6 いったい、わたしの何を見た?


「ひっ!」


 刃よりも鋭い視線に射抜かれ、思わず悲鳴を上げる。


「な、何も見ておりませんっ!」


 見てはならぬものを見た記憶なんてない。それとも、下級宮女は珖璉の姿を見ることすら禁忌なのだろうか。


 それなら今も罪を犯していることになる、と鈴花はあわてて固く目をつむる。


「も、申し訳ございませんっ! 本当に何も知らないのです! お願いですからクビだけは……っ!」


「嘘を申すな! 確かに見たのだろう!?」


 珖璉が何を言っているのかわからない。

 逃げたいのに肩を掴む手は万力のようで、締め上げられた骨がきしむ。


 じりじりと後ずさっても、その分距離を詰められる。と。


「ひゃっ」


 不意にがつんと膝の後ろに硬いものがぶつり、鈴花は尻もちをついた。勢い余って倒れ込んだ拍子に、部屋の隅にあった長椅子にぶつかったのだと気づく。


 だが、珖璉の手はまだ離れない。


 ぎっ、と鳴った音にまぶたを開けると、鈴花に覆いかぶさる珖璉と視線が合った。

 銀の光を纏う面輪の中で、黒曜石の瞳が切羽詰まった光を宿して炯々けいけいと輝いている。


 まなざしに締めつけられたように、きゅぅっと心臓が痛くなる。端麗な美貌から目が離せない。


「言っていただろう、銀の光と。お前はいったい何を見――」


「珖璉様! いったい何事でございますか!? 急に宮女を連れ帰られるなど、掌服だけでなく後宮中がすごい騒ぎに……っ!」


 扉を叩くのももどかしいといった様子で、武官らしい鍛えられた身体つきの宦官が部屋に飛び込んでくる。


 と、長椅子に中途半端の身を横たえた鈴花と覆いかぶさる珖璉を見た瞬間、こぼれんばかりに目をみはる。


「こ、ここここ珖璉様っ!? これはいったい……っ!?」


 雌鶏めんどりが蛇を産んでもここまで驚かないのではなかろうか。


 鶏みたいに珖璉の名を呼ばった宦官が、珖璉と鈴花の間で素早く視線を往復させる。


「落ち着け禎宇。此奴こやつを問いただしていただけだ」


 禎宇と呼んだ宦官を見もせず、珖璉がそっけなく答える。黒曜石の瞳は鈴花を見据えたままだ。


 今にも獲物の喉笛を噛み千切ろうとする狼のような威圧感に、鈴花の身体が勝手にかたかたと震え出す。


「いい加減、答えてもらおうか。お前はわたしを見て、「銀の光」と申したな。――いったい、わたしの何を見た?」


 返答次第では喰い破ると言わんばかりに、肩を掴んだままの手に力がこもる。

 鈴花は震えながら必死で首を横に振った。


「も、申しあげた通り、銀の光を見ただけですっ! わ、私……っ、昔から、ときどき人が色を纏っているのが見えるんです! それで珖璉様の銀の光が見えただけで……っ! 他には何も一切見ていませんっ!」


 叫ぶように告げると、珖璉の動きが止まった。


「何だと……?」


 信じられぬと言いたげに目を瞠った珖璉が、かすれた声をらす。


「お前はわたしの《気》が見えるというのか!?」


「き? 「き」って「器」のことですか……? いえ、私は掌服なので掌食みたいに器は扱いませんけれど……?」


 勢い込んで尋ねた珖璉にきょとんと返すと舌打ちされた。


「《気》が何か知らんのか?」


「も、申し訳ございません……っ!」


 知らぬものはどうしようもない。これ以上、珖璉の機嫌をそこねぬよう、身を縮めて詫びる。


「……知らぬというのなら、ひとまずは信じよう」


 身を起こした珖璉が、ようやく鈴花の肩を放してくれる。強く掴まれていた肩は、熱を持って痛いほどだ。


「お前には、わたしが銀の光を纏って見えるのか?」


 立ち上がった珖璉が鈴花を見下ろして問う。鋭い視線は、もしたばかれば容赦はせぬと言外に告げていた。


 長椅子から降り、板張りの床に正座した鈴花はこくこくと頷く。


「そ、そうです! 珖璉様は全身にうっすらと銀の光を纏ってらっしゃいます。銀の光を纏ってらっしゃる方なんて、お会いするのは初めてですけれど……っ」


「珖璉様、これは……?」


 二人のやりとりを見守っていた禎宇が、不思議そうな声を上げる。珖璉が「ふむ……」と考え深げに頷いた。


「おそらく此奴こやつは《見気の瞳》の持ち主だ」


「見気の、瞳……?」


 謎の言葉をおうむ返しに呟く。と、その拍子に今まで恐怖に空腹を忘れていたお腹が、不満の唸りを発した。


 くーきゅるきゅるきゅる。


「ひゃっ!?」

 あわてて両手でお腹を押さえるが、その程度では止まってくれない。


 ぶはっ、と禎宇に吹き出され、恥ずかしさに顔が熱を持つ。


「す、すみません……っ」


 顔から火が出るほど恥ずかしいが、なおもお腹はくぅくぅと空腹を訴え続けている。


「こ、珖璉様……。ひとまず、食事になさいませんか? ぶくくっ、こうもお腹が鳴っていては、その宮女も落ち着いて話ができぬでしょう」


 笑い混じりに告げられ、ますます羞恥しゅうちが湧きあがる。恥ずかしくて、叶うなら今すぐここから逃げ出したい。


 禎宇の提言に、珖璉が仕方なさそうに吐息した。


「確かに、いろいろと説明も必要そうだ。先に食事とするか」

「かしこまりました」


 恭しく応じた禎宇の言葉に応じるように、ひときわ大きくお腹が鳴り、鈴花は涙目で己の食い意地を呪った。


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