第25話 ぴっちぃ お別れ

 空に引く国境の

 差し迫る原点を射貫くように差す光

 ひとかけら

 キミだけの宇宙をめぐる不朽の魂

 標的もわからず

 もどかしくも叫ぶあのころのキミの声を

 裾を揺らし

 恵みのオーロラが撫でる



  ✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼✼



 船から飛行機へ乗り継ぎ、ジュピタンまで最後のフライト。


 どっちがどっちを抱っこしているのだか、デューンの膝の上でフュリスとぴっちぃが信頼しきったように互いに身を預け、穏やかな寝息を立てている。


「私たちもひと眠りしましょう。抱っこ代わるわ、デューン」

「おれは大丈夫。ドーレマは寝てていいよ。痺れてきたら、交代してもらうから」

 ひそひそと言葉を交わすうちに、ふと目が合うドーレマとデューン。出会った頃のデューンは、いまよりずっとおとなしく、伏し目がちで、人と目を合わせることがあまり得意ではなかった。けれど、ドーレマとつき合い始めると、目を合わせないわけにもいかないシチュエーションは増えていく。

 大学院時代から同じ研究室にいるとはいえ、研究職員として仕事をする身分となってからは、学内の雑務も回ってくるし、対外的な職務もこなさなくてはならない。そんなこんなでデューンも、常識的な社会人らしく、きちんと相手の目を見て会話もできるようになっている。

 それとは別に、ドーレマには、デューンの目が、自分と目を合わせるとき、いちいち新鮮な輝きをもって緩やかに刺さってくるように感じられる。


 たいした用事ではなくても、いちおう話しておいたほうがよい事務連絡みたいなこともある。一言添えるだけで余計な考え違いを避けることができる。性格のせいか、ドーレマへの気遣いなのか、生活の些末なあれやこれやの会話にもちゃんと目を合わせてくれるデューンの優しさが滲み出てきて、それはなんてありがたいことなのだろう、とドーレマは思う。

 じいちゃんもモイラも、表わし方は違うけれど、同じようにちょっとした心遣いを添えながらドーレマを育ててくれた。

 自分の人生に〈不幸〉というものがあるとすれば、それのすべてが〈捨て子だった〉ことの一点に集約されて、

『以上!』

『え? それだけ?』

 ってな具合に、およそ不幸感を味わうことなくこれまで生きてこられた。


 レイヤが若年性認知症に罹って初めのうちは、戸惑いもあったけれど、大好きな先輩呪術師のレイヤに憧れる気持ちは意外にも変わらないし、〈息子の妻〉としてレイヤの傍にいて介護に関われることがむしろ有難くもある。この先、舅のグルがもし要介護になったとしても、一生懸命お世話してあげたい。グリンの家族も、できる限りサポートしたい。

 捨て子だったからこそ親族をもつ今を感謝する、というわけでもない。モイラやじいちゃんが生きていたころの彼らに対する気持ちと変わらないではないか。

 フュリスに対する愛情だけは特別だが、これはもう動物的な本能なのだろう。


 結婚前も、なにかの拍子に目が合えば、そのたびにドキリとしたものだが、それくらい、デューンの目はきれいだ。膝に抱いたフュリスとぴっちぃをそーっと撫でながら、ドーレマにも優しい視線を注ぎ労わってくれるデューンの、深いヒスイ色の瞳に、今日もまたドキリとして、ドーレマは思わずデューンに口づけた。

 両手がふさがっているから、デューンは唇でドーレマの口づけを受け取り、唇を噛み返し、目を閉じる。ドーレマは目を開いたまま、デューンの眉間に微かな快感のしるしが差すのを見届ける。デューンの喉から息だけの喘ぎが洩れると、ドーレマの身体の芯もツキュンとうずく。

 声を噛み殺して鼻息にも気を使いながら口づけあっていると、フュリスに抱かれているぴっちぃの虚体から、ふわりと霞のような淡い光が浮かび上がった。


 先に唇を離したのはドーレマ。デューンも目を開ける。そして反射的に、フュリスごとぴっちぃを抱き締めた。ぴっちぃの虚体が陽炎みたいに消えていきそうな気配がしたから、フュリスの腕の中に抱き留めようとする。

 ぴっちぃが目を覚まして振り向いた。一生に一度、この瞬間だけ命を与えられたように、大好きなご主人さまに永遠の別れを告げるこの一瞬だけ命を与えられたかのように、生気を宿した虚体の目がドーレマとデューンを見つめる。それは、ついに神様から呼ばれて歓び馳せ参じようとする信徒のようでもあり、涅槃に達した修行僧のようでもあり、しかしただの作り物のぬいぐるみの目のようでもある。

 虚体を取り巻く柔らかな霞のなかで、ぴっちぃは挨拶をするように黙ってドーレマたちに微笑みかけて手(前足)を軽く上げ、フュリスの額にキスをして、元のぬいぐるみの姿形と同じ恰好になり、ふたりが見ている前ですうっと薄くなり、キラキラと魂の粉塵と化して消えた。

 ドーレマの呪術師の勘が、メイドのガイドちゃんの残映を捉えた。ドーレマは慌てて流れ星に願い事を唱えるように、心のなかで祈った。

〈ぴっちぃちゃんを頼みます、ガイドちゃん〉

 

 飛行中の航空機の中へまでお迎えに来るとは、なんとプロフェッショナルな・・・。ガイドちゃんが連れていくのだから、行く先は正統なあの世であろう。ついに、ぴっちぃはぬいぐるみ人生を正しく終えて成仏(?)できるのだ。

 ・・・・・ってことは、あの世へ正しく入れていないかもしれないママとはもう永久に会えないのだろうか?

