仲直りごはん

キノ猫

 


母さんが仕事に行く土曜日。私が起きた頃には母さんは居なかった。

今日はせっかくの学校がない日のはずなのに、気持ちが憂鬱だった。

昨日、30点の算数のテストが母さんにバレて、大喧嘩したからだ。

売り言葉に買い言葉。母さんが昔のことまで引っ張り出してきたものだから、この上なく腹が立った。

「ママなんて大嫌い!」

そう叫んで布団に逃げ込んで頭が痛くなるまで泣いた。

その時は世界で一番大嫌いだった。


気付かないうちに眠っていたらしい。ほっぺが

カサカサしていた。

眠たい目を擦りながらリビングに向かう。新聞を広げた父さんがいた。

「おはようさん」

私を一瞬見て、再び新聞に目を向けた。

おはよ、と返した。

父さんに昨日のことで何を言われるのかと身構えた。

だけど、朝食を食べても、ソファに座っても、本を読み始めても、父さんには何も言われなかった。

テレビの音だけが賑やかに笑っていた。



「お腹、空いたやろ」

時計の針が空を差したくらい。父さんがそれだけ言って立ち上がった。

母さんよりも小さな声。

「うん」と答えた。届いてなかったかもしれない。父さんに似て小さな声だから。

「むっちゃん、うどんでええか?」

「うん」

「ちょっと待っててな」

父さんが台所に立つところなんて、見たことがなかった。

ママの後ろ姿を思い出して、首を振った。

あんな意地悪する人なんて知らない。優しく言ってくれたり、味方になってくれたら良かったのに。

じわりと涙が滲んだから、目を擦った。

テレビの雑音に混ざって、水を沸かす音とガサガサ袋を準備する音、ずっと何かしらの音がしていた。

不器用に揺れる背中と、のぼっていく湯気。

父さんはうろうろとしたあと、私の方を見た。

「むっちゃん、玉子、どこかわかるか?」

「えー、冷蔵庫なかった?」

父さんが冷蔵庫を開けた。

「……ないで?」

「嘘やん!?」

「ドアポケットのところにないで?」

「そこちゃうよ……。プラスチックの箱に入ってない?」

父さんはしばらくがさがさ探していた。

どたどた、と何かが落ちる音もする。

小さい声で、「あった」と父さんは言った。

もしかして、父さんって料理できない? とか思いながら待つ。

父さんは両手で赤いカップ麺を持ってきた。赤いきつねと書かれたもの。

ママだったら、手作りのご飯だったのかな。

なぜか泣けてきて下を向いた。



父さんが向かいに座り、ベリベリと蓋を剥がし始めたから、私も続いた。

ふわっと出汁の香りが鼻をくすぐる。そして顔を出すお揚げさんと並ぶ玉子。

お月見してる狐さんみたい。

顔を上げたら、父さんと目が合った。

「パパの特製スペシャルうどんやで」

もうパパなんて呼ぶ歳じゃないのに、父さんは全然分かってない。

いただきますとうどんに呟いて、お揚げさんを口に含んだ。じゅわっと口の中で出汁が広がる。

「むっちゃんは小さい頃からお揚げさんから食べるな」

そうなんだ。私自身でも気付かなかった。

ふぅん、と相槌を打ってずるずると麺を啜る。

麺を拾うときに割れたらしい黄身が、麺と絡まって濃厚になった。

「おいしい」

顔を上げると、少しばかり嬉しそうな父さんの顔が見えた。

何故か恥ずかしくなってすぐ下を向く。

父さんが、そうか、うまいか、と噛み締めるように言っていた。

「これな、パパが受験勉強してる時に夜食でよく食べてたねん、美味しいやろ?」

勉強という単語で手が止まった。

やばい、今から怒られるのかな。

下を向いて身構えていたら、それ以上のことはなかった。父さんはまたうどんを啜り始めた。

時々、父さんは話を振った。

「学校は楽しいか?」

「うん、まあ……」

「そうか」

少し気まずくなる。

「友達はおるか?」

「おるよ」

「そうか」

また、少し気まずくなる。

マシンガンみたいに話す母さんがいたら、変わっていたのかな。

「ママな、むっちゃんのこと、大好きなんやで」

父さんは口を開いた。

ちょうど母さんのことを考えていたので驚いた。顔を上げる。

「むっちゃんにはしんどい思いしてほしくなくて、つい昔のテストの話を出しちゃったんやって」

そして続けた。

「ママ、むっちゃんに嫌われてないかなってしょんぼりしながら仕事行ってん」

胸の奥が辛さに握りつぶされそうになった。鼻の奥が痛くなった。



ごちそうさまと手を合わせ、空の容器を洗う。隣で水を切っていた父さんは不器用な笑顔を浮かべた。

「お揚げさんの匂いに釣られて、狐さんがやって来るかもしれへんな」

私も笑い返す。親戚に「笑うとお父さんに似てる」って言われたっけ。

「もしかしたら母さん狐が恋しくなって飛んで山に帰るかも」

「外に出たら栗が山盛りかも」

私はクスッと笑いが漏れた。

「それ、『ごん狐』やん」

「あれ、ちゃうかった?」

「うん。『手袋を買いに』、だよ」

「そうか。むっちゃんは色んなこと知ってんな」

父さんは少し寂しそうに呟いた。

私はそうだよ、もう6年生だもん、と胸を張った。

大人に近付く私でも、苦手なものはあった。

「ねぇ」

私は迷ったあと、尋ねた。

「狐の親子が喧嘩したら、どうやって仲直りするんだろう」

「何言っとん?」

私はパパのそういうところが嫌いだった。

「ううん、なんでもない」

自分の部屋に戻ろうとした時、父さんは「むっちゃんは賢いから、ちゃんとできるで」と言った。

私たちは不器用だ。だから、伝えたいことを相手にぶつけないといけない。

開けた窓から涼しい風が吹いた。



翌日、父さんが仕事で母さんが休みだった。

父さんが仕事で良かった。なぜか少し恥ずかしかったから。

朝ごはんを簡単に済ませて、学校の宿題を終わらせた。

時計の針が空を指して、お腹も鳴る時。

ここぞとばかりに母さんに声をかけた。

「お腹、空いたね」

『父さん特製スペシャルうどん』を母さんに披露しようと笑った。

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