手で心臓を握り潰されるのではないかと不安になる。鈴花は千切れんばかりに首を横に振った。


 珖璉の様子からすると、本当に実行しそうだ。向けられる威圧感に、喉に石が詰まった心地がする。


「先ほどお前は術師に会ったことはないと言っていたな。お前自身は蟲招術は使えぬのか?」


「えぇっ!? 私がですか!? 無理です! 私なんかが使えるわけがありません!」


「お前自身は己の《気》が見えぬのか? お前の《気》の色は何色だ?」


 珖璉の問いに、自分の右手に視線を落とす。


 村での生活と、後宮での水仕事で荒れている手。そこに見えるのは、薄い紗のようにふわりとまとわりつく淡い卵色だ。


「淡い卵色が見えますけど……。これが《気》っていうものなんですか? でも私、《蟲》なんてんだこともありません! それに、色を纏っている人なら、たまに見かけますし……。掌服の先輩にもいますし、私なんかが術師なわけがありません!」


 もし鈴花が希少な術師だったら、役立たずと故郷で毎日罵られていたはずがない。


 きっぱりと断言した鈴花に、珖璉が眉を寄せる。


「これは……。一度、泂淵けいえんに見せたほうがいいやもしれんな。わたしでは判断しかねる」


「では、文を出されますか?」

 禎宇の問いに珖璉が頷く。


「ああ。すぐに出そう。『昇龍の儀』の準備で忙しいだろうが……。あいつのことだ、《見気の瞳》を見つけたかもしれんと書けば、明日にでも来るだろう」


「あのぅ……」

 鈴花はおずおずと口を開く。


「では、そろそろ失礼させていただいてもよろしいですか……?」


 連れてこられてからどれほどの時間が経ったかわからないが、そろそろ戻って眠らなければ、明日がつらい。


 鈴花の言葉に、珖璉が「何を馬鹿なことを言っている?」と言わんばかりの呆れ顔を向けてきた。


「お前を帰すわけがなかろう。今夜はここへ泊まりだ。帰して、万が一にでも迂闊うかつなことを話されるわけにはいかんからな」


「わ、私、絶対に他言なんていたしませんっ!」


 官正である珖璉の命に背くなど、口を縫われるどころか物理的に首が飛びそうだ。


 震えながら断言するが、珖璉は鈴花を無視して、禎宇に隣室の長椅子に布団を運び込むよう指示している。


 どうやら今夜は掌服に戻るのは不可能らしいと、鈴花は諦めるしかなかった。


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