 ぴっちぃを抱っこしていた腕の形のまま眠っているフュリスの、ふわりと空になった空白の、ぴっちぃの残像に、デューンの涙が落ちる。ドーレマの青灰色の目にも涙が溢れてくる。

 デューンがフュリスの頭を掻き抱いて撫で、ドーレマはフュリスの肩から腕へ手のひらを滑らせて撫でる。ふたりとも、そのようにして、ぴっちぃの魂をなでなでしてあげた。


〈ぴっちぃちゃんの実体が最後に見たのは誰の姿だったのかしら?〉

 哀しくて切なくて、ドーレマは声を殺して泣いた。その肩を抱いて、デューンも泣いた。

 ぴっちぃの実体をついに発見して〈処分〉したのはパパなのか、おにいちゃんたちなのか、それとも廃品処理業者さんなのか・・・

 魂を載せた虚体のほうは、ドーレマとデューンに見守られて旅立った。


 フュリスが目を覚まして、ぴっちぃがいないことに気づいたら泣くだろう。フュリスに悲しい思いをさせるのは可哀想だから、ぴっちぃの記憶ごと忘れさせるまじないをかけようか? いや、それも可哀想だ。ぴっちぃを可愛がった、ぴっちぃからも可愛がられた思い出は、残しておいてやったほうがよいのではないか?

 答えが見つからないまま、ふたりはどうにか交代でフュリスを抱っこしながら仮眠を取り、飛行機はジュピタンへ到着した。



 空港までグル・クリュソワが迎えに来てくれていた。デューンの腕からフュリスを抱き取り、グルの相貌が緩む。フュリスはグルの目を見つめ、可愛い声を出す。カタコトまであと少し、というレベルで、まだなにを言っているのかわからないが、表情や声の抑揚から、なにかを報告しようとしているのかな、と思える。グルはうんうんと頷きながら聞いている。なにを言ってるのか、グルにもわからないけど。

「ほぉ、さようでちゅか。しょれはしょれはそれはそれは、ふんふん」

 大学関係者には絶対見せられない、変人錬金術師の珍しい顔だ。デューンとドーレマはそんなふたりのやり取りに、心のなかで、

〈くくっ・・〉

 と笑いを噛み殺す。


「ぴっち ばぃばぃ」

 フュリスが発した〈言葉〉だ!


 グルは先ほどから、フュリスの声に応答して、意味はわからなくてもいちいち相づちを打っている。

「そっかぁ」

 デューンとドーレマも、

「そっかぁ」

 と頷く。

〈そっか。おまえは解っていたんだね、フュリス。ぴっちぃちゃんとのお別れを・・・〉




 家へ向かう車を運転しながらグルは、前日レイヤが珍しく鼻歌を歌っていた、とかいう話をする。

「『てんごっく良いとっこ いっちどはおいで~ サケはうまいしネエちゃんはきれいだ ふわぁ、ふわぁ、ふわっふわぁ~』って歌ってた」

 グルは歌が上手すぎるから、そんな酔っぱらいの歌がちょいと不思議な世界のクレイジーなカリスマ性を帯びてしまう。グルはこんなに歌が上手いのに、息子のデューンは何故音痴なんだろ?

「キミたちが帰ってくるのがわかっていて、それで浮かれていたのかな? 『再会を喜んでいるわね』とか、訳のわからないことも言ってた。しかしなにゆえ天国なのだ?」

 ドーレマとデューンは、それはぴっちぃのことだと思った。アルチュンドリャを通してかもしれない、魂の絆が繋いだ出来事なのだとふたりは受け止める。



 ネプチュン鳥島での会議の成果は来週、第五大の学長も出席する報告会で。ケーメくんをお迎えするのはその次の週だ。研究室と家族と友人たちへのお土産は宅配便で届く予定。

 今夜はまず、グルとレイヤのいる実家でゆっくりと休もう。グリンたちも顔を出しに来るかもしれないな。ヒュィオスとヒュプノには、手荷物に入れてきたビイル薔薇のポプリをあげよう。ママと同じ匂いだから驚くかもね。サファイアブルーのイヤシノタマノカケラを嵌め込んだペーパーウェイトをグリンに手渡すときは、ちょっと説明が長くなるけど、ちゃんと伝えよう。みんなの魂がグリンたちを守っているのだと。


 そして明日、墓守の家へ帰り着き、夜になったら、空に新しいキミの星をさがそう。 

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キミの星のうた 溟翠 @pmotech

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