十四歳の爆弾

山原倫


 路面が暗く光っている。暗雲がひらけて、その隙間から灰色が覗いていた。新鮮な湿気がのっぺりと満ち、執拗にまとわりつく。辺りには雨の匂いが滞ったままだった。置き場から自転車を引っ張り出すと、スタンドを上げ、サドルにまたがる。雨粒が染み込んでスカートを濡らした。前かごに通学鞄を放り込んで、ペダルを踏む。どこまでも続く湿った薄膜のなかをくぐり抜け、雨上がりの風を肌に受ける。静止した朝が目の端を流れていく。いつ見ても走っているピンクのランドセルを背負った男の子や、鮮やかな花柄の洋服を着こなしてごみ出しをするお婆さんの姿は、今朝はまだなかった。私だけが夜の残り香を漂わせて、たじろぎながら自転車を漕いでいる。雲間にちらつく太陽を見ていると、殺したい衝動がむくむくと湧き上がってくる気がした。タイヤが段差の上を通過して、前かごのなかの鞄が小さく跳ねる。

 私は自転車の速度を落とす。鞄のなかの爆弾を揺らさないよう、細心の注意を払うかのように。日の高いうちは一般人に擬態して、日が沈むと爆弾の開発に精を出す。政治家とかにそれを送りつけて、脅迫の電話をかける。差し詰め、優菜ボマーってところ。その考えは、私の心を浮き立たせることにいくらか役立った。

 通学鞄を胸の前で大切そうに抱きかかえ、いつもの電車に乗り込む。網棚に鞄をそうっと置くと、数席ぶん横にずれ、吊り革に掴まる。胸奥で微かな高揚が起き上がるのを感じた。悪戯を仕掛けた後の子どもの気分。雨ざらしの洗濯物のように吊り革からぶら下がって、窓外の暗闇を眺めていた。そこには、男みたいにがっしりとした肩幅で、無駄に上背のある私が映っていて、反射的に目を伏せてしまう。

 独房のように飾り気がない狭苦しい部屋。四方の壁は染みひとつない真っ白で、蛍光灯の光をいっそう際立たせる。明るすぎて目がチカチカするほどだった。向かいのパイプ椅子が軋みを上げた。目を見開き、顔を上げると、男の顔には相変わらず険しい表情が浮かんでいる。白髪交じりの頭髪は短く刈られ、くたびれたスーツに紺色のネクタイがだらりと垂れていた。

「良いご両親じゃないか。家庭には何の問題もない。学校に友達もいる。いったいどこに不満がある。何故こんなことをする必要があったんだ」

「復讐みたいなもんです」私は無表情のまま、淡々と答える。

「復讐って、何に」

「朝が嫌いなんです。朝って慌ただしくて、イライラするじゃないですか。ただ太陽が沈んで昇っただけで何もなかったことにして。新しい一日の始まりみたいな空気があって。そんなこと言われても、朝は夜の延長戦でしかないし、今日は昨日の続きでしかないわけだし。そもそも朝を迎えられるメンタル作るのって難しくないですか? 私、一週間に一回くらいしか上手くいかないですよ」

 男は頭のおかしい奴を見るような顔をしていた。

「復讐っていうか、眠気覚ましの一発みたいな」私は笑って言った。

 電車が停まり、乗客が車内へなだれ込んでくる。私は押し流されて、乗降口から引き離されてしまう。ドアが閉まり、再び電車がのっそりと動き出す。皺ひとつないスーツ、赤や黒のランドセル、学校指定の味気ない鞄、表情を失った顔。騒がしくて、嫌気がさす。身じろぎするように電車が傾いて、隣に立つスーツ姿の男が私の身体にぶつかる。ふと思い出して回頭すると、さっきまで立っていたところには人の壁ができている。座席の真上に手製の爆弾が乗っかっていて、それに気づきもしない乗客みんなが間抜けに見えた。誰も自分の死因を知ることなく、「ああ、これで死ぬのか」と回顧する余裕もない。車両全体を爆発の炎が覆い尽くし、人々を飲み込む。伸ばしたくて伸ばせないままの髪も、見るたび憂鬱になる顔も、ダサい制服も、醜い身体も、ひとつ残らず巻き込んで、焼けただれていく。誰の背後にも苦痛だけの死が横たわっていればいい。

 電車の揺れに合わせて身体が押され、吊り革を握る手に力を込める。隣に目をやると、スーツの男が素知らぬ顔をして立っていた。それで誤魔化せているつもりなのが滑稽だった。出し抜けに、駅名をアナウンスする高く通る声が耳に入る。私は縋るように降車した。ホームに設えられたベンチの数、それから階段の位置、看板広告の内容やごみ箱の場所、あとは自動販売機のラインナップ、ある物ぜんぶに馴染みがなかった。背後でドアの閉まる音がする。濡れそぼったように重い両腕を、だらりと力無く垂らし、爆弾の乗った車両を見送った。

 階段を駆け上がり、地下鉄を出た。鉛色の天井が空を分厚く遮っている。疎らな雨滴が頬に冷たく落ちる。午前にしては光量が少なく、歩道の敷石に淡い影を滲ませていた。水溜まりに映るぼやけた空を踏みつけて歩きながら、私は早々に後悔の念に駆られていた。首吊り用のロープを失くした自殺志願者のようなものだった。

 ロータリーの中央に建つ時計台を確認してみると、まだ八時を少し回った程度だ。往来にも通勤通学の人々が目立つ。すると、歩道の脇へ隠れるようにして、電話ボックスが一台だけ佇んでいるのを見つけた。天啓を得たように、私はその電話ボックスへ飛び込んだ。受話器を取ろうとしてから、財布を電車のなかに置いてきてしまったことを思い出した。どうも頭のなかがぼんやりとして、真面な思考ができなくなっている。公衆電話に背中を預けて、ぼうっとしていた。

 しばらくすると、雨のぶつかる音が電話ボックスのなかに鳴り響き始めた。雨足が強まってきているらしい。私と世界のあいだには見えない壁が立ちはだかっていて、私はガラス越しに、通り過ぎてゆく傘を眺めることしかできなかった。

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